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バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します  作者: Nami


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第9話 鉄と炎の誓い



ドルトン子爵との「経済戦争」が決着してから数日後。

バーンズ領都の広場には、重苦しい空気が漂っていた。

ドルトン領から移住させられてきた、三十名ほどの男たち。

彼らは皆、煤で汚れた作業着を纏い、太い腕には火傷の痕が無数にある。

「赤錆山」の麓で代々鉄を打ってきた、鍛冶職人たちだ。

彼らの表情は一様に暗く、そして不満に満ちていた。

無理もない。彼らにとって、この移籍は「敗戦による人身売買」に等しい。

住み慣れた土地を追われ、隣の領地へ売られたのだ。

「……気に食わねえな」

集団の先頭に立つ大男が、地面に唾を吐き捨てた。

ガント。五十歳。

岩のような筋肉と、あご髭を蓄えた、職人集団の親方だ。

「俺たちは誇り高き鉄打ちだ。それが、借金のカタに売られるとは……。しかも、新しい主人は十歳のガキだと?」

周囲の職人たちも同調して頷く。

「やってられねえよ。どうせ、ガキの玩具おもちゃを作らされるのがオチだ」

「逃げちまおうか」

不穏な囁きが広がる中、領主館の扉が開いた。

現れたのは、ロッシュ伯爵と、その横に立つ銀髪の少年、マイルズ。

そして、その後ろには筆記用具を持ったシンシアが控えている。

「ようこそ、バーンズ領へ」

マイルズが一歩進み出た。

十歳の少年とは思えない、堂々たる立ち振る舞いだ。

「私がマイルズ・バーンズだ。君たちを歓迎する」

ガントは、マイルズを値踏みするように睨みつけた。

「……あんたが新しい雇い主か。随分と可愛らしい坊ちゃんだな」

挑発的な言葉に、ロッシュ伯爵が眉をひそめるが、マイルズは手で制した。

「挨拶はいい。ガント親方だな? 君たちの腕を見込んで来てもらった」

「腕、ねぇ」

ガントは鼻で笑った。

「坊ちゃん。俺たちはドルトンでも鼻つまみ者だったんだぜ? 俺たちが打つ鉄はもろい。すぐに折れる。赤錆山の鉱石が腐ってるからだ。……そんな俺たちを買って、何を作らせる気だ? 農民の鍬か? それとも鍋の蓋か?」

職人たちが嘲笑を浮かべる。

彼らは自分たちの技術と素材に絶望しているのだ。

良い鉄が作れないのは、自分たちの腕のせいではなく、素材のせいだと諦めている。

マイルズは、彼らの嘲笑を真っ向から受け止めた。

そして、静かに言った。

「違う。……君たちには『はがね』を作ってもらう」

「はあ?」

「それも、ただの鋼ではない。王都の名剣すら叩き折る、最強の鋼鉄だ」

広場が一瞬、静まり返った。

そして次の瞬間、ガントが腹を抱えて笑い出した。

「ぎゃははは! こいつは傑作だ! おい聞いたか? 赤錆山のクズ鉄で、最強の鋼だとよ!」

「坊ちゃん、夢を見るのはベッドの中だけにしな!」

「硫黄だらけの脆い鉄で、何ができるってんだ!」

嘲笑の嵐。

だが、マイルズの青い瞳は、微動だにしなかった。

彼は笑い止むのを待たず、冷徹に告げた。

「無知とは罪だな」

その声の冷たさに、ガントの笑いがピタリと止まった。

「……何だと?」

「君たちは、素材が悪いと言った。鉱石が腐っていると。……違うな。腐っているのは君たちの『知識』だ」

マイルズは彼らを指差した。

「鉄が脆いのは、硫黄分を取り除けていないからだ。火力が足りないのは、石炭の燃やし方を知らないからだ。……宝の山をゴミ山に変えているのは、君たちの無能さだ」

「てめえ……言わせておけば!」

ガントが激昂し、マイルズに詰め寄ろうとする。

護衛の騎士たちが剣に手をかけるが、マイルズは動かない。

至近距離で、巨漢のガントを見上げ、不敵に笑った。

「悔しいか? ならば証明してみせろ。……私のやり方で鉄を打ち、それでもクズ鉄しかできないなら、君たちを解放してやろう。退職金をつけてな」

「……面白い」

ガントはギリギリと歯噛みした。

「その勝負乗った。だが、もし俺たちが正しかったら、土下座して謝ってもらうぞ、若造」

「いいだろう。……ついて来い」

マイルズが彼らを連れて行ったのは、領都の郊外に新設された「実験場」だった。

そこには、マイルズが土魔法使いに命じて作らせた、奇妙な形の窯が並んでいた。

高さ三メートルほどの、煉瓦造りの塔のような炉だ。

「なんだこりゃ。見たことねえ形だな」

ガントがいぶかしげに見る。

「『高炉ブラスト・ファーネス』の原型だ」

マイルズは説明せず、指示を出した。

「まず、燃料だ。君たちが持ってきた赤錆山の石炭。……これをそのまま燃やすから温度が上がらんのだ」

マイルズは、石炭を特殊な密閉炉に入れた。

「石炭を蒸し焼きにする。不純物や揮発成分を飛ばし、純粋な炭素の塊にするんだ」

これが「コークス」の製造だ。

マイルズは『創造』スキルを使い、炉内の化学反応を加速させた。

数十分後。

炉を開けると、そこには銀灰色に輝く、多孔質の塊が出来上がっていた。

「……なんだ、この軽い炭は?」

「『コークス』だ。……ガント、これを鞴で吹いてみろ」

ガントは半信半疑で、コークスを炉にくべ、鞴を操作した。

ボッ、と火がつく。

そして、風を送った瞬間。

ゴオオオオオオッ!!

今まで見たこともないような、青白い炎が噴き上がった。

凄まじい熱波が、周囲の職人たちを後ずさりさせる。

「な、なんだこの火力は!? 鉄が……鉄が溶けちまうぞ!」

ガントが目を見開く。木炭や、生の石炭とは比較にならない高温だ。

「温度は千五百度を超えているはずだ」

マイルズは平然と言った。

「次に、鉱石だ。赤錆山の鉄鉱石は硫黄が多い。だから脆くなる。……だが、解決策は単純だ」

マイルズは、白い粉を指差した。

石灰ライムだ。これを鉱石と一緒に混ぜて溶かす。そうすれば、石灰が硫黄を吸着し、スラグとして排出される」

脱硫処理。

現代製鉄の基本中の基本だ。

「さあ、やってみろ。コークスの炎で、石灰と共に鉄を溶かすんだ」

ガントの手が震えていた。

目の前で起きている現象は、彼の三十年の職人人生を根底から覆すものだった。

だが、職人の魂が、その「未知の炎」に魅入られていた。

「……野郎ども! やるぞ! 親方の意地を見せてやれ!」

「おおっ!」

職人たちが動き出した。

コークスを投入し、鉱石と石灰を層にして積み上げる。

鞴を全力で動かす。

炉内の温度はぐんぐん上がり、やがてドロドロに溶けた鉄が、湯口から流れ出してきた。

まばゆいばかりの、オレンジ色の液体。

「湯出しだ! 型に流せ!」

火花が散り、熱気が肌を焼く。

型に流し込まれた鉄が冷え固まるのを待ち、ガントはそれを水桶に突っ込んだ。

ジュワアアッ!

激しい蒸気と共に、一本の鉄塊インゴットが姿を現した。

ガントはそれを金槌で叩いた。

カァン!

澄んだ、高い音が響き渡った。

不純物の多い鉄特有の、鈍い音ではない。硬く、そして粘りのある音だ。

「……嘘だろ」

ガントは震える手で、出来上がった鉄を撫でた。

表面は滑らかで、赤錆の欠片もない。銀色に輝く、純度の高い鋼だ。

彼は試しに、手持ちのナイフでその鉄を削ろうとしたが、逆にナイフの刃が欠けた。

「……本物だ。王都で見た、ミスリル混じりの剣にも劣らねえ……」

「認めざるを得ないな」

職人たちが息を呑む中、マイルズが近づいてきた。

「どうだ、ガント。それが赤錆山の『本当の姿』だ」

ガントは鉄塊を握りしめたまま、膝から崩れ落ちた。

そして、目から大粒の涙を流した。

「……俺たちは、今まで何をしていたんだ。こんな宝を目の前にして、ゴミだなんて罵って……」

悔しさと、それ以上の感動。

自分が作ったとは思えない、最高の鉄。

それが、この少年の知識一つで生まれたのだ。

ガントは、泥にまみれた地面に額を擦り付けた。

今度は、強制された土下座ではない。心からの服従の証だ。

「……負けだ。完敗だ、若旦那」

ガントは声を震わせた。

「いや、マイスター(巨匠)。……あんたは魔法使いか何かか?」

「ただの物知りな領主だよ」

「へっ。違いねえ」

ガントは顔を上げ、マイルズを真っ直ぐに見据えた。

「俺たちの命、あんたに預ける。……この鉄で、何を作ればいい? 剣か? 鎧か? 今なら、ドラゴンの鱗だって打ち抜く槍を作ってみせるぜ」

職人たちも皆、期待に満ちた目でマイルズを見ていた。

彼らの職人魂に、火がついたのだ。

マイルズは満足げに頷き、懐から一枚の設計図を取り出した。

そこに描かれていたのは、剣でも槍でもなかった。

「武器は後回しだ。最初に作ってもらうのは、これだ」

ガントが設計図を覗き込む。

「……なんだこりゃ? 刃がねえぞ。曲がった板に、回転する軸……?」

「『プラウ(犂)』だ」

マイルズは答えた。

「深耕用の大型農具。これがあれば、馬の力で固い大地を深く掘り起こせる。農業効率が劇的に上がる」

さらに別の図面を見せる。

「そしてこれは『水管』と『ポンプ』。水を遠くへ、高いところへ運ぶための心臓部だ」

「……農具と、水回りの道具か」

ガントは少し拍子抜けした顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。

「いいぜ。地味だが、領地を豊かにするには一番必要なもんだ。……最高の強度で作ってやらあ!」

「頼むぞ。……これからバーンズ領は、農業国から工業国へと進化する。そのエンジンの鍵を握るのは、君たちだ」

マイルズの言葉に、職人たちが歓声を上げた。

その声は、広場の時のような陰鬱なものではなく、希望と誇りに満ちた雄叫びだった。

その様子を、少し離れた場所からロッシュ伯爵が見ていた。

「……鉄を支配し、職人の心まで鍛え直したか」

隣に控える家令のセバスに呟く。

「あの歳で、王の器量だ。……末恐ろしいな」

「左様でございますね。ですが旦那様、口元が緩んでおられますよ」

「ふん。……自慢の息子だからな」

その夜。

領都の酒場は、新入りの職人たちと、地元の領民たちで大賑わいだった。

「おい、聞いたか? 赤錆山の鉄が化けたってよ!」

「若様がまた奇跡を起こしたらしいぞ!」

「乾杯だ! 新しい仲間に!」

酒場の喧騒をよそに、マイルズは執務室で一人、シンシアと共に次の計画を練っていた。

「鉄の生産体制が整えば、次は物流の強化だ」

マイルズは地図上の街道を指でなぞる。

「馬車用のサスペンション(バネ)を作る。これで輸送時の衝撃を減らせば、ガラス製品や卵をもっと遠くへ運べる」

「……はい。計算上、輸送ロスが三割減ります」

シンシアが即座に答える。

「それから、エリーゼ殿にも連絡を。鉄製品のカタログを送るから、販路を確保してくれと」

「手紙は既に下書きしてあります」

「仕事が早いな」

マイルズは窓の外を見た。

遠く、赤錆山の方角から、微かに空が赤く染まっているのが見える。

高炉の火だ。

あの火が消えない限り、バーンズ領の発展は止まらない。

「……マイルズ様」

シンシアが、珍しく作業の手を止めて声をかけた。

「どうした?」

「……楽しいですね」

彼女は、窓に映る領都の灯りを見つめていた。

「毎日、世界が変わっていく音がします。マイルズ様が、変えている音が」

マイルズは微笑んだ。

「ああ。だが、もっと騒がしくなるぞ。……次は、蒸気の力を借りるかもしれないからな」

「ジョウキ……ですか?」

「ああ。お湯を沸かすと、蓋が持ち上がるだろう? あの力で、鉄の馬を走らせるんだ」

シンシアは目を丸くし、やがて小さく笑った。

「マイルズ様なら、きっと空だって飛べるようになりますね」

「それも悪くないな」

鉄と炎。

新たな力を得たバーンズ領は、いよいよ周辺諸国も無視できない勢力へと成長しつつあった。

だが、急激な成長は、より大きな敵――王都の中央貴族や、隣国の注意を引くことにもなる。

鋼鉄の槌音が響く中、物語は新たな局面へと進もうとしていた。


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