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バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します  作者: Nami


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第21話 深紅の来訪者と、盲目の聖女


初夏の陽気が眩しいバーンズ領。

赤錆山から伸びる線路の上を、今日も蒸気機関車『バーンズ一号』が、黒煙を棚引かせながら力強く走っていた。

沿線の農民たちは、かつては「黒い煙を吐く怪物」と恐れたその姿に、今では手を振って挨拶をするのが日常となっていた。

「順調だな」

領主館の執務室から、マイルズはその光景を眺めていた。

帝国との交易も軌道に乗り、領内の経済は右肩上がりだ。

シンシアがまとめた報告書には、またしても過去最高益の数字が並んでいる。

だが、その平和な風景に、異質な「染み」が広がろうとしていた。

「……マイルズ様」

エリーゼが、青ざめた顔で部屋に入ってきた。

彼女は今や、銀翼商会の支店長としてだけでなく、マイルズの外部折衝役もこなしている。

「来ましたわ。……西の街道から」

「ああ。見えているよ」

マイルズの視線の先。

領都へのメインストリートを、異様な集団が行進していた。

全員が、血のように赤い法衣を纏い、顔を深いフードで隠している。

先頭を行く者が掲げているのは、巨大な黄金の十字架。

そして、彼らが通るたびに、活気に満ちていた領民たちの笑顔が消え、恐怖に染まった沈黙が広がっていく。

大陸最大の権威。

聖教国ルミナス教、異端審問団。

「……予想より早かったな」

マイルズは静かに呟いた。

「父上には?」

「すでにご連絡しました。ロッシュ伯爵は『門前払いしてやる』と息巻いておられますが……」

「止めてくれ。彼らを武力で追い払えば、我々は『神の敵』認定される。……そうなれば、領民の心は離れる」

マイルズは立ち上がった。

「私が行く。……丁重に、お迎えしようか」

領都の中央広場。

普段は市場が開かれ、賑わうその場所は、今や張り詰めた緊張感に包まれていた。

「悔い改めよ!」

しわがれた、しかしよく通る声が響き渡る。

集団の中心に立つ、一人の痩せこけた老人。

眼窩が窪み、狂信的な光を宿した瞳を持つ男。

異端審問官総長、ベルナルド。

彼は、広場の片隅に設置されていた「公共水道の蛇口」を杖で指し示した。

「見よ! この鉄の管を! 大地から無理やり水を吸い上げ、あまつさえ薬などという穢れた粉を混ぜている! これは神への冒涜である!」

さらに、遠くを走る蒸気機関車を指差す。

「見よ! あの黒い煙を! 魔石という神の恵みを拒絶し、黒い石を燃やして走るあの姿……あれこそが、地獄の窯の蓋が開いた証拠である!」

領民たちがざわめく。

「そ、そんな……俺たちはあれのおかげで助かっているんだぞ」

「でも、教会様が言うなら……」

「やっぱり、バチが当たるんじゃ……」

長年染み付いた信仰心は、容易には消えない。

ベルナルドの言葉は、人々の心に潜む「変化への不安」を的確に刺激していた。

「迷える子羊たちよ。……我らは、神の慈悲を届けに来た」

ベルナルドが手を掲げると、集団の後ろから、一人の少女が連れ出された。

純白の修道服に身を包んだ、十二歳ほどの少女。

色素の薄い金髪に、透き通るような白い肌。

そして、その瞳は閉ざされ、目元には薄い布が巻かれていた。

「聖女ノア様だ……」

「おお、生きる聖人様……」

領民たちが膝をつき、祈り始める。

聖女ノア。

生まれつき目が見えず、体も弱いが、その祈りは人々の苦しみを和らげると言われる、教会の象徴的な存在。

ベルナルドは、彼女の細い肩に手を置いた。

「この清らかな乙女を見よ。彼女は光を奪われたが、その代わりに神の声を聞く力を得た。……科学などという偽りの光ではなく、真の祈りこそが救いなのだ」

完璧な演出だった。

科学による豊かさを「悪魔の誘惑」とし、清貧と祈りを「正義」とする。

このままでは、マイルズが築き上げてきた信頼が、根底から覆される。

「……素晴らしい演説ですね」

その場の空気を一変させる、涼やかな声が響いた。

人垣が割れ、マイルズが姿を現す。

隣には父ロッシュ、後ろには騎士団を従えているが、武器は抜いていない。

「ようこそ、バーンズ領へ。遠路はるばるご苦労様です」

マイルズは、敵意を微塵も見せず、完璧な貴族の礼法で挨拶した。

ベルナルドが、蛇のような目でマイルズを見下ろす。

「……貴様が、マイルズ・バーンズか」

「はい。この地の領主代行を務めております」

「ふん。悪魔憑きと聞いていたが、見た目はただの子供か」

ベルナルドは鼻を鳴らした。

「我々は、この地に蔓延る『異端』の調査に来た。……教皇聖下の命により、貴様の工場、病院、そして屋敷の全てを査察する」

それは「捜査令状」なしの家宅捜索宣言に等しい。

ロッシュが剣の柄に手をかける。

だが、マイルズは笑顔を崩さなかった。

「構いませんよ」

「……何?」

「やましいことなど何もありませんから。どうぞ、心ゆくまでご覧ください。……当領の技術が、いかに神の理に適ったものであるか、ご説明いたしましょう」

マイルズの余裕に、ベルナルドが眉をひそめる。

抵抗するか、あるいは激昂すると踏んでいたのだ。

「……口の減る小僧だ。よかろう、その化けの皮、剥いでくれる」

ベルナルドは踵を返そうとした。

その時。

マイルズの視線が、傍らに立つ聖女ノアに向けられた。

彼女は、怯えるように震えていた。

大人の道具として連れ回され、見世物にされている少女。

マイルズは、無意識にスキル『生命ヴィータ』を発動した。

(……診断開始)

魔力の波が、少女の体をスキャンする。

栄養状態は悪い。ストレスによる自律神経の乱れ。

そして、最大の問題である「目」。

(眼球自体に萎縮はない。網膜も生きている。視神経の伝達も正常。……原因は、水晶体の白濁か)

先天性白内障。

この世界では「不治の病」であり、「神が与えた試練」として片付けられる症状だ。

だが、マイルズ(元医師)にとっては違う。

(……治せる)

マイルズの心に、一つの「戦略」が浮かんだ。

宗教家が最も恐れるもの。それは、彼らの神頼みを上回る「現実の奇跡」だ。

「聖女様」

マイルズが声をかけると、ノアがビクリと肩を震わせた。

「……だ、誰?」

「マイルズと申します。……お疲れでしょう。当領の迎賓館で、旅の疲れを癒やしてください」

「気安く触れるな!」

ベルナルドがノアを隠すように立ちはだかった。

「穢らわしい! 聖女様は神の所有物だ。異端者の施しなど受けん!」

「それは残念です。……では、教会チャペルを用意させましょう。そこなら文句はないはずだ」

マイルズは一歩も引かなかった。

「この領地の責任者として、客人を野宿させるわけにはいきませんので」

「……フン。勝手にしろ」

ベルナルドは捨て台詞を残し、手下と共に去っていった。

ノアは連れて行かれる際、一度だけ振り返り、見えない目でマイルズの方を向いた。

何かを、感じ取ったかのように。

広場に残されたマイルズたち。

「……マイルズ。あんな古狸、腹の中に招き入れて大丈夫か?」

ロッシュが心配そうに尋ねる。

「大丈夫です、父上。……敵の懐に入らなければ、勝てない勝負もあります」

マイルズは、去っていく紅い集団の背中を見据えた。

「彼らは『奇跡』を売りにしている。ならば、我々は『真実』で対抗しましょう」

「真実?」

「ええ。……神様の気まぐれではない、誰にでも平等に訪れる救い。それが医学です」

マイルズの脳裏には、既に手術のシミュレーションが描かれていた。

聖女の目を治す。

それは、彼女を教会から解放するためではない。

彼女を「神の操り人形」から、「自分の意志で神に仕える人間」に戻すためだ。

そしてそれは、腐敗した教会組織への、痛烈なアンチテーゼとなる。

戦いの火蓋は切られた。

剣も魔法も使わない、イデオロギーの戦争が始まる。


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