第16話 黒鉄の使者と、蒸気の産声
第16話 黒鉄の使者と、蒸気の産声
王都での激動の日々を終え、マイルズたちがバーンズ領に帰還してから数週間。
領地はまだ浅い雪に覆われていたが、風には微かに春の匂いが混じり始めていた。
だが、領主館の執務室には、真冬よりも冷たい空気が張り詰めていた。
「……ガレリア帝国からの『親書』だそうだ」
父ロッシュが、重厚な封蝋が施された羊皮紙を机に叩きつけた。
その封蝋には、帝国の紋章である「双頭の鷲」が刻まれている。
王都でのマイルズの活躍――特に「コンクリート」と「製鉄技術」の噂を聞きつけ、ハイエナのように嗅ぎつけてきたのだ。
「内容は?」
マイルズは、王都から持ち帰った大量の資料整理の手を止めずに尋ねた。
「表向きは『友好条約の締結』だ。だが、条件が酷すぎる」
ロッシュが読み上げる。
「一、バーンズ領特産の『高純度鋼鉄』の年間供給。二、『コンクリート』の製造技術の開示。三、帝国の技術顧問団の駐留……事実上の監視だ」
「……なるほど。属国になれ、と言っているわけですね」
マイルズはペンを置いた。
ガレリア帝国。
ニース王国の北に位置する軍事大国だ。
魔法技術よりも、重装歩兵と騎馬隊による物理的な軍事力を重視し、周辺の小国を次々と併合している覇権国家。
彼らは、バーンズ領の技術が軍事転用可能であることを正確に見抜いている。
「拒否すれば?」
「『不測の事態』が起きるかもしれん、と書かれている。……要するに、戦争だ」
ロッシュのこめかみに青筋が浮かぶ。
「舐めた真似を……! 我が領軍で迎え撃つか!」
「勝てませんよ、父上」
マイルズは冷徹に告げた。
「我が軍は精強ですが、数は二千。対して帝国は、国境付近だけで二万の兵を展開できます。真正面からぶつかれば、すり潰されます」
「では、技術を売り渡して膝を屈しろと言うのか!?」
「いいえ」
マイルズは立ち上がり、窓の外、白煙を上げる赤錆山の方角を見つめた。
「技術は渡しません。戦争もしません。……相手に『戦っても損をする』と思わせればいいのです」
「抑止力か。だが、どうやって? 兵の数では勝てんぞ」
「数ではありません。『質』の次元を変えるのです」
マイルズは、シンシアを呼んだ。
「シンシア。王都へ行く前に、ガント親方に渡しておいた『極秘設計図』の進捗は?」
「……報告によれば、部品の鋳造は完了。あとは、マイルズ様による最終調整と、魔力コーティング待ちです」
「よし」
マイルズは父に向き直った。
「父上。帝国の使節団が到着するのはいつですか?」
「……雪解けを待って来るそうだ。あと一ヶ月といったところか」
「十分です。……彼らが到着するまでに、歴史を変える準備を整えましょう」
マイルズの瞳に、青白い炎が宿った。
「剣も魔法も使わずに、彼らの常識を粉砕する『黒鉄の怪物』を見せてやります」
◇
場所は変わり、領都郊外の「赤錆山」工業区画。
一般人の立ち入りが厳しく制限された、最奥の第零工房。
「クソッ! 帰ってきたと思ったら、また無茶振りかよ若旦那!」
怒号と共に、蒸気がプシューッと噴き出した。
工房の中はサウナのような熱気と、油の匂いに満ちている。
「ガント! 愚痴る暇があったら手を動かせ! シリンダーとピストンの隙間は一ミリの百分の一以下だ!」
マイルズが、図面を手に叫び返す。彼もまた、貴族の服を脱ぎ捨て、煤だらけの作業着で現場に立っていた。
王都での優雅な香水使いの姿はどこにもない。ここにあるのは、鉄と油にまみれた技術者の顔だ。
彼らが作っているのは、この世界の常識を覆す動力機関。
魔石を使わない、純粋な熱エネルギー機関。
「蒸気機関」だ。
王都での「魔石不足事件」で、マイルズは痛感した。
魔石に依存した文明は脆い。供給を止められれば終わりだ。
だからこそ、領内で無尽蔵に採れる「石炭」と「水」だけで動く、自立した動力源が必要なのだ。
「ガント。帝国軍が来たら、お前の工場も接収されるぞ。自分たちの城を守りたければ、これを作るしかない」
「ちっ……分かってるよ! 意地でも合わせてやらあ! おい野郎ども! 研磨だ! 鏡みてえになるまで磨き上げろ!」
工房に、再び槌音とヤスリの音が響き渡る。
マイルズもまた、『創造』スキルで微細な部品の歪みを修正し、『生命』スキルで金属の疲労度を診断する。
不眠不休の三週間。
雪が溶け、地面が顔を出した頃。
ついに「それ」は組み上がった。
黒光りする鋳鉄の塊。
武骨で、荒々しく、しかし機能美に溢れた鉄の心臓。
「……火を入れろ」
マイルズが静かに命じた。
ボイラーに石炭がくべられ、火が点けられる。
水が沸騰し、圧力計の針が震えながら上がっていく。
シュウウウ……!
蒸気が逃げる音が、次第に高くなる。
「圧力、臨界点到達!」
シンシアの声が響く。
「バルブ解放!」
ガントが巨大なレバーを倒した。
瞬間。
高圧蒸気がシリンダーへと送り込まれる。
ドシュッ!
ピストンが押し出される。
コネクティングロッドが動き、巨大な鉄の車輪を回す。
ドシュッ! シュウウウ……!
ドシュッ! シュウウウ……!
一定の速度で、力強く。
轟音と共に、鉄の車輪が高速回転を始めた。
「う、動いた……!」
「魔石無しで、鉄が動いてやがる……!」
職人たちが歓声を上げた。
「すげえ! 若旦那、こいつは怪物だ!」
マイルズは、回転する車輪を見つめた。
その回転力は、馬百頭分にも匹敵する。
「成功だ。……ガント、すぐにこれを『台車』に乗せるぞ。線路の敷設も急がせろ」
「へいよ。……しかし若旦那、こいつで何を運ぶんで?」
「帝国の度肝だよ」
◇
そして一週間後。
雪解けのぬかるんだ街道を、威圧的な黒塗りの馬車列が進んでいた。
ガレリア帝国の使節団だ。
護衛として、全身を黒いプレートアーマーで固めた重装騎兵が百騎も付き従っている。
「ふん。ここがバーンズ領か」
馬車の窓から、一人の少女が外を眺めていた。
燃えるような金髪、紫色の瞳。
年齢は十四歳ほどだが、その体には大人顔負けの軍服を纏い、腰には身の丈ほどもある大剣を佩いている。
ガレリア帝国第三皇女、ヒルデガルド・フォン・ガレリア。
「戦乙女」の異名を持つ、武闘派の皇女だ。
「泥だらけの田舎道だ。少し小金を稼いだ程度で、帝国の保護を拒否するとはな。身の程知らずが」
ヒルデガルドは鼻で笑った。
彼女にとって、力こそが正義。
商売や小手先の技術など、圧倒的な武力の前には無意味だと信じていた。
「殿下。もうすぐ領都です」
副官の男が告げる。
「うむ。……ん? なんだあれは」
ヒルデガルドが目を細めた。
街道と並走するように、赤錆山から領都へ向かって、見たこともないものが敷設されていた。
枕木の上に固定された、二本の鉄の棒。
「鉄の……道?」
「線路……というものらしいです。鉱山からトロッコを転がすための」
「贅沢なことだ。鉄を地面に敷くとはな」
ヒルデガルドが呆れたその時。
ポオオオオオオオオッ!!!
大気を震わせる、甲高い汽笛の音が響いた。
「な、なんだ!?」
軍馬たちが怯えていななく。
「魔獣か!? 警戒せよ!」
後方から、黒い煙を吐き出しながら、何かが迫ってきた。
泥道を走る帝国の馬車列を、あざ笑うかのような速度で。
それは、巨大な黒い鉄の塊だった。
先端には円筒形のボイラー。赤く輝く火室。
そして、その後ろには、山のような鉄鉱石と石炭を積んだ貨車を十両も連結している。
「ば、馬鹿な……!」
ヒルデガルドが絶句する。
「馬がいない!? 鉄の塊が、自走しているだと!?」
シュシュシュシュ……ドォォォォン!
蒸気機関車『バーンズ一号』が、轟音と共に帝国使節団を追い抜いていく。
その速度は、早馬すら凌駕していた。
そして何より、その圧倒的な「質量感」。
数百トンの物資を、たった一台で、高速で輸送している。
「あ、ありえん……! あれだけの鉄を動かすのに、どれだけの魔導師が必要だと……!」
副官が顔面蒼白になる。魔力反応がないのだ。純粋な物理的な力だけで動いている。
その機関車の運転席から、一人の少年が顔を出した。
煤で汚れた顔に、防護ゴーグル。
そして、不敵な笑み。
マイルズだ。
彼は、呆然とする帝国使節団に向けて、敬礼をして見せた。
『ようこそ、バーンズ領へ。……遅いですね、お先に』
声は聞こえないが、その口元はそう動いていた。
ヒルデガルドの背筋に、戦慄が走った。
彼女は軍人だ。だからこそ、理解してしまった。
(あれが……兵器だったら?)
(あれで、兵士や食糧を運ばれたら?)
(補給線が、無敵になる……!)
剣や槍の強さではない。
戦争の根幹である「兵站」の次元が違う。
泥道を進む自分たちと、鉄の道を爆走する彼ら。
勝負は、戦う前から決まっていた。
「……面白い」
ヒルデガルドは、震える手で剣の柄を握りしめた。
恐怖ではない。武者震いだ。
「あの少年か。……バーンズの『頭脳』は」
黒煙の彼方に消えていく機関車を見送りながら、皇女の瞳に、獲物を狙う狩人の色が宿った。
「全軍、急げ! ……ただの石鹸屋ではないようだ。私が直々に値踏みしてやる」
蒸気の洗礼を受けた帝国使節団。
だが、これはマイルズが用意した「おもてなし」の、ほんの序章に過ぎなかった。
次に彼らを待つのは、胃袋と肌をトロトロに溶かす、文化侵略の罠である。




