表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します  作者: Nami


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/22

第11話 鋼鉄の馬車と、魔都の姉


王家からの召喚状が届いてから数日後。

バーンズ領主館の前には、一台の奇妙な馬車が停まっていた。

外見こそ、黒塗りの重厚な箱馬車だが、その足回りは従来のそれとは全く異なっていた。

車輪には鉄の枠ではなく、輸入した天然ゴムを焼き固めた黒いソリッドタイヤが巻かれ、車軸と車体の間には、幾層にも重ねられた湾曲した鋼鉄の板――板バネ(リーフスプリング)が噛まされている。

「……マイルズ。これは本当にお前の設計か?」

旅支度を整えた父ロッシュが、車輪を蹴りながら呆れたように言った。

「はい、父上。『バーンズ式公用馬車・一型』です」

マイルズは胸を張った。

「王都までの五日間、ガタガタと揺られ続けては、到着する頃には腰が砕けてしまいます。この『サスペンション』と『ゴムタイヤ』があれば、揺れは最小限。車内で書類仕事も可能です」

「書類仕事だと? 移動中くらい休ませろ……」

ロッシュは苦笑したが、その目は息子の発明への信頼に満ちていた。

今回の王都行き、同行するメンバーは精鋭に絞られた。

領主である父ロッシュ。

そしてマイルズ。

記録係兼秘書として、計算の天才少女シンシア。

さらに、道中の案内役と商談の補佐として、銀翼商会のエリーゼも同乗する。

「お兄様……本当に行っちゃうの?」

見送りに出た妹のリリアが、涙目でマイルズの服の裾を掴んでいる。

「すぐ戻るよ、リリア。お土産に、王都一番のお菓子を買ってくるから」

「お菓子もいいけど……絶対、絶対早く帰ってきてね!」

「ああ、約束だ」

マイルズは妹の頭を撫で、母マリアに目配せした。

「母上、留守中の領政をお願いします。セバスとガント親方には指示書を渡してあります」

「ええ、任せてちょうだい。マイルズも、体に気をつけるのよ。……王都は、空気が悪いですから」

マリアの言葉は、単なる比喩ではなく、物理的な意味も含んでいた。

「出発!」

御者の掛け声と共に、馬車が動き出した。

通常なら、発進時にガクンと衝撃が来るはずだが、この馬車は滑るように静かに走り出した。

車内。

向かい合わせの席に座ったロッシュとエリーゼが、目を見張った。

「……揺れない」

エリーゼが、手にしたティーカップを見つめる。紅茶の水面がほとんど波立っていない。

「信じられませんわ。これなら、本当に書き物ができます」

「だろう? 乗り心地も商品プレゼンの一つだ」

マイルズは窓の外、遠ざかる領都の風景を眺めた。

煙突から煙が上がり、活気に満ちた我が街。

(しばしの別れだ。……帰る頃には、もっと大きな土産を持って帰ってくる)

道中、馬車の中は作戦会議室と化していた。

「マイルズ様。王都の勢力図について、改めてご説明します」

エリーゼが地図を広げる。

「現在、王宮は大きく分けて三つの派閥に分かれています」

彼女の美しい指が、地図上の貴族領をなぞる。

「一つは『国王派』。賢王と呼ばれる現国王、エドワード陛下を中心とした、王権強化を目指す派閥です。バーンズ家は代々ここに近い立ち位置ですが、中立を保っています」

「二つ目は『貴族派』。古い権益と伝統を重んじる、大貴族たちの集まりです。筆頭は、王弟でもあるゼファー公爵。……彼らは、新興勢力や平民の台頭を極端に嫌います」

エリーゼの声が少し低くなる。

「マイルズ様の行った『平民への教育』や『商会との癒着(と彼らが呼ぶ連携)』は、彼らにとって格好の攻撃材料になります」

「そして三つ目が『中立・静観派』。どちらにもつかず、風見鶏のように振る舞う小貴族たちです」

マイルズは顎に手を当てて考え込んだ。

「今回の召喚は、国王陛下からのものだ。つまり、国王派は私を取り込みたい。一方で、貴族派は私を潰したい……あるいは、利権を奪いたいと考えているわけか」

「その通りです」

ロッシュが腕組みをして頷く。

「ゼファー公爵は貪欲な男だ。お前の石鹸や肥料の利益を知れば、必ず『王家への忠誠』という名目で献上を迫ってくるだろう」

「献上、ですか」

マイルズは鼻で笑った。

「タダで渡すつもりはありませんよ。相手が公爵だろうと国王だろうと、ビジネスはビジネスです」

隣で速記を取っていたシンシアが、ふと顔を上げた。

「……マイルズ様。計算上、貴族派が武力や法的な圧力を行使してくる確率は六割。ですが、彼らが『バーンズ製品』の魅力に抗える確率は……限りなくゼロです」

「正解だ、シンシア」

マイルズはニヤリとした。

「武器は用意してある。石鹸、保存食、ストーブ。そして、この馬車。……彼らの欲望を刺激し、我々なしでは生活できないように依存させる。それが私の『侵略』だ」

五日後。

快適な旅路の果てに、巨大な城壁が見えてきた。

ニース王国の心臓部、王都「ロイヤル・ニース」。

人口三十万を抱える、大陸有数の大都市だ。

「でかいな……」

マイルズは素直に感嘆した。

高さ十メートルを超える城壁。無数に立ち並ぶ尖塔。そして、門を出入りする人の波。

バーンズ領都とは桁が違う。

だが、門をくぐり、市街地に入った瞬間。

マイルズの眉間に深い皺が刻まれた。

「……臭い」

シンシアも鼻を押さえている。

華やかな大通りの裏から、腐敗臭と汚水の臭いが漂ってくるのだ。

石畳の道路の端には、汚物がそのまま流れる側溝があり、ハエがたかっている。

道行く人々は絹の服を着飾っているが、その裾は泥と汚物で汚れている。

「これが王都か」

マイルズは冷ややかな目で観察した。

「見た目は立派だが、中身は腐っている。……下水道の整備が全く追いついていない。人口過密による感染症の温床だ」

「以前流行った『赤い咳』も、完全には収束していないという噂です」

エリーゼが小声で補足する。

「……だろうな。この環境では、結核菌も喜び勇んで繁殖する」

マイルズの「医師」としての本能が、警鐘を鳴らしていた。

(内政のやりがいがありそうな街だ。……いや、今は他人の家を掃除している場合じゃないか)

馬車は、貴族街へと進んだ。

平民区とは打って変わり、清潔で静かな区画だ。

その一角にある、壮麗な屋敷。

「ハール侯爵邸」に到着した。

「お待ちしておりました、お父様! そしてマイルズ!」

馬車を降りるや否や、玄関ホールから一人の女性が駆け寄ってきた。

燃えるような赤髪を優雅に結い上げ、最新流行のドレスを着こなした美女。

マイルズの姉、リーナ・ハール侯爵夫人だ。

「姉上! お久しぶりです」

「まあまあ、マイルズ! なんて大きくなって! 手紙では読んでいたけれど、本当に天使みたいに美しくなったわね!」

リーナはマイルズを抱きしめ、頬ずりした。二十歳の人妻とは思えないほどのエネルギッシュさだ。

「苦しいです、姉上……」

「あらごめんなさい。でも、会いたかったのよ! あなたの送ってくれた石鹸のおかげで、私、今や王都の社交界の『女王』扱いなのよ?」

リーナは悪戯っぽくウィンクした。

「どのお茶会に行っても、『あの石鹸の作者のお姉様』って崇められるわ。おかげでハール家の発言力もうなぎ登り。旦那様も鼻が高いって喜んでるわ」

「それは何よりです。……姉上を広告塔にした甲斐がありました」

「ふふ、人聞きが悪いわね。『ビジネスパートナー』と呼んでちょうだい」

屋敷のサロンに通されると、そこには既に豪勢なお茶の用意がされていた。

エリーゼやシンシアも同席を許され、マイルズたちは旅の疲れを癒やした。

「さて、本題に入りましょうか」

お茶を一口飲むと、リーナの表情がキリリと引き締まった。

社交界の女王の顔だ。

「明後日、王宮で新年の祝賀会が開かれるわ。そこでマイルズ、あなたは陛下に拝謁することになる」

「はい」

「でも、気をつけて。会場は『戦場』よ」

リーナは警告した。

「貴族派のゼファー公爵夫人が、あなたを狙っているわ。あの方は、私の石鹸ブームを面白く思っていないの。『田舎の新参者が、王都の品位を乱している』ってね」

「逆恨みですね」

「ええ。でも、彼女の取り巻きは多いわ。おそらく、舞踏会の最中に、あなたに恥をかかせようと仕掛けてくるでしょう。……礼儀作法の不備を指摘するか、あるいは無理難題を吹っかけてくるか」

「なるほど」

マイルズは、カップをソーサーに戻した。

「田舎者と侮って、公衆の面前で叩きのめすつもりですか。……古典的ですが、効果的な手ですね」

「どうするの? マイルズ。私が間に入ってもいいけれど……」

心配する姉に、マイルズは優雅に微笑んで見せた。

十歳の少年の笑顔とは思えない、底知れぬ自信に満ちた笑み。

「ご心配なく、姉上。……売られた喧嘩は買います。ですが、ただ買うだけでは面白くない」

マイルズは、持参した鞄から、一つの小瓶を取り出した。

それは、石鹸工場の研究室で極秘に開発した、王都初披露となる「新商品」だった。

「彼女たちが『品位』や『美』で勝負を挑んでくるなら、それを逆手に取って、顧客ファンに変えてみせましょう。……この『香水パルファム』でね」

「香水……?」

リーナが小瓶を受け取り、蓋を開ける。

瞬間、サロンの中に、摘みたての花畑を凝縮したような、鮮烈で、かつ上品な香りが爆発的に広がった。

この世界にある、脂臭い安物の香油とは次元が違う。

アルコール抽出によって精製された、本物のパルファムだ。

「な、何これ……!?」

リーナが絶句する。

「素敵……! まるで、香りの宝石箱だわ……!」

「これを祝賀会で披露します。ゼファー公爵夫人に恥をかかされた瞬間にね」

マイルズは目を細めた。

「ピンチは最大のチャンスです。王都の貴族たちに、バーンズ領の技術力が『魔法』の領域にあることを、骨の髄まで教え込んでやりますよ」

ロッシュは天を仰ぎ、エリーゼはゾクゾクした顔でマイルズを見つめ、シンシアは無言で頷いた。

魔都ロイヤル・ニース。

その華やかな舞台裏で、マイルズの「商品」という名の牙が、研ぎ澄まされようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ