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第9話 ユウキ・カザカミ



朝の光が、ゆっくりと丘を満たしていた。

薄い靄はすでに消えかけ、草葉に宿った露だけが夜の名残を語っている。

空は淡い金色に染まり、遠くの山脈の稜線をやわらかく浮かび上がらせていた。

竜は静かに尾をたたみ、まだ眠るような瞳で雲の切れ間を見つめている。


アリシアは長い語りを終え、しばし沈黙した。

風が丘を渡り、彼女の銀色の髪をそっと揺らす。光を受けた髪は一瞬朝露のようなきらめきを帯び、すぐにまた淡い影へと戻った。

そして彼女は、ゆっくりと俺の方へ視線を向けた。


「……お前は、この星の“外”から来た」


その言葉は落ち着いた声色で放たれたにもかかわらず、抗いがたい重みを帯びていた。

胸の奥で、見えない波紋がじわじわと広がっていくのを感じる。


外――。

それは、この空でも、この大地でも、この丘に吹く風がすれ違うこともできない場所。

俺の生まれ育ったはずの「どこか遠い場所」。

その単語が、なぜだか胸の奥に冷たい泉を注ぎ込むような感覚を呼び起こした。


俺には、確かに自分が地球という星で生まれた記憶があった。

海風に混じる潮の匂い、夕立の後の濡れたアスファルトの匂い、賑わう駅の雑踏、誰かの笑い声、ビルの隙間から覗く橙色の夕陽――それらは確かに、俺がかつて生きていた場所の光景だった。


けれど、あらためて「外から来た」と告げられると、その事実は突如として現実味を増し、足元に見えない奈落が口を開けたように感じられた。


小さく息を吐き、自分の声を確かめるように呟く。

「……俺は、地球から来た」

その言葉に、アリシアは微かに頷いた。


「そうだ。そして……お前の名は――ユウキ。ユウキ・カザカミ」


その名を聞いた瞬間、俺の中には奇妙な感覚が生まれた。

覚えているはずもない響きなのに、胸の奥にすとんと落ちてくる。

音の並びが、自分の骨格や呼吸に不思議なほど馴染んでいる。


ユウキ・カザカミ。

地球で生まれ、この星――フロム――へと辿り着いた人間。

だが、この世界には人間という種族は存在しない。

つまり、俺はこの世界において完全な異質であり、孤立した存在ということになる。


視線を、丘の中央に佇む巨大な機械へと移す。

家二軒分の肩幅を持ち、膝下まで届く腕。鋼鉄の外装は長い年月の中で苔や草花に覆われ、ところどころ錆び付いている。

静かに佇むその姿は、まるで眠り続ける巨人のようだった。


――これに乗って、星々の海を越えてきたのか。

地球を離れ、空の道を渡り、いつの日かこの緑の丘へ降り立ったのか。


想像するほどに胸の奥がざわめく。

それは記憶ではなく、ただ形のない衝動や予感のようなもの。

けれど確かに、この景色はどこかで“自分の人生“と深く結びついていると感じられた。


「……信じられない話だな」

笑うつもりで吐き出した声は、掠れていた。


アリシアは少しだけ目を細めた。

その表情には、幾世紀もの旅路の果てにようやく再び見つけたものを見守るような優しい光が宿っていた。


彼女はゆっくりと立ち上がる。

朝の風が腰まで届く長い髪をさらい、光の粒を散らす。

その姿はどこか儀式の一幕のようで、静かに心を奪った。


そして彼女は、右手を差し出した。

説明も説得もなく、ただまっすぐに。


「――もう少し、“この世界”を見ていかないか?」


その声は軽やかだった。

まるで「朝が来たから散歩に行こう」と言っているかのように。

だが、その奥には揺るぎない願いがあった。

彼女は、俺にこの世界を歩かせることで思い出させたいのだ。

忘れた約束を。失われた時間を。そして――俺自身を。


差し出された手を前に、わずかに迷う。

それを取れば、もう後戻りはできないだろう。

けれど、その迷いはすぐに消えた。


「……ああ」


短く答え、俺はその手を握った。

指先から伝わる温もりはどこか懐かしく、それでいて新しかった。


丘を渡る風が強くなり、竜が低く鳴く。

俺たちは肩を並べ、丘を下り始めた。

この先に何があるのかは分からない。

だが、この世界が確かに俺を待っている――そう思えた。


そして俺たちはまた龍の背に乗り、この星の大地と空の上を駆けるのだった。




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▼ 登場キャラクター紹介



■ ユウキ・カザカミ

・種別:物語の主人公。人間。

・出身:地球(別の星系に属する惑星)。

・特徴:記憶をほとんど失っており、この世界で目覚めた直後は自分の来歴すら曖昧だったが、「地球」という生まれの記憶だけは残っていた。

・経緯:数百年前にこの星に来たが、何らかの理由で「死んだ」状態になり長く時を越えて蘇生。かつてアリシアと深い関係にあったらしいが、その記憶は欠落している。

・性格:軽口を叩くこともあるが、心の奥底には不安や孤独があり、それを隠すように振る舞うことが多い。

・現在の立場:アリシアに導かれ、この星「フロム」を旅しながら、自分の過去と世界の真実を探っていく存在。



■ アリシア・ヴェルネス

・種別:この星の住人(ダークエルフ族)。

・特徴:長い銀髪と深い瞳を持ち、落ち着いた口調と威厳を漂わせる女性。

・経緯:数百年もの間、ユウキの帰還を待ち続けた。かつて彼と「もう一度会う」という約束を交わしており、その約束を果たすためあらゆる手段を尽くしてきた。

・役割:ユウキの過去を知る数少ない人物であり、この世界の歴史や宇宙の成り立ちにも通じている。彼女の語りから、読者は壮大な背景世界を知ることになる。

・性格:冷静で思慮深いが、内面には非常に強い執念と情熱を秘めている。感情を大きく表に出すことは少ないが、ユウキに対しては時折、長年の想いが滲む。



■ ヴァルゼル

・種別:大型の竜。

・特徴:翼は雲を覆うほど巨大で、全身を覆う鱗は鈍い金属光沢を放つ。動きは優雅で、息は温かく湿っている。

・経緯:アリシアの傍らにあり、ユウキを乗せてこの丘へと運んできた。知性を備えている可能性があり、人語は話さないが意思の疎通はある程度可能らしい。

・役割:移動手段であるだけでなく、アリシアの長き旅路とユウキの過去にも関わっていると示唆されている。戦闘や探索でも重要な役割を果たす可能性がある。

・性格:表情を読み取りづらいが、ユウキにも敵意を見せず、どこか見守るような態度を取る。アリシアとは主従ではなく、長い相棒関係にあるように見える。


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