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第7話 夫婦って何だっけ


ヴァルゼルの背中は、意外にも揺れが少なかった。

もちろん風はビュービュー吹き荒れてるけど、巨大な翼が空気をつかむたびにふわりと浮かび、すっと滑る。

まるで、空そのものが俺たちを運んでくれているような感じだった。


下を見れば草原が風に押されて波打っていた。

ところどころに森の塊や丘のような村が点在し、その屋根の色が小さな宝石みたいに散らばっていた。

遠くには雪をかぶった山脈が連なり、その背後には雲海が広がっている。


……うん、景色は最高だ。最高すぎて頭の中にBGMが流れ出すレベル。


……が、俺の心は景色に全振りできなかった。


(さっきの話、やっぱ気になるよな……)

宿で目覚めた時のこと。

あの時、アリシアはあっさりと「お前は死んだ」だの「蘇らせた」だの、さらっと世界観をひっくり返すようなことを言いやがった。

そのくせ昨日の夜は……いや、その話はやめておこう。主に俺の理性が崩れるから。


俺はたまらず、前を向いているアリシアに声をかけた。


「なぁ、アリシア……ちょっと聞きたいことがある」

「ん? 何だ」

「さっき言ってたよな?“死んだ”って……。あれ、どういう意味なんだ?」


アリシアは振り返らない。代わりに遠くの山を見やりながら、ふっと笑った。

その笑い方は、ちょっと懐かしいものを思い出してるみたいで……余計にモヤモヤする。


「どういう意味か、か……。そうだな、死んだってのは、そのまんまだ。お前は一度、この世界からいなくなった。骨も灰も残らぬほどに」

「ちょ、待て待て待て! そんな死に方、俺、覚えてないぞ!?」

「覚えていないのは当然だ。死人は自分の葬式を覚えていないものだろう?」

「いや、そりゃそうだけど! 俺、今その死人なんだろ!? 幽霊ってことか!? それともゾンビ!? 顔に札貼られてピョンピョン跳ぶタイプか!?」

「安心しろ。跳ねはしない」


サラッと笑いながら言うその声が、どうにも含みがある。

まるで「でもアンタは死人だよ」という事実だけは否定しない、みたいな。


ヴァルゼルの翼が一拍大きくはためく。

そのたびに視界がぐっと広がり、川沿いの村や放牧中の獣人たちの姿まで見える。

美しい景色の中で“死んだ”なんて話を聞かされると、脳が混乱する。まるで観光ドキュメンタリーの途中にホラーのナレーションが混ざったような違和感だ。


「……で、俺はなんで蘇らせられたんだ?」

「理由は単純だ。お前に会いたかった。それだけだ」


まただ。この人、こういうことを平然と言う。

しかも、こっちの心臓に直で来る言い方で。


「……あのさ、会いたいってどういう……」


アリシアはようやくこちらを振り返り、風を切る音の中で静かに言った。


「私たちは元々――夫婦だった」


……。


…………。


………………夫婦!?


脳内で鐘の音が鳴った。いや、鐘っていうかもう非常ベルだ。

「え、俺たち結婚してたの!? いつ!? どこで!? 指輪は!? 結婚式のビデオは!? 両家の顔合わせは!?」

「知らん。そんな俗な記録は残っておらん」

「残しとけよォォォ!!」


ヴァルゼルが大きく羽ばたいたせいで、俺の声は空に吸い込まれ、遠くの雲にぶつかって散っていった。

冗談じゃない。そんな重大イベントを記憶喪失の俺に後出しで言うな。

だってほら、普通、夫婦ってことは、こう……朝起きて「おはよう」って言って、一緒にパンとか焼いて、休日は市場に買い物行って……いや、今そんな妄想してる場合じゃない!


「お、俺ら……夫婦……? ほんとに……?」

「ほんとだ」

あまりにも即答で、逆に逃げ場がない。


風が顔を打つ。下を見れば、水面のように波打つ草原の緑が広がっている。

その穏やかな景色と俺の動揺の振れ幅が、あまりにも釣り合っていなかった。




切り立つ山脈は、まるで大地がそのまま天へ向けて拳を突き上げたかのようだった。

雪化粧をまとった稜線が夏の陽の中にきらめく。谷間には雲が溜まり、ゆっくりと流れていく。

ヴァルゼルの大きな翼がその空気を切り裂くたび、冷たい山の匂いと草原の甘い香りがすれ違いながら鼻をくすぐった。


「もうすぐだ」

アリシアがそう言った直後、ヴァルゼルは急降下した。

俺は慌てて鱗にしがみつく。(おいおいおい…ッ! もうちょっと優雅に降りられないのか!?)

それでも竜は容赦なく高度を落とし、最後には丘の上にドスンと降り立った。衝撃で俺の尻が鱗にめり込んだ気がする。


「着いたぞ」

アリシアの声が耳のそばを掠めていく。


降り立った場所のすぐ足元で、丘の草が大きく揺れていた。

その振動が足裏を通して脈のように伝わってくる。息を整えようと深く吸い込むと、空気の温度が変わっているのに気づいた。ここまでの道中で感じた草原の柔らかな匂いが薄れ、代わりに、鉄の錆と、長いあいだ風雨に晒された石の匂いが混じったような、乾いた匂いが鼻先をかすめた。


丘の上は広く、しかし奇妙に静かだった。山脈から吹き下ろす風があるはずなのに、ここだけ空気が淀んでいるように感じる。

遠くでは鳥の声が響くのに、この場所の周囲には一羽も飛んでいない。

その“音の欠落”が目には見えない何かの存在を告げているようで、背筋に冷たい感覚が走った。


アリシアは何も言わず、ただ前を見つめている。竜の背から降りたその姿は、まるでここが“見慣れた場所”であるかのように軽やかな含みを持っていた。

俺もゆっくりと地面に降り立つ。足元の土は固く、踏むたびに小石が靴底で鳴った。


そして――視界の端に、影があった。

最初、それは山の一部かと思った。丘の地形に溶け込み、草木や苔に覆われ、あまりにも自然にそこに在ったからだ。だが、形が違う。曲線と直線が混じり合い、岩でも木でもない輪郭を描いている。

心臓がひとつ、強く打つ。理由は分からない。ただ、その影の奥に、途方もなく古くて重い何かが眠っている――そう直感した。


アリシアはその影へと、迷いのない足取りで近づいていく。

俺はつられるように歩を進めた。風の匂いがさらに強くなる。錆と土、そしてほんのわずかに油の匂い――それは俺がこの世界に来てから一度も嗅いだことのない、異質な匂いだった。


やがて、丘の中央にそれは現れた。




——一機のロボット。



いや、正直、これを“ロボット”と呼んでいいのか迷う。

全高は三階建ての家を優に超え、長い年月を経た外殻は赤茶けた錆に覆われている。

肩の部分からは小さな木が生え、背中には苔がじゅうたんのように広がっていた。

腕は片方が垂れ下がり、もう片方は関節から外れかけていて、今にも落ちそうだ。


近くで見ると、装甲の隙間からは細かい配線や、もはや役割を終えたであろうパイプがのぞいている。

そのどれもが陽光を浴びて輝くというより、時間の重みで沈黙している印象だった。


俺はなぜか、その姿から目を離せなかった。


風が丘を渡る。

山脈から吹き下ろす風は冷たく、草原を渡る風は温かい。その二つが交わって、ここだけ特別な空気を作っていた。

丘の周囲にはピンク色の小さな花が群れ咲き、遠くでは白い鳥が円を描くように飛んでいる。

世界が、静かに息をしている音が聞こえそうなほど、ここは穏やかだった。


……なのに、俺の胸の奥では、何かがざわめいた。


あのロボットを見た瞬間、頭の奥で何かが微かに揺れたのだ。

まるで、埃まみれの引き出しの奥にしまい込んだ古い手紙を、不意に見つけてしまったような感覚。

言葉にならない懐かしさと、得体の知れない切なさが同時に押し寄せてくる。


「……これ、動くのか?」

俺はなんとか声を絞り出す。


「動かん。もう数百年はここで眠っている」

アリシアの声は淡々としていたが、その横顔には一瞬、何かを思い出すような影が差した。


数百年――。

そう言われてもピンとこない。

でも、確かにその機械の体には、何百年分の雨と風が刻み込まれている。

一枚一枚の装甲板の傷や、剥がれた塗装の模様までが、この丘での長い眠りを物語っていた。


俺はゆっくりと歩み寄る。

足元の草がサラサラと音を立て、花びらが風に舞った。

ロボットの足元は巨大な根のように地面に沈み込み、半ば土に飲み込まれている。

その表面に触れた瞬間、ひんやりとした金属の感触と、ほんの少しの湿り気が指に伝わった。


……なんでだろう。

触れた瞬間、頭の奥で一瞬だけ、風を切って走る視界や、警報の音がよみがえった気がした。

でも、次の瞬間にはそれも消え、ただ目の前の静かな機械だけが残った。


「なんか……知ってる気がする」

「そうか」

アリシアは短くそう言っただけで、それ以上は何も語らなかった。


丘の上で、山脈の影がゆっくりと伸びていく。

その長い影は、まるでこの巨大な機械が再び歩き出す瞬間を待っているかのようだった。


俺は、胸のざわめきを押さえながら、もう一度その“眠れる巨人”を見上げた――。


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