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第26話 あー、疲れたぁ⭐︎



空間が鳴った。


石突きが地を擦り、カイルの槍が半円を描いた。

壁面へ叩きつけられた触手が、音を立てて粉塵に埋まる。


「シッ——!」


声と同時。

リリムの足裏が砕けた岩盤を蹴った。

爆ぜる火花。身に纏った電流が、細長い脚から腰へと駆け上がる。

全身が矢となり、敵の仮面へ一直線に走る。


敵は意識はすでにリリムの影を捉えていた。


黒肉がうねり、周囲の触手が“まとめて収縮”する。

まるで生体の筋肉が一斉に収縮し、強靭な括約筋のように空間を狭めていく。

空気が悲鳴をあげる。

視界そのものが歪み、通路が塞がる。


(……速すぎる。直線じゃ潰される!)


リリムの視界が、網に閉ざされた。

仮面まではあと数メートル。

そのわずかが遠い。



瞬時に、カイルが動く。


槍を逆手に取り、柄を横へ叩き込む。

膝を沈め、重心を落とす。

腰椎から肩へ、筋連鎖を解放するように。

――その一撃は、ただの“打撃”ではない。


触手の収縮の流れに、“逆らう”角度で。

進行方向に対し、ほんの数度ずらした“抵抗点”を与える。


結果。

触手の群れが一瞬だけ“もつれた”。

流れる川に石を投げ込むように、力の流線が乱れる。


「リリム、通せ!」


空間に裂け目が生まれた。


リリムはそこを突く。

両腕を絞り、身体を矢のように折り畳む。

脚の腱が軋み、全身が針のように細まる。


――突破。


頬を掠める刃の風。

皮膚が裂ける。血が舞う。

だが、——止まらない。


距離、二メートル。


仮面の表面に、ひび割れが走る。

そこから覗く黒肉が脈打つ。

虚禍は理解している。

そこを狙われれば、——致命だと。



触手群が反転する。

収縮から、一斉に“突き”へ。

乱れた流れを再び束ね、リリムを串刺しにせんと迫る。



「――オラァッ!」


カイルの叫び。

槍が閃く。

今度は“突き”ではなく、石突きを地へ叩きつける。

跳ね返る反動で、柄が弓のようにしなり、リリムの頭上を払った。


その刹那。

触手群の一角がカイルの動きに引きずられ、わずかに開いた。


そこが――道。


リリムは肩を落とし、腰を捻る。

軸脚を地に沈め、もう片方を“刃”として振り抜く。

空気が裂ける。

紫電が、尾を引く。



仮面まで、あと一歩。



「ッ――!!」


振り下ろされる触手。

斜めに走る裂傷。

視界が赤に滲む。



肺を絞る。

呼吸を捨てる。

体幹を一点に収束させ、全てを拳へ。



肘、肩、背骨、腰、脚。

その全てが、同一の軸を描き、螺旋の力へと変換される。


――打突。


拳が仮面に叩き込まれた。


瞬間。

空間が鳴る。


石が震え、粉塵が弾け飛ぶ。

仮面に走る亀裂が、蜘蛛の巣のように広がった。

黒肉が悲鳴をあげるかのように波打ち、影の触手が痙攣する。


「……ッ、砕けろッ!」


リリムの声。

拳をさらに押し込む。

骨が軋む。皮膚が裂ける。



――そして。


仮面の中央に、大きな破断音が走った。

亀裂が繋がり、一枚の殻が砕け落ちる。


舞い散る白片。

その奥で覗いたのは、“本性”の眼孔。

白濁した瞳が、こちらを見返していた。






空気が裂けるような轟音が谷間を揺るがした。

リリムの双剣が虚禍の仮面に深々と食い込み、亀裂が走った瞬間――それは断末魔の咆哮を上げた。


骨の軋むような音と共に、白い仮面は粉々に砕け散る。仮面を失った虚禍の躯は、支柱を抜かれた建物のようにぐらりと傾ぎ、空間そのものを腐食させる零子を撒き散らしながら、崩れ落ちていった。


黒影はもはや形を保てず、煙のように揺らめきながら溶けていく。仮面の下にあったはずの“顔”は存在せず、残骸の全ては虚無へと還るようにして消えていった。


谷間を覆っていた圧力が嘘のように消え失せ、耳鳴りだけが余韻として残った。

虚禍が存在した痕跡は、岩肌に刻まれた爪痕と焦げたように黒ずんだ地面、そして漂う鉄の匂いだけだ。


勝利の実感というよりも、ただ「災厄が通り過ぎた」だけ――そんな感覚だった。

戦場はひどく静まり返り、風が岩壁を撫でる音すらやけに大きく響いた。


俺は言葉を失っていた。

人が、人じゃないものと戦い、そして倒す。その光景を目の当たりにして、何をどう言葉にすればいいのかまったくわからなかった。


虚禍が崩れていく最後の瞬間、確かに空気そのものが悲鳴を上げていた。世界の理が一瞬だけ歪んでいたのだ。

……これが、この世界で戦うということなのか。


呆然と立ち尽くす俺の頭を、ポン、と軽い音が叩いた。


「おい、魂抜けてるぞ」


アリシアだった。

銀髪が陽の光に照らされて煌めき、なんかもう現実感がさらに希薄になった。


「あ、ああ……」

思わず空返事が漏れる。魂どころか、俺の中で“常識”というやつが全部吸い取られてどこかに飛んでいった気がする。


そんな俺の視界の端で、戦いを終えたリリムが「ふぅ~……」と息を吐き、次の瞬間。


「あー、疲れたぁ⭐︎」


……星マークが見えた気がした。

さっきまで雷光のように虚禍を切り裂いてた女が、今や地べたにぺたんと座り込んでスマホいじり出すギャルと大差ない雰囲気になってるんですけど!?

その落差、誰か説明してくれ。


「……なんなんだこの人」

俺は思わず口に出してしまった。


「そういうやつだ。慣れろ」

アリシアが苦笑混じりに返す。いやいや、慣れるもんかこんなの。


すると、少し離れた場所から声が上がった。


「――姉さん!」


槍を手にした男、カイルだった。

戦闘の最中には見せなかった緊張を解いた顔で、まっすぐアリシアに駆け寄ってきた。


「来てたんですね」

「ああ。少し心配でな」

「…また後で報告するんですが、今回現れたやつはここら辺の地域では報告されていないヤツで…」

「だろうな。見た感じ、恐らく他のギルドでも捕捉されていないヤツだろう」

「…あっ、ここに来る途中にチームの奴らを見かけませんでしたか!?」

「心配するな。救護班はすでに呼んである。ここにすぐに到着するはずだ」


アリシアは落ち着いた声で告げる。その声音は戦場の冷気を一瞬で溶かすような、頼れる響きを持っていた。


カイルはほっと息を吐きつつも、視線はすぐに岩陰に倒れ伏す仲間たちへと向けられる。

――そうだ。ここにはまだ、戦いに敗れ、命を繋ぎとめている者たちがいた。


「救護班が来るまで、応急手当を頼む。できる範囲でいい」

「もちろんです!」


アリシアの言葉を待つまでもなく、カイルはすでに駆け寄っていた。

彼の仲間たちがこの場で必死に耐えていたからこそ、リリムに救援要請が届いたのだ。仲間を放っておけるわけがない。


カイルの背中を見送りながら、俺はまた現実に引き戻されていく感覚を覚えた。

さっきまで異形と雷鳴がぶつかり合う「非現実」を見ていたはずなのに、その直後には人間の温もりと必死さが目の前にある。


この世界は、なんていうか……振れ幅がデカすぎる。

そしてその渦中に放り込まれてる俺は、ますます置いてけぼり感が増していくのだった。


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