第18話 腹から声を出せえええ!
——地獄って、たぶんこんな感じなんだと思う。
朝だ。いや、俺にとっては「夜通しカラオケでオールした翌日の朝」みたいなもんだ。眠気と疲労で半死半生。
なのに今俺はなぜかギルドの広場で、グラドに追い立てられながら走らされている。
「腹から声を出せえええ! ハアッハアッハアッ!」
「……おええええええ! 出てるよ! いろんなもんが腹から出そうだよ!」
全力疾走を強いられる俺の横で、グラドは鎧を着込んだまま笑っている。あの巨体で、どうしてそんな軽快に走れるのか意味がわからない。物理法則に対する冒涜だ。
さらに追い打ちをかけるように、ライラが後ろから冷ややかな声を飛ばす。
「遅い。お前、それでも戦士か?」
「いや、俺は戦士じゃない! 素人! ただの素人です!」
「……開き直るな。戦場では即死するぞ」
「だから嫌なんだよおおおお!」
俺の悲鳴は潮風に乗って遠くまで響いたに違いない。
ランニングが終わったと思ったら、次は木剣を渡されて「模擬戦だ」と言われた。
「ちょっと待て! 俺、木刀すら触ったことないぞ!」
「大丈夫だ。木だから死にはせん」
「死にはせんって……! 逆に“死ぬ可能性はある”って聞こえるんだけど!?」
そんな俺の抗議は、もちろん無視された。
グラドは木剣を片手に構え、豪快に笑う。
「遠慮はいらん! かかってこい!」
「無理無理無理! だってお前絶対ガチで殴ってくるだろ!」
「当然だ!」
「認めたああああ!」
結局、俺は数秒後に木剣を吹き飛ばされ、地面に転がった。痛い。腕が痺れる。呼吸もままならない。
それを見下ろしてライラが言う。
「駄目だな。今のお前は、ただの荷物だ」
「ひ、ひどい! せめて“新人”って言って!」
「新人と荷物の違いを証明してみせろ」
「ブラック企業かここは!」
昼になり、俺は汗だくで食堂に突っ伏していた。
出されたのは大盛りの肉とスープ。グラドは嬉しそうに皿を山積みにし、ライラはあっさりとした魚料理を食べている。
「食え。戦士は食って強くなる」
「俺は戦士じゃ……いや、これ以上言うとまた怒られるやつか……」
肉を噛み締めながら、俺はふと考えた。
——俺、本当にここで生きていけるのか?
記憶がない。戦う術もない。なのに所属したのは“虚禍討伐部隊”。よりにもよって、世界で一番ヤバい怪物を相手にする部署。
聞く限りとんでもない化け物たちに俺が立ち向かう未来なんて、想像しただけで白目になりそう。
でも——。
アリシアが言った。「従っていれば生きていける」と。
その言葉に縋るしかない俺は、結局、この地獄の研修を耐えるしかなかった。
午後の訓練はさらに過酷だった。
「虚禍を想定した模擬戦を行う!」
「ちょ、まだ飯消化してないんだけど!?」
広場に設置された木製の虚禍人形。牙と爪を模した不気味な造形物だ。俺は盾を押し付けられ、前に立たされる。
「前衛はお前だ」
「無理無理無理無理! 俺、盾持ったことない! ってか重っ!」
「慣れろ」
その瞬間、木人形が機械仕掛けで動き出した。ギルドの技師が作った訓練用らしいが、動きが妙にリアルで怖い。
俺は半泣きで盾を構えたが、木の腕が振り下ろされた瞬間——。
「ぎゃああああああああ!」
盾ごと後ろに吹っ飛んだ。
「……これでは虚禍に出会えば即死だな」ライラの冷酷な判定。
「最初からわかってたことを言わないで!」
その後も過酷なトレーニングを強いられた俺は、全身ボロボロになりながら地面に大の字で倒れていた。
青い空を見上げ、潮風に揺れる街並みを感じながら、心の奥でつぶやく。
(……これ、ほんとにやってけるのか?)
隣でグラドが爆笑し、ライラが冷たい視線を向ける。
俺はもう一度、天を仰いだ。
——これからの日々が、本当に恐ろしい。
***
数日後。
オレはすでに死んでいた。いや、正確には「生きながらゾンビ」ってやつだ。
干からびたカエルのミイラよろしく、廊下を移動するだけで「う゛〜〜」と呻き声が出る。訓練の名の下に、朝から晩まで走らされ、殴られ、海に落とされ、気付いたら担がれて宿舎ベッドに投げ込まれる日々。
「……人って……三回くらい死ねるんだな」
そんな哲学めいたセリフを口走った瞬間、ガチャリと部屋のドアが開いた。
「ちーっす☆ アタシ、新任講師のリリアっしゅ〜!」
金髪。
いや、正確には陽光で輝くプラチナブロンドの髪を腰まで流し、黒曜石のような褐色肌に、尖った耳をこれでもかと主張させた……そう、どこかで見たことがある種族、——ダークエルフだ。
ただしアリシアのような荘厳さは一切なく、代わりにビーチでサングラス振り回してそうなテンション。制服は着ているはずなのに、なぜかギャル服に見えるのはきっと幻覚。
「えーっと、どちら様ですか……?」
「アタシはアリシア様の直弟子っす! でね? 今日からユウっち(※ユウキのこと)担当の専属コーチやるから、よろぴく〜!」
……待て。専属? コーチ?
つまりこのゾンビ生活に、さらに専任監督官が付くってことか。
「……いや、あの、これ以上しごかれるとマジで死ぬんだが」
「え〜? ゾンビるのはむしろ伸び代ってやつじゃん☆ てか、まだ“律”の基礎すら知らないとか、逆に奇跡だし!」
リツ。
今さらっと口にしたけど、何それ? 食べ物?
「……あの、リツって、律儀の“律”とか?」
「はぁ〜!? ユウっち、マジ卍〜! 律は宇宙のリズムっしょ! 存在と意志と物語をミックスしてドーン☆ って力ね」
「ドーン☆って……説明になってねぇ!」
彼女は机をコンコン叩きながら、ノリノリで続けた。
「例えばさ、ユウっちが“走りたくねぇ、ダルい”って思ってる時と、“おれ今めっちゃ走りてぇ!”って思ってる時、どっちが速く走れると思う?」
「……そりゃ後者だろ」
「それが律圧。存在感の強さで、周りに干渉しちゃうパワーなわけ☆」
なるほど? いや、待て、なるほどじゃねえ。存在感でパワーが決まる?
それって要は「やる気」じゃないのか。
「あとね、ユウっちがゾンビっててもまだ歩けるのは、律量が残ってるから〜。ガス欠になったらマジで倒れるんで、そこ大事!」
「え、律って燃料タンクみたいなもんか?」
「ちがうっしょ〜! ガソリンじゃなくて、“オマエ自身の物語”が動力源ってこと!」
うん。分かるようで分からない。ギャル語のせいで頭に入ってこねぇ。
「でさ、ユウっちの律域が広がれば、世界そのものに自分の譜面を流せるわけ。マジでステージのセンターって感じ!」
「ステージ? ライブ?」
「そそ! 律ってのは“宇宙のDJ権”みたいなもん☆ 自分のノリを空間に流し込んで、相手のビートを上書きするバトルなの!」
……なんか、急に格好よく聞こえたぞ。
彼女は両手を広げ、きらきらした目で締めくくった。
「つまり〜、律とは! 存在そのものをトラックに乗せて、世界にリリースする最強スキルってこと☆ ユウっち、これからバリバリ上げてこ!」
「……」
「ん? どした?」
「ごめん、もう一回最初から」
結論。ゾンビ状態の脳みそに、ギャルのハイテンション授業は毒だった。