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第1話 謎のダークエルフ美女




——冷たい。


頬に当たる空気がやけに冷たい。

それよりも、なんかこう……ぬくぬくしてて、柔らかくて、しかもあったかいものが肌に触れてる。え、ちょっと待て、肌? 服は? 俺、今、服着てる?


がばっと目を開けた。

見えたのは、見覚えゼロの木の天井。粗い木材がむき出しで、ところどころに亀裂が入っている。外からは馬のいななきと人のざわめきが、ガタガタと揺れる車輪の音に混じって聞こえてくる。

……あー、少なくとも俺の部屋じゃねぇな。っていうか、俺の部屋ってどこだ? てか俺、誰?


頭ん中が霧みたいにぼやけてる。まるで酒樽に頭から突っ込んで三日三晩ぐるぐる回された後、みたいな気分。いや、そんな拷問されたことはない(はず)だけどな。


とりあえず上体を起こそうとした瞬間、布団がずるっと落ちて、冷気が肌に直撃。

で、見ちまった。

俺の上半身が——見事に裸であることを。


「……は? え? えええ?」


心臓がドドドと暴れ出す。いやいや落ち着け俺、これは夢だ。夢ってことにしよう。目が覚めたら、味気ない木のベッドと——


……視界の端に、銀色の何かがひらひら。


そっちを見た瞬間、思考が真っ白になった。


隣に、誰かが寝てる。

銀白の髪が枕にふわっと広がって、月明かりみたいに光ってる褐色の肌がシーツの間からのぞいてる。耳が……尖ってる。うん、これ人間じゃないな。


そして——見間違いじゃない。彼女も、裸だ。


「……えええええぇぇぇっ!?」


脳内で鐘がガンガン鳴り響く。いや、たぶん声にも出てた。

近くで見ると、顔の造形が信じられないレベルで完璧。長い睫毛、形のいい唇。寝息も静かで、完全無防備。……おいこれ、本当に大丈夫か俺。やらかしてないか俺。


いや待て、昨日のことを思い出せ。……昨日? 一昨日? てか今、何日だ?

ダメだ。思い出せるのは、自分がどこか遠い昔に生きてた感覚だけ。名前すら出てこない。


「はぁ……」


ため息ひとつ。改めて彼女を見る。

……やべぇ、芸術品かよ。褐色の肌と銀の髪のコントラストが目に焼き付く。尖った耳——あれだ、物語でしか見ないエルフってやつ。しかも褐色ってことは……ダークエルフ?


「いやいやいや、落ち着け俺。まず服を着よう。話はそれからだ」


そう思って布団をめくろうとして——固まった。

……下も?


心臓が跳ねる。いやこれは絶対誤解だ。何も起きてない……多分。


その時だった。

彼女が寝返りを打って、腕がこっちに伸びてきた。細い指が俺の腹にちょん、と触れる。ひやっとした感触に全身がびくっと跳ねた。


でも、彼女はまだ眠っている。穏やかな寝顔で、すうすう呼吸してる。


「……やっぱ夢だろ、これ。こんな現実あるわけ——」


自分に言い聞かせつつ頬をつねったら……痛い。

現実だ。俺は今、本当に裸でダークエルフの美女と同じベッドにいる。


……俺の人生、どこでこうなった。






「……落ち着け俺」


脳内で自分に命令を下す。いや、命令を下したところで、肝心の“俺”って誰だっけ状態なのが最大の問題なんだけど。


目の前には相変わらず銀髪褐色の超絶美女。まだすやすや眠っている。

心臓は未だマラソン選手ばりに全力疾走中だが、これ以上この寝顔を見つめ続けたら理性が転落死するのは確定なので、そろそろ視線を外すことにした。


——記憶だ。記憶を思い返せ。


昨日……いや、昨日っていつのことだ? 昨日の定義がすでにあやしい。

とりあえず、ほんのりとした断片だけが浮かぶ。


あの部屋、このベッド——

……だめだ、これ以上思い出そうとすると、脳内に謎の自主規制フィルターが作動する。映像がモザイク化され、音声は「ピー」だ。おい、俺の頭の中の放送倫理委員会、仕事が早すぎる。


「くそっ……せめて年齢とか名前とか、そういう無害な情報を……」


考え込むが、出てくるのは「俺は男」「たぶん成人」「健康体」ぐらいの粗いプロフィール。履歴書どころか名刺にもならない。


仕方なく、部屋を見回す。

木造の部屋で、家具は最低限。ベッド、机、椅子、戸棚。そして、窓。


「……とりあえず、環境確認だ」


そろそろ室内の酸素濃度が緊張と美人成分でヤバくなってきた気がしたので、窓に向かう。


ギギギ……と音を立てて窓を開けた瞬間、冷たい風と一緒に、とんでもない光景が飛び込んできた。


「おおお……!」


目の前に広がっていたのは、石造りの広い街並み。

高い尖塔や、赤茶色の屋根を持つ建物がぎゅうぎゅうに並び、遠くには巨大な城壁。空には二つの月がぽっかりと浮かび、太陽の光と混ざって不思議な色の空を作り出している。

石畳の通りには人、人、人。しかも人だけじゃない。耳の長い種族、獣の耳や尻尾を持つ者、背中に羽を生やした小柄な影……。まるでファンタジーゲームのキャラ総出演状態だ。


「……やっぱりここ、俺の知ってる世界じゃないよな」


いや、俺の知ってる世界がどんなだったかも怪しいんだけど、少なくとも二つ月がある時点で地球じゃない。


感動と混乱が同時進行で胸に押し寄せる。

けれど、このまま風景に見とれていたら、美女の寝起き顔を見るという貴重なイベントを逃すかもしれない。……いや、それ以前に俺、自分の顔すら知らないんだった。


「……鏡、鏡……」


部屋を探すと、机の端に小さな姿見が置かれていた。

ゆっくりと近づき、そっと覗き込む。


「……誰だお前」


反射的にそう口に出た。

映っていたのは、黒髪に黒い瞳の青年。髪は肩まで伸び、少し無精な感じ。顔立ちはまあまあ整っている……と、自己評価では思う。けど、本当に“俺”なのか確信が持てない。

頬をつねってみる。鏡の中の男も同じ動きをする。痛い。つまり本物。


「うーん……記憶喪失のテンプレってやつか……?」


思わず鏡に向かって独り言を言ってしまう。

けど、名前も年齢も出てこないのはやっぱり不安だ。もし外に出ても、自分のことを説明できない。パスポートも身分証もなし。いや、この世界にそんなもんあるのかもわからないけど。


試しにいくつか単語を呟いてみる。

「剣……魔法……リンゴ……税金……」

言葉は普通に出てくる。つまり言語能力は正常。だけど、個人的な記憶だけがすっぽり抜け落ちてるらしい。


「……ってことは、俺は“誰でもない誰か”ってやつか」


急に詩人みたいなことを言ってしまい、鏡の中の自分と無言で見つめ合う。なんか気まずい。


と、その時——背後から布の擦れる音がした。

振り返ると、ベッドの美女がもぞもぞと寝返りを打っている。まだ完全には目を覚ましていないようだが、その長い睫毛がぴくりと動く。


「や、やば……これ絶対話しかけられる流れじゃん……!」


心臓がまたドドドと鳴り出す。

俺は鏡の前でなぜか背筋を伸ばし、まるで面接前の学生のように挙動不審になっていた。



よし、落ち着け。美女の寝返りや寝息に気を取られている場合じゃない。

まずは状況整理だ。何か手掛かりがあるかもしれない。


部屋の隅に置かれた小さな戸棚と、椅子の背に掛けられた布袋らしきものが目に入る。

……俺の荷物か? それとも彼女の?

いや、持ち主不明だが、今は背に腹は代えられない。俺のプライバシーなんて失われたも同然だし(というか記憶ないし)、多少の罪悪感には目をつぶる。


ガサゴソ……と袋を開けると、中から出てきたのは——

黒いマント、謎の紋章が刻まれた革袋、乾いたパンみたいな固形物、そして見覚えのない金貨。

財布らしきものはあるが、身分証は……ない。


「……なんもねぇな」


革袋を開けると、中から小さなビンが三本。赤い液体、青い液体、紫の液体。

見た目が完全にファンタジーゲームのポーションだが、ラベルも説明書もない。

下手に飲んだら死ぬやつかもしれないので、そっと戻す。


戸棚の中も一応漁ってみるが、中身はタオルと布切れと古びた靴だけ。

……つまり俺は、記憶ゼロ・身分証ゼロ・状況説明ゼロの三重苦。

旅人どころか、不法入国者よりタチが悪い存在かもしれない。


「……これ、詰んでない?」


ベッドと机の間でしゃがみ込み、頭を抱える。

考えれば考えるほど詰み将棋みたいに道が塞がっていく。

あーでもない、こーでもない……外に出るべきか、でも裸だし、服はどれが俺のかわからないし——


その時だった。



「……なんだ、目が覚めたのか」


低く、よく通る声が背後から飛んできた。

ビクリと肩が跳ね上がる。ゆっくりと振り返ると——


そこには、ベットに横たわっていたダークエルフ美女がいた。

長い銀白の髪がさらりと流れ、鋭くも美しい蒼の瞳がこちらを射抜く。

……そして、何よりも目を引くのは——いや、目を引かざるを得ないのは、何も隠していない上半身であった。


「ぶふっ!?」


危うく鼻から赤い液体を放水しそうになり、慌てて顔を背ける。

いや、視界の端に入るだけで破壊力が高すぎる。

思わず三歩ほど後ずさり、両手をぶんぶん振って抗議する。


「ちょ、ちょっと! 少しくらい隠せよ!? なんでそんな……堂々と……っ」


「なんでって、お前、昨日はあんなに激しかったくせに、今さら何を照れてるんだ?」


……あ?

あんなに、何?

おい俺の脳内フィルター、今だけは仕事するな! その記憶を開放しろ!!


だが無情にも、記憶の扉は固く閉ざされたままだ。

代わりに頭の中で「ピーーー」という規制音が響くだけ。

くそ、これは絶対に重要な場面だろ。


「お、おれ……昨日のこと、全然覚えてないんだけど……」


そう言うと、彼女はわずかに眉をひそめ、口の端をにやりと上げた。


「へぇ……都合のいい記憶喪失だな。じゃあ教えてやろうか?」


「いや! やめて! 心の準備が——」


「昨日お前はな——」


「やっぱやめて!!!」


俺は慌てて耳をふさぐ。

この状況、精神的ダメージがでかすぎる。

しかし、耳をふさいだところで、目の前の視覚的暴力はどうにもならない。

視線をそらすにも限界がある。


そんな俺の狼狽なんてまるで存在しないかのように——彼女はベッドの端に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。

その動きは流れる水のように滑らかで、窓から差し込む朝の光が銀白の髪を淡く輝かせる。

細く長い首筋、なだらかに続く肩のライン、引き締まった腹部——その褐色の肌は、まるで磨かれた古代の青銅のように滑らかで温かみを帯びていた。

ただ美しいだけじゃない。全身に宿るのは、戦場を生き抜いた者だけが持つ“揺るぎない自信と気高さ”だった。


……おいおい、こっちは朝から心臓が限界突破しそうなんだけど。

いや、というか既に脈拍計があったらアラーム鳴ってるレベルだ。


彼女は俺の緊張など気にも留めず、裸足のままテーブルへと歩み寄る。

木製の卓上には、半透明の陶器の水差しと杯が置かれていた。

差し込む朝日を受けて水は青白く光り、まるで氷湖のかけらを閉じ込めたように冷たそうだ。


彼女は杯に注ぐこともせず水差しをそのまま持ち上げ、喉を鳴らして一気に飲み干す。

その豪快な仕草はまるで長旅から戻った傭兵のようだが、飲み干した後に唇の端から一滴だけ水が滑り落ちる様まで妙に絵になってしまうのが腹立たしい。


そして、何事もなかったかのようにベッドの下へ片足を伸ばし、黒革の下着をつまみ上げた。

腰に視線をやるまいと必死に目を逸らすが、動きの一つひとつがやたらと優雅で、どうしても視界の端に入ってしまう。

あれだ、読んじゃいけない看板の文字を無意識に読んでしまう現象と同じだ。


脚を通し、腰骨に沿って下着を引き上げる一瞬、背筋がすっと伸びる。

その立ち姿には、まるで鎧や剣を扱う戦士のような凛とした風格が漂っていた。

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