黄金と白銀
楽しい夕食のひとときは、突然の爆発音によって破られた。
「あら、騒がしいわね」
爆裂魔法の一撃でも、館の外壁は傷ひとつついていない。
奥方は優雅にナイフで肉を切り、フォークで口に運んだ。
「今日もいい味ね、ゲイリー。ワインはモートレットの56年の赤が合いそうだわ」
「用意してございます」
執事は魔法のようにワインボトルを取り出し、奥方のグラスに注ぐ。
奥方はグラスを手に持つと、その鮮やかな色彩に艶然と微笑んだ。
「今日の当番は誰だったかしら」
「グウィネスとヘンリエッタでございます」
「あら」
その名前を聞いた奥方は、憐れみの色を浮かべて息を吐いた。
「運のない侵入者ね。よりによってあの二人の日に来るなんて」
「誠に」
それきり、奥方は侵入者への興味を失った。
目算は、完全に狂っていた。
先制の一撃で館を破壊し、開いた穴から一気に踏み込む予定だったのだ。
だが、高位の魔法使いが十人がかりで放った儀式魔法の一撃でも、館には傷ひとつついていない。
どれだけの防御が展開されているのか。
アンガスは、この依頼を引き受けたことを後悔し始めていた。
「仕方ない、正面から踏み込め」
ガヴィンとケネスが、先頭を切って駆け出していく。
北部でも名の知れた戦士である。
あの二人が先駆けならば、とアンガスも気を取り直す。
ここであの魔女を殺さないと、北部は大陸から来た異民族に滅ぼされかねない。
「面会のご予約はございますか」
扉を開けると、そこには二人のメイドが控えていた。
一人は金の巻き毛に青い瞳の女性で、豊満な肉体に似合わぬサイズの小さなメイド服をまとっている。
もう一人は長い銀髪のスリムな身体の女性であり、正統派の長いメイド服を着ていた。そして、なぜか目を閉じている。
「油断するな」
ガヴィンが軽やかに宙を駆け、金髪のメイドに斬りつける。
だが、金髪は避けもせず、獰猛に笑った。
ガヴィンの剣が、粉々に砕け散った。
唖然としたガヴィンが、宙で足を止める。
その鳩尾に、金髪の右拳が深々と突き刺さった。
毬のようにガヴィンは吹き飛び、扉を越えて庭を転がっていく。
「お客様に乱暴はいけませんよ、ヘンリエッタ」
「うっさいなあ、グウィネス。どう見ても客じゃねえだろうが」
ヘンリエッタの唇から、牙がめくれ上がる。
その全身から膨れ上がる闘気に、思わずケネスは慄いた。
「魔女の館の戦闘メイド……貴様が獅子の獣人、黄金のヘンリエッタか」
「よく知っているじゃあないか!」
ヘンリエッタの右掌に闘気が集約される。
危機を感じ取ったケネスは、咄嗟に横っ飛びに躱す。
その横を、闘気の渦が螺旋を描いて通り過ぎていった。
ケネスの後続の戦士が数人、巻き添えを食って吹き飛ばされていく。
「埃を立てないでください、ヘンリエッタ。掃除するのが大変ですよ」
「無茶言うな。じゃあお前なら静かにできるってえのかよ」
「当然、奥様に仕えるメイドならば、こう優雅に賊を撃退してこそですよ」
立ち上がろうとしたケネスは、不意に金縛りに合って身動きが取れなくなる。
ゆっくりと、グウィネスの双眸が見開かれていっているのだ。
紅い虹彩──それを見たケネスは、魂が消し飛ぶような恐怖を覚えた。
「──銀髪の吸血鬼、邪眼のグウィネスか……! これほどの魔力の持ち主とは……!」
「震えているのですね。──かわいい顔をしておいでではないですか。でも、もうその舌も凍る」
グウィネスの邪眼が魔力を帯びる。
なんとか逃げようとしていたケネスであったが、完全にその動きが止まる。
その心臓から鼓動も消え、呼吸もまた止まった。
「──ケネス、無事か!」
そこに、アンガスが飛び込んできた。
聖剣を一閃、邪眼の呪縛を断ち切る。
ケネスは床に両手を付くと、酸素を求めて荒く呼吸を繰り返した。
「北部の英雄アンガス様ですね。本日はまたいきなりのご訪問、いささか無作法ではございませんか」
「黙れ、吸血鬼! 魔女の手先が、作法を語るな!」
アンガスの後ろから、替えの剣を手にしたガヴィンも現れる。
ある程度回復したのか、その歩みに澱みはなかった。
「へえ……今日の客は生きがいいじゃないか。グウィネス、あの英雄とやらはあたしがもらうよ。あとの二人は好きにしな」
「調度を壊したらだめですよ、ヘンリエッタ」
「知らねえなあ!」
猛然とヘンリエッタが突進する。
左右の連打を、重そうにアンガスは受け流した。
剣を持つ分、アンガスの方が間合いは長い。
だが、大柄な上、闘気をまとうヘンリエッタは、予想以上に長い間合いを感じさせる。
「ガヴィン、彼女の目を見るな!」
一方、グウィネスと対峙するガヴィンに、顔を背けつつケネスが声をかけた。
この吸血鬼の魔力は、想像以上である。
ことによると、館の魔女以上に危険かもしれない。
「相手の目を見ないとは、失礼な訪問者ですね。──ですが、無駄ですわよ」
グウィネスは親指を人差し指をこすり合わせると、ぱちんと弾く。
その指先から甘く蠱惑的な香りが漂うと、ガヴィンとケネスは強烈な欲求に襲われた。
「──な、んだ……これは」
「ぐう、抗えない……!」
背けていた顔が、徐々に正面に向き直ってくる。
二人の表情は、色情に囚われた犬のようであった。
「ほら、もう他に目を向けるなどできはしない──。そのまま、永遠の夢をお楽しみになるのがよろしいかと」
グウィネスの瞳が妖しく輝く。
ふらふらと歩き出した二人は、灯りに誘われた蛾のようにグウィネスの許に向かった。
銀髪のメイドは氷のような微笑を浮かべると、繊手を伸ばしてガヴィンの喉に当てる。
「あ……が!」
若く張りのあったガヴィンの肌が、みるみるうちに萎びて皺だらけになる。
対して、グウィネスの肌は一層その輝きが増した。
「ふう……若い男の生気はまた格別ですこと……。でも、もう一人残っておりますわね」
「く……ガヴィン……! あああ、わわわ!」
舌を噛み切ってなんとか正気を取り戻したケネスは、慌てて銀髪の吸血鬼から逃れようとする。
だが、すでに遅かった。
ケネスは、もうグウィネスの手に落ちていたのだ。
吸血鬼の影が伸びると、ケネスの足を摑む。
転倒したケネスに、優雅にグウィネスが歩み寄った。
涙を浮かべて震え上がるケネスに、グウィネスは優しくささやく。
「さあ、お眠りなさい」
伸ばされた腕に、ケネスは意識を手放した。
ガヴィンとケネスの異様な死に様に、さすがの英雄も戦意を失った。
この獅子の獣人だけでも、自分の手には余りそうだ。
この上、吸血鬼に本命の魔女。
どう考えても倒せる戦力は残っていない。
「く……魔女の戦闘メイドがこれほどとは……」
「逃げたそうにしているなあ、英雄! だが、もう遅え。逃げ道は、グウィネスが塞いでいるぜ!」
咆哮とともに右拳が降ってくる。
この獅子の獣人は、完全なパワータイプだ。
あの吸血鬼のような異能はないが、闘気をまとった拳の一撃が異常に重い。
聖剣でなければ、とっくに剣を砕かれていただろう。
しかも、防御もまた異様に硬い。
聖剣で斬りつけても、闘気の鎧を貫通できるイメージがないのだ。
「ち……魔女に対する切り札だったんだが……」
アンガスは聖剣を掲げると、魔力を集中させる。
すると、その刃が火に包まれ、長大な紅炎の刃となった。
「おいおい……館の中で火を使うとは、グウィネスの怒りを買うぞ」
「構うものか──館ごと焼き尽くしてくれる!」
剣を上段に構えると、アンガスは床を蹴って飛び込んだ。
燃え盛る剣を振り下ろす。
その一撃は、巨大な熊をも一撃で倒す威力を秘めている。
その必殺の攻撃を前に、ヘンリエッタは嬉しそうににかっと笑った。
「面白え……あたしの拳とどっちが強いか……勝負だな、これは!」
ヘンリエッタの右拳が、金色の輝きを放つ。
獣人はその拳を握りしめると、闘気も一緒に凝縮し、一気に下から振り上げた。
赤い炎と黄金の闘気が、空中で激突する。
一瞬の抵抗の後、轟音とともにヘンリエッタは拳を振り抜いた。
聖剣の炎は消し飛び、刃もひしゃげて折れ曲がっている。
アンガスの鎧は砕け、内臓が半分くらい吹き飛んでいた。
その衝撃は天井にも及び、ぱらぱらと破片が床に落ちてきていた。
「──化け物め……。あの魔法でも傷ひとつつかなかった館の防御を貫くとは……」
大の字に横たわったアンガスは、喋りながら激しく血を吐く。
「北部も終わりか……。願わくば、神々が魔女を滅ぼすべく使者を遣わさんことを……」
そこで、アンガスの力は尽きた。
ヘンリエッタは満足そうに頷くと、呵々と笑った。
「いやー、久々にすっきりしたぜ。あたしと真っ向からぶつかってくるとは、北部にも骨のある戦士がいるもんだよなあ」
「ヘンリエッタ、笑ってないで、ごらんなさい、あの天井を」
つかつかと歩み寄ったグウィネスが、ヘンリエッタの首をひねって強引に上を向かせる。
「あれほど壊すなと言ったではありませんか。どうするのですか、あの天井。奥方様に怒られても知りませんよ」
「あ、ありゃ……怒られるかな、あれ」
「今宵はゲイリー様の懲罰が待っていると思いなさい」
柳眉を逆立てて怒るグウィネスに、ヘンリエッタはしょんぼりと肩を落とした。