第6話 受け止めてくれる優しさ
(……私、澪に抱きついて、泣いちゃったんだ。そ、それに、キスも……っ)
澪の腕の中から離れた私は、恥ずかしさで顔を上げられなかった。
でも、胸の奥ではずっと溜め込んでいた何かが、少しずつ溶けていくのを感じていた。
(ほんとに、付き合えたんだ……私たち)
ちらりと澪を横目で観察すると、彼もどこか気恥ずかしげな様子だった。
それをみて、ますます自分たちが恋人になったことを実感する。
ようやく、積年の想いが叶ったのだ。
黙っているだけなのはもったいない。なんでもいいから、澪と話したい。
「全く……鈍い男だとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかったわ」
私の口をついて出たのは、相変わらずかわいげのない文句だったけど、澪は嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。
「来週からは、また迎えに行って、いいんだよな?」
不意に澪が真面目な顔で尋ねてきたとき、胸の奥がほわっと温かくなった。
「また、お説教されたい?」
素直になれなくて、わざと意地悪く返してしまう。
でも澪は、ちゃんとわかってくれた。
「いや、ごめん。迎えに行きます。行かせてください」
「……遅刻したら、許さないから」
澪が下手に出てくれたのをいいことに、私は偉そうにそう言った。
だって、遅れたらその分だけ、一緒にいられる時間が減ってしまうから。
そのあと、澪がお母さんに挨拶すると言い出したときは、照れくさくて遠慮したけど、あいつは頑なだった。
変なところで真面目だと思ったけど、その誠実さが、本当は嬉しかった。
それに、あのとき澪が譲らなかったのは、きっと正しかった。
お母さんが交際を認めてくれたことは素直に安心したし、もっと話し合うべきだという、私たちに一番足りなかったことも指摘してもらえたから。
(そうよね……すれ違うくらいなら、ちゃんと気持ちを言葉にしないと)
そう思ったけど、やっぱりいきなり素直に気持ちを伝えることは難しくて。
「もっと自信を持ちなさいよね。……私が、好きになってあげたんだから」
強がるように言ったけど、本当は不安だった。
でも、澪は真正面から受け止めてくれた。
「そうだな。ちょっとずつ、頑張ってみるよ」
そう言って、はにかむように微笑んだ。
(——ずるい)
そんな表情をされたら、全部許してしまいそうになる。
そして、澪からもひとつだけ、お願いがあった。
「基本的には俺がウジウジしてたせいだから、不満とかほとんどないんだけど……せめて既読はつけてほしかったかな。安否確認になるし」
「うっ……ごめん。でも、それは……」
思わず口ごもってしまう。
「言いたいことあるなら、言ってくれ。お母さんにも言われただろ? 溜め込むなって」
澪の声はどこまでも優しく、温かさに満ちていた。
だめだ。この人相手に誤魔化すことなんてできないし、したくない。
「その、言い訳になっちゃうけど……もし澪が付き合った報告とかしてきたら、立ち直れないから……」
声が震えてしまった。
呆れられるんじゃないかと、怖くて仕方なかった。
でも澪は、優しく、力強く言ってくれた。
「もう、そんな心配しなくていいから」
その一言だけで、どうしようもなく嬉しくなってしまった。
だってそれは、弱い私を受け入れてくれた証だったから。
部活を無断欠席していたことに気が付いて、私が怖気付いたときも、澪は冷静に対処してくれた。
「な、何よ。私ひとりの責任にする気っ?」
冷静すぎることがなんだか寂しくて、思わずそんなひどい言葉を投げかけてしまっても、彼は淡々と状況を説明してくれた。
「冷静に考えろ。サボってた奴がいきなり彼氏連れてきて、こいつのせいで休んでましたって言ってきたら、夏希はどう思う?」
「調子乗んなって、タコ殴りしたくなるわね」
「だろ? だから、俺は行くべきじゃないと思う」
「……そうね」
頭では澪が正しいとわかっていても、もっと寄り添ってほしかった。
そんなわがままな気持ちが、態度に出てしまっていたのだろう。
「……学校までは、一緒に行くからさ」
澪は照れくさそうに、そう申し出てくれた。
「と、当然でしょ。あんたにも責任あるし」
……何よ、その言い方。
(せっかく、澪が優しさで言ってくれてるのに)
すぐに後悔して、慌てて言葉を付け足す。
「……彼氏、なんだから」
言い訳のようになってしまったけど、澪は喜んでくれた。
「何ニヤニヤしてるのよ?」
そうじっとりとした目線を向けてしまったけど、本当にニヤけたいのは私のほうだった。
(本当に、澪が私の彼氏になったんだよね……)
ふと窓の外を見ると、夕焼け空が綺麗だった。
これまでの不安も、涙も、ぜんぶ洗い流してくれるような光。
(また、明日からがんばれそう)
私はそっとつぶやいた。
翌日、澪は宣言通り、他に予定もないのに早起きして一緒に登校してくれた。
それだけでなく、不安げな私の様子を察してか、「やっぱり一緒に謝ろうか?」と申し出てくれた。
嬉しかったけど、私は断った。
好きな人とすれ違っていたなんて、どこまで行っても個人的な事情だ。
澪を連れて行ってもサッカー部の人たちに不快な思いをさせてしまうだけだろうし、何より謝罪とは許してもらうためのものじゃない。
彼に頼らず、私一人で謝ることがせめてもの誠意だと思った。
——詳細までは話していないけど、正直に打ち明けると、部活はやっぱり微妙な空気になった。
そこで助け舟を出してくれたのが、悠先輩だった。
「それだけ想える相手がいるって素晴らしいことだし、夏希はこれまで頑張っていました。これからまた、頑張ってもらえばいいと思います」
その言葉で、私は首の皮一枚つながった。
悠先輩や神崎君などは、私の日頃の頑張りがあったからこそだと励ましてくれた。
多少はそういう側面もあったのかもしれないけど、それならばなおさら、頑張らなければならない。
(許されたわけではなく、執行猶予をつけられたようなものなのだから)
——そんな覚悟なんて、きっと澪にはお見通しだった。
「少しでも危ない感じしたら、強制的に休ませるからな」
手伝いの申し出を断ると、彼はそう言った。珍しく、強引な口調だった。
ちょっと驚いたけど……その頼もしさに、胸がドキンと鳴った。思わず、誤魔化すように話題を変えた。
「それより、予習はしたんでしょうね?」
「えっ? あぁ、バッチリだ」
「ならいいけれど……ちゃんと、責任取りなさいよ」
私がそう言ってウインクをすると、澪はさっと視線を逸らした。
(意識して、くれてるんだ……っ)
安堵と羞恥がない交ぜになって押し寄せてくる。だって、私はそういう意図で言ったのだから。
朴念仁の彼が、そういうことに興味を持ってくれているのか、不安だった。
「よしっ」
澪がそう気合いを入れたとき、その横顔がどこか引き締まって見えた。
(邪念を払ってる? それとも……)
気にはなったけど、そんなことを聞く勇気は、やっぱり出なかった。
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