表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/22

第2話 誕生日② —刹那の不安—

 水族館を出たころには、夕陽が街をオレンジ色に染め始めていた。

 柔らかな風が頬を撫でる中、私たちはゆっくりと近くの公園を散策していた。


 並んで歩く(れい)の手を、存在を確かめるようにそっと握り直す。


(……こんな時間が、ずっと続けばいいのに)


 そんなふうに思った瞬間、胸の奥に、小さな不安がよぎる。


(でも、いつかこの手が離れてしまったら——?)


 ふと、澪の穏やかな横顔を見上げた。

 その気配に気づいたのか、彼がこちらを向いた。


「どうした?」

「な、なんでもないわよ。……ただちょっと、ぼーっとしてただけ」


 誤魔化すように首を横に振ってみせるけど、心の中では言葉が喉元までこみ上げていた。


「——夏希(なつき)


 澪の優しい声が、耳に溶けていく。

 私は自然とそちらを向いていた。


光恵(みつえ)さんにも、椎名(しいな)先輩にも言われただろ。不安とか、ちゃんと伝え合うことが大事だって。……何かあるなら、話してほしい」


 まっすぐな目に見つめられて、私はもう、逃げることができなかった。


「……もし、澪が私を好きじゃなくなったらって……ちょっとだけ、怖くなったの。そんなの、考えても仕方ないってわかってるのに」


 言葉にしてしまうと、なぜか涙が出そうだった。

 そんな私に、澪は一歩、歩み寄る。


「ごめん」


 その一言のあと、私はやさしく抱きしめられていた。


「きゃっ……⁉︎」


 思わず悲鳴のような声が漏れる。

 けれど、澪の腕はただ優しく、柔らかい布のように包み込んでくれた。


「れ、澪……っ?」

「そこまで考えてくれて、嬉しいよ」


 耳元に落とされる声は、まっすぐで温かい。


「確かに、この先のことなんて誰にもわからない。でもさ、あのとき言っただろ? 『幸せにする』って」

「あっ……」


 初めてを捧げたあと、澪はそう誓ってくれた。


「その場の勢いじゃないよ。本気だから」


 澪はあのときと同じように、ほんのりと頬を染め、それでもまっすぐに私を見つめていた。

 熱のこもった瞳に射抜かれ、全身が熱くなってしまう。


(バカ……そんなの、ずるいじゃない……)


 涙がにじみそうになるのを、ぐっと堪えて。

 私は彼の胸元をぎゅっと掴んだ。


「……幸せにするって……澪も、だから」


 一緒に、幸せになりたい——。

 それが、私の偽らざる想いだった。


 澪は目を見開いたあと、嬉しそうに表情を綻ばせた。


「——そうだな。絶対、二人で幸せになろう」


 静かに手を伸ばし、私の涙を指先で拭う。

 そこから伝わってくる熱が、やけにくすぐったい。


「なによ、その余裕……澪のくせに」


 気づけば、そんな文句めいた言葉を口にしていた。

 隣から、やわらかな笑い声が返ってくる。


「夏希が、そうしてほしいって言ったんだろ?」

「う、うるさいわね」


 口ではそういうけど、怒る気なんてさらさらない。

 顔を背けるふりをして、私はくすくすと笑った。


(——ほんと、澪って、ずるい)


 ぎゅっと握り返した手に、そっと指を絡める。


「……ありがと、澪」


 声に出すのは、照れくさかった。

 だから、内緒話をするように囁いた。


 澪はきっと、全部聞こえていたはずだ。

 ちらりと横を見ると、彼は何も言わずに、ただ嬉しそうに目を細めていた。


(これからも、きっと。こんなふうに隣で、笑ってくれますように——)


 夕暮れの光に包まれながら、私たちはもう一度、強く手を繋ぎ直した。




「——あっ」


 並んでベンチに腰掛けていると、澪がふと、腕時計に視線を落とした。


「そろそろ時間かも。行こうか」

「うん」


 どこか緊張した面持ちのまま、私は彼の隣を歩く。

 夕暮れの空に照らされながら、数分もしないうちに、澪が足を止めて前を指差した。


「あそこだよ」


 その指の先には、落ち着いた木目の看板に、控えめなロゴがついたお店。

 中が見えない曇りガラスのドアの向こうに、やわらかな光がもれている。


「……えっ、ここ?」


 思わず、変な声が出てしまった。


(思ったより、ずっと大人っぽい……!)


 急に服装が気になってしまう。オシャレしてきたつもりだけど、ちょっとカジュアルすぎたかも。


(……こんなところに来るなんて、聞いてないんだけど……っ)


 私の動揺を見て、澪が少しだけ笑った。


「大丈夫。そんなに高くないし、雰囲気だけちょっと大人なだけだから」

「そ、そう……ならいいけど」


 緊張は消えないまま、彼の後ろをついていく。

 扉を開けると、ジャズが流れる、落ち着いた空間が広がっていた。


白石(しらいし)様ですね。お待ちしておりました」


 店員さんに案内されながら、私は澪の横顔をチラチラと盗み見た。

 いつもより背筋が伸びていて、視線もキョロキョロと動いている。


(澪も、緊張してるんだ……)


 自分だけじゃないとわかると、少しだけ安心できた。

 案内されたのは、壁に囲まれた半個室のような席だった。


「ごゆっくりどうぞ」


 店員さんが一礼をして去っていくと、自然と二人きりの空間ができあがる。


(……よかった。ここなら落ち着いて話せそう)


 私は心の中で、張り詰めていた糸がほどけるのを感じた。


「やっぱり、こういうところって緊張するな」


 澪が照れたように笑う。


「そうね。でも、いい雰囲気じゃない」

「こういう感じ、嫌いじゃないか?」

「えぇ。ちょっと慣れないけど……でも、落ち着くわ」

「そうか……良かった」


 澪がホッと肩の力を抜き、くすぐったそうに微笑んだ。


「っ……」


 意思とは関係なしに、心臓が跳ねる。

 あと何回耐えられるかのか、そろそろ心配になってくるころだ。


 そんなバカらしいことを考えていると、澪がメニューをこちらに向けてくれる。


「何か食べたいもの、あるか?」

「うーん、特にこれっていうのは……」


 私が言葉を濁すと、澪はにこりと笑ってメニューの一角を指差した。


「じゃあ、これなんてどうだ? 夏希、好きだろ?」

「あっ……」


(覚えてて、くれたんだ)


 そんな些細なことが、どうしようもなく嬉しくて。


「せっかくだし、それにするわ」


 気がつくと、私は微笑んでいた。

 間もなくして、料理が運ばれてくると、澪がジュースのグラスを持ち上げた。


「ジュースだと締まらないけど……夏希。改めて、誕生日おめでとう」

「っ、なによ、急に……」


 そう言いながらも、私もグラスを取り、澪のそれに合わせた。

 カチン、と小さく澄んだ音が響く。


「……ありがと」


 視線を合わせるのが恥ずかしくて、それでも——嬉しくて、胸がぎゅっとなった。




 その後は、二人で和やかに食事を楽しんだ。

 特別な話題があるわけではないけれど、穏やかな時間が流れていく。


 やがて、デザートが運ばれてくる。


「……今日は、本当にありがとう」


 甘い香りのケーキを前にして、私は照れくささを押し殺しながら口を開いた。


「水族館も、公園も、それにこのお店も。……どれもすごく嬉しかったわ。奢ってもらってばかりで申し訳ないけど」


 少し肩をすくめて言うと、澪がふっと笑った。


「誕生日なんだから、当然だろ。それに——まだ『今日』は終わってないしな」

「えっ……?」


 その言葉に、私はきょとんとする。

 時間的な意味だと思いつつも、澪の表情がわずかにこわばっているように見えて、胸の奥がドキッと跳ねた。


(……もしかして?)


 そんな期待を胸に、私は澪の顔を控えめに見つめた。

「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!

皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ