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7.養女は駆けずり回る

 それからは、スコットと過ごす時間が増えていった。と言っても、親子らしい親しい語らいのようなものはろくにない。どちらかというと、先生と生徒の関係に近いかもしれない。


 どうやらスコットは、素人ながらも研究者のまねごとをして暮らしているようだった。専門は植物学で、奥の庭は彼にとって研究室のようなものらしい。だからこそ、奥の庭は立ち入り禁止になっているのだった。


 ただクラレンスは以前、立ち入り禁止の理由について「危険なので」とも言っていた。危険な庭というのがいまいち想像できないが、スコットが手掛けているのならそういうこともあるかもしれない。


 彼は朝食をとった後は、西の離れの一階で集めた研究材料を整理しているか、二階で机に本を広げて考え事をしていることが多い。


 部屋はとっ散らかっていて足の踏み場もないように見えるのに、彼は研究材料と本のありかだけはきちんと把握しているようだった。なんというか、彼らしい。


 私は彼に借りた本を読みながら、彼のそばで過ごす。時折分からない言葉を彼に尋ねて、また読書に戻る。


 正直な話、身近な植物なんかについてわざわざ研究している人間が存在するという事実には驚かされた。私が生まれ育った町でも、渡り歩いた貴族たちの屋敷にも、そんな人間はいなかったから。けれどこうして学んでみると、案外面白いものだった。


 昼食の時間になったら作業を中断して、食堂に戻る。午後はそれぞれ好き勝手に過ごし、また夕食時に集まる。毎日が、だいたいこんな感じの繰り返しになっていた。


 単調だし刺激は全くないけれど、これはこれで落ち着いた、悪くない生活だった。


 問題は、スコットは作業に熱中しすぎると、食事も睡眠も忘れるということだった。しかも彼は好き嫌いが多く、苦手なものが出てくると自分の皿を私の方に押し出してくる。


「お父様、魚もきちんと食べた方がいいです」


「いや、ね……生臭いし小骨が多いし、私は遠慮しておくよ。君は育ち盛りだろう? たくさんお食べ」


「お父様、キノコが残っています」


「キノコって、変な臭いがするだろう。野菜ならたっぷりと食べているし、これを食べなくても問題はないよ」


 毎日のように、こんなやり取りが繰り返されていた。とにかく彼は、魚とキノコが大の苦手だった。旅の間にはそれらの食材はほとんど出なかったから、気づかなかった。


 私が来る前はどうしていたのだろうかとクラレンスに尋ねてみたところ、「以前は私がスコット様に口うるさく言っていたのですよ。結局どうやっても、食べませんでしたが」と返された。「今はお嬢様がスコット様に指摘してくださるので、大いに助かっております」とも。


 しかし、スコットの偏食はなかなかのものだった。こうも偏った食事をしていたら、いつか体を壊してしまうかもしれない。実際、今までに見た貴族たちの中には、美食と偏食がたたって三十手前で体を壊していた者もたくさんいた。


 健康で長生きしたかったら、色々なものをきちんと食べるのよ。肉に野菜、魚に卵。でも、砂糖やパンの食べ過ぎは良くないわ。母さんの声がよみがえってきて、ちょっぴり涙ぐむ。


 それはともかく、スコットには健康で長生きしてもらわないと困る。私は他に頼れるもののない子供でしかない。家を継ぐにせよ結婚するにせよ、あるいはここを出て行って自立するにせよ、あと十年はかかる。


 そしてスコットは、養父としてはまあ悪くない。ちょっと、いやかなりの変わり者だけれど、私のことを変にせんさくしたりしないし、過度に構いつけることもない。


 ここに来てほんの数日で、私はこの新たな居場所を気に入ってしまっていた。少なくとも、独り立ちできるまでの十年ほどを過ごす場所としては、悪くない。


 ここでの暮らしを守るためにも、スコットのあの偏食をなんとかしなくてはいけない。大丈夫、私には母さんがついている。母さんが教えてくれたことを、今こそ活用するのだ。


 そう決意しながら、二皿目の焼きキノコをぱくりと食べた。


「ありがとう、君が食べてくれて助かるよ。捨ててしまうのはもったいないからね」


 心底ほっとしたようなスコットの声を聞きながら。




 次の朝、起きてすぐに大急ぎで身支度を整え、スコットの部屋に駆け込む。


「おはようございます、お父様。朝ですよ」


 そう言いながら、有無を言わさずにカーテンを開け、ついでに窓も開けた。吹き込んできたさわやかな風に目を細め、くるりと振り返る。


「……昨日、夜ふかししてしまって……朝食には、後で行くよ……」


 いつも以上にくしゃくしゃの頭をしたスコットが、寝台の上でうめいている。目は閉じられたままで、眉間にはしわが寄っている。


「駄目です。起きてください。眠り足りないのなら、今晩早く寝ればいいんです」


 彼に近づいて、無理やり毛布を引きはがす。私は彼の養女だし、それにまだ幼い子供だから、こんなふるまいをしても大目に見てもらえるだろう。


「パメラ……頼む、あと少しだけ」


「少しって、どれくらいですか」


 そんなやり取りをしていると、クラレンスがひょっこりと顔を出した。


「おや、パメラお嬢様がおいででしたか。もしかして、スコット様を起こしに来られたので?」


「ええ、そうです」


 スコットと毛布の奪い合いをしながらそう答えると、クラレンスは嬉しそうに笑った。


「これはこれは、助かります。起きたくない時のスコット様は、とても強情ですから。いつも私一人で、苦労していたのですよ」


 そう言いながら、彼はするりとスコットの死角に滑り込む。鮮やかな手つきでスコットの両脇を抱えると、一気に上体を引き起こした。スコットが薄目を開けて、恨めしそうにクラレンスを見る。


「後ろががら空きですよ、スコット様」


「……パメラに気を取られていたんだよ」


「ええ、父親思いの良いお嬢様ですね」


 大変さわやかに笑いながら、クラレンスはスコットを寝台から引きずり出している。彼は細身の見た目に似合わず、中々に力が強いようだった。


「ご自分で着替えられますか? 抵抗されるのであれば、問答無用で着替えさせますが」


「パメラが見ているよ」


「ええ、そうですね。お嬢様の前で情けない姿をさらされますか?」


 クラレンスは悪びれもせずにそんなことを言っている。一応十八歳の乙女としては、若い男性が着替えるところを目の当たりにするのはたいそう恥ずかしい。


 これはいったん退室した方がいいだろうかと考え始めた時、スコットが頭をかきながらクラレンスを制した。


「分かった。自分で着替える。だから二人とも、食堂で待っていてくれ」


 その声からは、先ほどまでの寝ぼけたような響きは消えていた。




 そうして朝食の席についたスコットは、そこに並んでいる皿の一つを見て目を丸くした。


「……見たことのない料理があるね?」


 彼が見つめているのは、卵とチーズを合わせて焼いたように見える何かだ。彼は首をかしげながらフォークを手にして、ぱくりと一口食べる。


「何だか良く分からないけれど、これはこれでおいしいな」


 そんなことを言いながら、スコットはあっという間にその皿を空にしていた。思わず口元に笑みが浮かぶ。ちらりとクラレンスに目をやると、彼はスコットの背後で声を殺して笑っていた。


 私たちがこんな反応をしているのにはもちろん訳がある。今スコットがたいらげた料理には、たっぷりとキノコが使われていたのだ。私が料理人に説明して、わざわざ作ってもらったものだ。


 平民として生まれ育ち、ここ一年程は貴族たちの間を渡り歩いてきた私には、平民と貴族の食文化の違いも見えていた。というより、この違いに気づくことのできる立場にある者は、そう多くないだろう。


 貴族たちは良い食材をふんだんに使えるからなのか、食材の持ち味を生かした料理を好む傾向があった。こんなにも新鮮で、こんなにも立派な食材を手に入れることができるんだぞ、と自慢されているようで、なんとも落ち着かなかったのをよく覚えている。


 スコットは貴族としてはざっくばらんな部類に入るが、それでもここで出される料理の傾向は、他の貴族たちのものとそこそこ似ていた。あそこまで装飾過多ではなかったし、もっと気取らない雰囲気ではあるけれど。


 すなわちそれは、苦手な食材であっても、その味や食感を強調されてしまうということだ。昨日私が食べた焼きキノコも、キノコを薄く切ってぱらりと塩を振り、さっと焼かれたものだった。塩加減と焼き加減が絶妙で、キノコの味と匂いと食感をこの上なく引き立てていた、そんな一皿だったのだ。


 一方で平民は、そんなぜいたくはできない。多少傷んでいようが、あるものを食べるしかない。だから、食材の味をごまかすような料理が多い。


 今スコットに食べさせたのも、そんな平民の知恵の一つだ。苦手な食材は細かく刻んで、香りや味の強いものと合わせる。それだけでも、かなり食べやすくなるものだ。


 ありがたいことに、この屋敷には香草や香辛料、調味料の類はふんだんにあった。なんでも、スコットの研究の副産物らしい。


 そしてあの料理は、昔母さんが考案したものだ。苦い野菜が食べられなかった小さな私のために、あれこれと心を砕いてくれた。そんな思い出が、こんな形で役に立つなんて。


「……ありがとう、母さん」


 スコットたちに聞かれないように口の中でつぶやいてから、そっと料理に手をつけた。久しぶりに食べたそれは、驚くくらい懐かしい味がした。

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