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6.養父の素顔

 クラレンスと一緒にやってきた食堂は、やはりこぢんまりとした部屋だった。やはりここは貴族の屋敷というよりも、裕福な平民の家といったほうがふさわしいように思える。


 運ばれてくる食事は意外にも貴族風のしゃれたものだが、給仕をしているメイドは田舎の宿屋のおかみさんのような雰囲気だ。肩ひじ張らなくて済むのはありがたい。


 四、五人がつくのがやっとの大きさの食卓に、スコットと向かい合って座り、朝食をとる。


 私たちはここまで、何泊もしながら一緒に旅をしてきた。その間、こうやって何度も一緒に食事をとってきた。


 けれど今食卓には、ぎこちない空気が流れていた。ただ、居心地の悪さを感じているのはおそらく私だけだろう。


 普通、食事中はあれこれと雑談をするものだろう。しかしスコットは、こんなところでも変人っぷりをいかんなく発揮していた。彼はいつもいつも食事中は上の空で、彼の方から話を振ってくることはほとんどなかったのだ。


「……あの、お父様」


 沈黙に耐えかねて、そろそろと呼びかける。実のところ、まだ彼を父と呼ぶことにはちっとも慣れていなかった。それに小さな頃に実の父を亡くした私にとって、そんな風に誰かを呼ぶのは初めてのことだったのだ。


「どうしたのかな、パメラ」


 考え事を中断して、スコットがこちらを向く。まだ若いというのに、父と呼ばれても全く動じていない。そもそも、赤の他人からそう呼ばれることに、違和感を全く覚えていない顔だった。


「馬車に積まれていた荷物ですが、中身を教えてもらえませんか。屋敷に着いたら教えてくれるって、お父様はおっしゃっていましたし」


 我ながら、子供の口調ではないと思う。しかしスコットは気にしていないし、クラレンスも大目に見てくれている。だいたい、今さら子供っぽいふるまいをしろと言われても困ってしまう。


「ああ、そうだったね。だったら朝食後に、実物を見せてあげるよ。ただ説明を聞くよりも、その方がずっと早いからね」


 ずっと上の空だった彼が、突然にっこりと笑う。彼の年にはまるで似合わない、それはもう無邪気な笑みだった。


 その笑顔に一瞬見とれそうになりながら、そ知らぬふりで食事を続けた。スコットの隣に控えているクラレンスの口元が、笑いをかみ殺しているかのように震えていた。




 そして朝食後、私はスコットに連れられて屋敷の中をてくてくと歩いていた。初めて出会った時からそうなのだが、彼はいつも私の歩調に合わせてくれている。


 スコットは、自分の興味のないものにはとことん注意を払わない。彼と出会ってからまださほど時間が経ってはいないが、十分すぎるほどにそのことは理解できていた。


 なにせ旅の間の彼ときたら、読書に没頭していて寝るのを忘れたとか、調べ物が忙しくて食事を忘れたとか、そんなことばかり繰り返していたのだ。ついてきていた使用人たちがこまめに声をかけなければ、この屋敷に戻ってくることすら忘れていたかもしれない。


 そんな彼が私の歩調などというささいなことを気にかけてくれていることが、なんとも不思議だった。小首をかしげながら、せっせと彼の後を追いかける。


 スコットは屋敷の西側の端にある扉を出た。扉の向こう側には壁のない、屋根だけの廊下が伸びている。


 壁がないので、庭がよく見える。きちんと手入れされた庭には、可憐な花が咲き乱れていた。この庭を南に突き進むと、立ち入り禁止の奥の庭に出てしまうのだそうだ。


 廊下の先にある小さな離れは、まるごと彼の趣味のための場所になっているのだそうだ。応接間や執務室など、彼が過ごすための部屋は母屋のほうにいくつもあるのに、スコットはほぼずっとこの西の離れにこもっているらしい。


 今の私の身長と同じくらいの高さまで石が組み上げられた土台の上に、しっかりとした建物が建っている。レンガ造りの母屋とは違い、こちらはしっくいの壁だ。


 石の階段を上り、離れの扉をくぐる。そこには、ある意味予想通りの光景が広がっていた。


 部屋の一番奥に、上り階段らしきものが見えている。その隣には簡素な木の机と椅子が置かれているようだった。あとは壁際に、本棚らしきものが見える。


 ようだ、というのは、部屋中いたるところに木箱やら紙の束やら、さらに良く分からないがらくたやらが所狭しと積み上げられていて、部屋の中がよく見渡せないせいだ。


 おそらく彼は、整理整頓は苦手なのだろうなと思っていたのだが、その予感は大当たりだったらしい。


「ここには私の椅子しかないから……そうだな、これに座ってくれ」


 スコットはがらくたの隙間を器用に通り抜けると、小さな椅子を持ってきて私に勧めた。というか、これはたぶん椅子ではなく踏み台だ。そう思ったが、気にせずに腰を下ろす。


 その間にも、彼は素早くいくつかの木箱を運んできていた。蓋を開けて、中を指し示す。


「ほら、見てごらん」


 立ち上がって中をのぞく。箱の中は木の板で細かく区切られていて、その区切りのひとつひとつに何かの根っこやら葉っぱやらが収められていた。瓶に入った小さな粒は、植物の種だろうか。スコットは嬉々としてそれぞれの説明を始めたが、分からない言葉ばかりで全くついていけない。


 しかしスコットはそのことには気づいていないらしく、どんどん話は熱を帯びていく。せめて分かるように話して欲しいとは思うのだけれど、口を挟む隙がない。


 困ったなあ、と首をかしげる。肩までの長さになった自分の髪が、さらりと揺れた。けれどやはりスコットは気づかない。


「スコット様、お嬢様、お茶をお持ちしましたよ。少し休憩なさってはいかがです」


 ちょうどその時、カップが二つ乗ったお盆を持ってクラレンスが現れた。助けが来た、とほっとしたのもつかの間、彼はお盆を置いてさっさと出ていってしまう。


 すれ違いざまに、彼は小さな紙片を私に握らせた。スコットがこちらに背を向けている間を狙った、一瞬の早業だった。


 スコットはお茶を飲みながら、どこからともなく取り出した紙の束に目を通している。何やら熱心に考え込んでいるようだけれど、あれで本当に休憩になるのだろうか。


 なんとなく彼に見つからないようにしながら、もらった紙片をそっと開く。そこには豆粒のような小さな文字で、こう書いてあった。


『スコット様が勢い良く話し始めたら、かなり強く言わないと止まりませんよ』


『分からないことがあったら、さっさと聞いた方がいいですよ。嫌な顔はされません。むしろ、喜んで説明してくださいます。……話がさらに長くなるだけですが、ね』


『今までは私一人がスコット様の話し相手をする羽目になっていて、それはもう大変だったのですよ。これからはあなたにお願いできますから、楽になります。どうぞ、スコット様の相手をよろしくお願いしますね』


 どうやらこれまでは、クラレンスがこの役目をおおせつかっていたらしい。そしてこれからは、私がスコットの相手をしなくてはいけないようだった。


 他にも仕事をいくつも抱えている忙しい執事と、特に何もすることのない暇な子供。当主の話し相手を務めるのにどちらが向いているかといえば、間違いなく私の方だろう。


「それでは、そろそろ説明の続きに戻ろうか」


「あの、その前に聞きたいことがいくつかあるんですが」


 クラレンスの助言通り、勇気を出して聞いてみる。最初に彼が説明した、たぶん基本中の基本の単語について。


 これを尋ねるということは、さっきの彼の説明に私が全くついていけていなかったことを白状するも同然だ。ちょっと後ろめたい気分になる私に、スコットは軽やかに笑いかけた。


「ああそうか、君はこういった分野については初心者だったね。だったら、もっと基礎的なところから、じっくりと話そうか」


 がっかりするかと思いきや、浮き浮きとした様子でスコットは部屋の片隅を引っかき回し始めた。埃の積もった本を一冊手にして、こちらに近づいてくる。


「これを読むといいよ。少々難解かもしれないが、たぶん君なら時間をかければ理解できると思う。分からないことがあったら、いつでも聞いてくれればいいからね」


 受け取った本には、『植物学基礎』と書いてあった。ぱらぱらとめくってみると、確かにかなり難しい。これは、しばしばスコットのもとに足を運んで、あれこれ尋ねる必要が出るだろう。


 ひとまず、目の前の問題はどうにかなりそうだった。けれどどうにも、戸惑いを覚えずにはいられなかった。


 スコットにとって私は、親戚連中を黙らせるための、偽物の娘でしかない。わざわざ自分の研究について説明したり、本を貸す必要などないように思える。


 口を開きかけては、また閉じる。ためらいながら、小声で問いかけた。


「……その、……お父様は、どうしてここまでしてくれるのですか?」


「娘に何かしてあげたいというのは、ごく自然なことだろう? それに、君と話すのは楽しいからね。君がこれらについての知識をつけてくれたら、きっともっと楽しいと思うんだ」


 心から嬉しそうに、スコットが笑う。あまりにも開けっ広げなその笑顔に、思わず目を見開いた。


 彼は私のことを、あくまでも娘として扱おうとしてくれている。それに、私と話すことを楽しいと感じているらしい。


 私は『力』のことを隠している。自分の素性も。でもスコットは、そんな私を気にかけてくれていた。


 彼の思いに、こたえたい。ふと、そう思った。彼に必要とされたいと、そんな思いが頭をよぎっていく。


 一つ息を吐いて、受け取った本にもう一度目を落とした。大きくて古いその本は、見た目よりもずっと重く感じられた。

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