42.そして、夏が来る
そんなこんなで、一連の騒動が落ち着いたある日。私たちは、奥の庭の一角でくつろいでいた。
奥の庭には、ところどころにテーブルや椅子が置かれている。やたらと広く、その上まだ広がり続けているこの庭の、休憩所兼目印だ。
庭の地理を全て把握しているスコットはともかく、それ以外の人間にとっては、庭を歩く際にもっと分かりやすい道しるべが必要だったのだ。特に私が来てからは、さらに無秩序に、勢い良く庭が育ってしまっているし。
そうして今、私たちはそのテーブルの一つを囲んでいた。机の上に、たくさんの食べ物を並べて。要するに私たちは、ここでお茶会を開いていたのだ。もっとざっくばらんで、肩ひじ張らないものだけれど。
このお茶会は、ルドア公爵夫人から解放されたことのお祝いだった。今の彼女は、ルドア公爵家の幼い令嬢オードリーとして、もう一度子供からやり直すことになったらしい。私たちのことを全部忘れたまま。
どうせお祝いをするのなら、奥の庭でお茶にしようと言い出したのは私だった。子供の頃、母さんと町はずれの広場に出かけていって、そこの片隅にある長椅子でおやつを食べるのが、ちょっとした楽しみだったのだ。あの楽しさを、みんなと共有したかった。
それに、みんなにお礼と、おわびが言いたかった。公爵夫人の騒動は、丸ごと私が持ち込んだものだったのだから。
だから、ここに並んでいる料理は私が用意した。というか、そのつもりだった。でも厨房でばたばたしていたら、じきにダフネが現れて勝手に手伝い始めた。料理がだいたい出来上がった頃、ひょっこりとスコットとクラレンスも顔を出した。庭でとれた果物を両手に抱えて。
それから四人一緒に料理と飲み物をここまで運んで、ようやくお茶会が始まったのだった。
「このテーブルをこんな風に使うことになるとは思わなかったな。僕にとって庭にある椅子やテーブルは、うっかり迷い込んでしまった時の目印でしかなかったし」
オリーブの塩漬けを口にしながら、ダフネが肩をすくめている。今日も今日とて、彼は男物の服装だ。比較的質素ないでたちながら、貴公子のように気品にあふれているのがなんとも面白い。それに、ついつい見とれてしまいそうになるくらいきらきらしている。
「私もここで食事にするのは初めてだね。でも、中々いいものだと思うよ。……おっと、肉だと思ったら魚だった……けれど、あんまり臭くないね。これなら大丈夫かな」
スコットは白身魚のフライを、目を丸くしながら味わっている。戸惑いつつも、さらにもう一口かじっていた。
「下処理と衣に、香草を使ってあるんです。母さんが教えてくれたやり方なんですが、香草を配合したのはダフネなんですよ」
「ちょうど、魚に合いそうな配合を思いついたところだったんだ。あんたが食べられるなら、大成功だな」
私とダフネが口々にそう答えると、クラレンスが嬉しそうに笑った。彼の左手は、ずっとリューをなでている。
「あれだけ頑固だったスコット様の好き嫌いも、ようやくなんとかなりそうですね。本当に、ようございました。……それにしても、リューの手触りは素晴らしいですね」
「あんた、最近隙あらばリューをなでてるな。実は、可愛いものが好きなんだろ」
「そ……そうかもしれません」
ダフネに指摘されて恥じらうクラレンスの手の中で、リューがもにゃもにゃと鳴いている。リューはもう既に、ダフネ特製の蜂蜜をたらふくお腹につめこんでいた。満腹になったからなのか、リューはうとうとしている。
「何はともあれ、問題はひとまず片付いた。パメラも私たちのところに残ってくれるし、めでたしめでたし、だね」
言いながら、スコットが私の頭にぽんと手を置く。もうすっかり癖になってしまった動きだ。彼は私の正しい年齢を知っているし、きちんと一人前の大人のように扱ってはくれているけれど、それでもつい私の見た目につられてしまっているらしい。
私としても彼に頭をなでられるのは決して嫌ではないので、おとなしく微笑んでいた。
そんな私たちを見やって、ダフネが頬杖をつく。いつになく鋭い上目遣いで、こちらを見据えてきた。
「スコット、彼女はあんたの娘ということになってはいるが、他人だし十八の女性だぞ。あんまり子供扱いするのもどうかと思うが」
「いいの、ダフネ。私、実の父親の顔を知らないから……お父様に子供扱いされるの、ちょっと嬉しいの」
「ふうん……だったら僕も、子供扱いさせてもらおうかな。君が育ってしまう前に」
言うが早いか、今度はダフネの手が伸びてきた。しなやかな手が、私の髪を荒っぽくかき回す。
「ダフネ、髪がくしゃくしゃになっちゃう」
「そうか? リューはこうやってなでられるの、好きだぞ?」
「リューと一緒にしないでってば」
そのリューは、クラレンスに丁寧になで回されて気持ち良くなったのか、テーブルの上で仰向けに伸びていた。あの神々しい緑の鹿になったとは思えないほど、のどかで可愛らしい、緊張感のない姿だった。
その時ぶわりと強い風が吹き、フジの花びらがひとひら、手元に落ちてきた。私たちが囲んでいるテーブルの近くにはフジの古木が生えていて、辺りを甘い香りで包んでいたのだ。
「ああ、そろそろ夏が近づいてきているね。このフジの花が散り切ったら、いよいよ夏が始まるんだ」
小さな私の手の中の、小さなフジの花びら。それを見ながら、スコットは楽しそうに笑う。
「この木は、私がこの屋敷に来た時にはもうここにいたんだよ。いわば、先輩だね」
「大先輩だな。というか、その頃はまだここは庭じゃなかったんだろ?」
「ああ。奥の庭は当時まだ一面の草原で、そこにぽつりぽつりと木が生えているだけだったからね。その後どんどん草木を植えていって、気がついたらこうなっていたんだ」
「……フジの木、驚いているでしょうね。たった十年やそこらで、こんなに変わってしまって。それも全部、お父様が一人でやったことだし」
「案外、面白がってるかもしれないぞ? 変なのが増えたなって。植物も、人も」
ダフネの言葉に、あおむけになって腹毛を風にそよがせていたリューが、明るくむあーんと鳴いた。同意しているらしい。
「スコット様は、どうも収集癖がありますからね。ええ、小さな頃から」
リューのお腹を人差し指でこちょこちょとなでながら、クラレンスがぼやいている。
「珍しい植物に、変わった人間。お気に入りのものは絶対に、手放されないんですから。おかげで色んなものが増える一方で」
「自分一人だけ普通の人間ぶっても無駄だからな、クラレンス。あんたも十分、変人だよ。このスコットと長年付き合っていられるって時点で」
クラレンスとダフネのそんなやり取りを眺めながら、前にダフネに言われたことを思い出した。故郷に帰りたいのなら構わないとスコットが言っていたということ。引き留めてしまいたくなるから、ダフネに伝言を頼んだということ。
私もきっと、彼のお気に入りの一つなのだろう。けれど彼は、それでも私の意思を尊重してくれた。
隣のスコットをそっと見上げる。優しい深緑色の目が、こちらを見返してきた。
「……お父様、ありがとうございます。私の幸せを考えてもらえて、故郷に帰ってもいいと言ってもらえて、嬉しかったです」
「礼を言うのはこちらのほうだよ。ここに残ってくれて、ありがとう。君がいなくなったら、きっとひどく寂しくなるだろうなって、そう思っていたから」
「私の今の居場所は、ここなんです。お父様がいて、ダフネがいて、クラレンスさんとリューもいる、ここにいたいんです」
「そうか、嬉しいね。……不思議だね。君とは血のつながりもないし、出会ってからほんの数か月しか経っていない。なのに、私は君のことを、本当の娘のように思っているんだ」
「実は、私もです。父が生きていたらきっとこんな感じなんだろうな、って思えてしまって」
そうして私とスコットは、二人笑い合う。同時に右手を伸ばして、握手した。庭仕事のせいで皮が固くなったスコットの大きな手に、小さくて柔らかな私の手がすっぽりと隠れる。
「これからもよろしく、パメラ。私の可愛い娘」
「これからもよろしくお願いします、私の大切なお父様」
もう一度笑い合ったところに、軽やかな声が割り込んできた。
「なんだ、親子して仲がいいな。僕たちも混ぜてくれよ」
そんな声と共に、ダフネの手が私たちの手に重なった。ダフネに手首をつかまれた、クラレンスの手もおまけでついてきた。
「よろしくな、婚約者殿、それと未来の父さん」
「これ、私もやるんですか? ……スコット様、お嬢様、私はこれからもお二人に仕えていきますよ」
楽しげに言うダフネと、戸惑い気味のクラレンス。重なったみんなの手の上に、リューが飛び乗った。自分を忘れてくれるなと言わんばかりに、むあむあ言いながら跳ねている。
「ふっ……あはははは」
自然と、笑いがもれてきた。お腹の底からわき上がってくるような、くすぐったくて心地良い笑いが、春の終わりの庭に広がっていく。
笑い声が、ひとつ、またひとつと増えていく。そうして私たちは、声を合わせて笑った。
さわやかな午後の庭に、笑い声が響く。辺り一面に茂った木々たちが、その声にこたえるように優しく揺れていた。フジの花がぱたり、ぱたりと散って、私たちの髪に、肩に、降り積もっていく。
夏が、もうすぐそこまで来ていた。




