32.まさかの呼び出し
「青いバラの件だけれど、大変面倒くさいことになってしまったよ。これを見てくれれば分かるかな」
ため息をつきながらスコットが書状を掲げてみせたのは、青いバラを商人たちに見られてしまってから一か月ほど経ったある日のことだった。
いつぞや親戚たちがひしめいていたあの応接間に、スコットと私、それにダフネとクラレンスだけが集まっていた。あとは、そこらをぽんぽん跳ねているリュー。どことなく真剣な空気が漂う中、リューだけはいつも通り楽しそうだった。
私たちが囲んでいるテーブルに、スコットは無造作に書状を広げる。そこに書かれていた内容を読んで、思わず声を上げてしまった。
「えっ、王様がお父様を呼んでいる?」
「この屋敷に素晴らしい青いバラがあるらしいって噂が、そこまで広まってしまったのか。思ったよりかなり早かったな。しかしまあ、王直々の呼び出しとはな」
「『くだんの青いバラが造花であったのか生花であったのかは分からないが、とても見事なものだったと聞いている、どうかそれについて説明してくれ、できるなら実物を持ってきてくれ』ですか。これまた熱心なお誘いですね、スコット様?」
どことなく皮肉が混じったようなクラレンスの言葉に、ダフネが頭を下げた。
「そもそもあの青いバラを外の人間の目に触れさせてしまったのは僕だ。僕が青いバラを摘みたいなんて言わなければ。済まないな」
「お父様、それなら私も同罪です。ダフネを青いバラ園に連れていったのは私ですから」
互いにかばい合う私たちを見て、スコットは嬉しそうに苦笑している。なんとも複雑な表情だ。
「君たちの麗しき友情……友情、かな? は喜ばしいけれど、ひとまずこの呼び出しをどうするか、が問題だね」
「まさかと思いますが、陛下のたっての願いを無視しようなどと考えておられたりは……しませんよね、スコット様?」
クラレンスの指摘に、スコットはごまかすように笑って目線をそらした。あれは間違いなく、どうにかして呼び出しから逃げようと考えている顔だ。
そのことにクラレンスやダフネも気づいていたようで、全員であきれた顔を見合わせる。
「……ひとまずスコットは行くしかないだろう。庭のバラ、一鉢持っていけばいいんじゃないか? たまたま庭で見つけたものを増やしてみましたとかなんとか、適当なことを言ってさ」
「そうですね。スコット様とお嬢様の『力』についてはしらを切って、あくまでも偶然、ええ偶然にあれを見つけたことにいたしましょう。陛下にはそう言い張ってください。いいですね、スコット様?」
ダフネとクラレンスは口々に、そんなことをスコットに言って聞かせている。王様相手に『適当なこと』とか『しらを切って』とか、中々に大胆なことを言っているとは思うが、ここは彼らの言う通りにするのが正解なのだろう。
三人分の視線を受けたスコットはうんざりした顔をしていたが、やがて疲れたように大きくため息をついた。
「そうするしかないみたいだね。だったらまずは、この書状に返事を書いて……それから、バラを掘り上げて鉢に植え替え……ああ、パメラに手伝ってもらって新しく鉢植えを作ったほうが早いか……それから、何をすればいいのだったか。はあ、気が重いよ」
頭痛がすると言わんばかりに額を押さえているスコットに、クラレンスがきびきびと答えている。
「旅の準備です、スコット様。一応陛下に謁見することになるのですし、きちんとした服を引っ張り出してこなくては」
そこに、今度はダフネが首を突っ込んできた。
「スコット一人で謁見させるのは、ものすごく不安なんだが。誰かついて行ったほうがいいんじゃないか?」
「ええ、私もまったくもって同感です。できることなら謁見の場まで私が同行したいくらいですが、さすがに執事の身ではそうもいきませんしね。ここはお嬢様にお願いするのが、一番自然でしょう」
「えっ、私?」
思いもかけない話の流れに、思わずぽかんと口を開ける。ダフネは苦笑しながらも、大きくうなずいた。
「確かに、パメラが一番適任だな。ところで彼女はよそ行きの服、持っているのか?」
まだ呆然としている私の代わりに、クラレンスがすかさず答えた。
「一応、正式なお茶会に出られるくらいのドレスならありますよ。スコット様の申しつけで、お嬢様がこちらに来られる前に用意したものです。よりお嬢様に似合うように、私が色々と手を入れました。王宮でも、見劣りはしないでしょう」
「だったらそちらは問題ないか。あとは、謁見の前に二人の身なりを整えないとな。そっちはクラレンス、あんたに頼めるか」
「ええ、もちろんです。スコット様は放っておいたら寝癖がついたまま陛下の前に出てしまいそうですしね」
「ちゃんとパメラの髪も可愛らしく結ってやってくれ。できることなら僕もついていきたいが、王都なんかをふらふらしていたら、またソーン公爵家の連中に見つかりかねないし。……待てよ、女のふりをしていればいけるか?」
「いけませんよ。あなたは悪目立ちしますから。あの美女は何者だって、また別の噂が生まれてしまいます」
「やっぱりそうか。美しすぎる自分が恨めしいな」
ダフネとクラレンスは私をそっちのけで盛り上がっているし、スコットはスコットで、自分の思考の中にどっぷりとのめり込んでしまっていた。難しい顔をしたまま、もごもごと何事かつぶやいている。
「……確かにこれは、大変なことになっちゃったね」
そうつぶやくと、頭の上からにゃむうという鳴き声が返ってきた。今この場で私の声を聞いてくれているのは、どうやらリューだけのようだった。
書状が届いてから数日後、スコットは私とクラレンスを連れて、屋敷を旅立った。ダフネとリューは留守番だ。
今乗っているのは、それなりに装飾のついた箱形の馬車だ。クラレンスが手綱を取り、私とスコットは馬車の中だ。王様に見せるための青いバラの鉢は、座席の足元にしっかりと固定されている。おかげで馬車の中は、バラのかぐわしい香りで満ちていた。
「私だけでも大丈夫だと言ったのに、クラレンスもダフネも結局折れなかったね。君には迷惑をかけるけど、よろしく頼むよ」
「いいんです、お父様。私としても、お父様と一緒に出かけられるのは嬉しいです」
馬車に揺られながら、私たちはそんなことを話していた。私の返事を聞いたスコットが、目を伏せてつぶやいた。
「……確かに、君は私の娘だ。でも私も君も、それが真実ではないことを知っている。君が私の手を取ることにした、その理由も」
そう言って、彼は隣に座る私の方をゆっくりと向く。相変わらず寝癖がついたままの灰色の髪が、窓から差し込む日の光を受けて柔らかく輝いていた。
「だから、君は無理に私の娘らしくふるまわなくてもいいんだよ。君はやりたいように、自由にやってくれればいい。……モーゼス男爵家の跡取りだなんて面倒な立場を押しつけてしまった、せめてもの対価として」
「これでも私は、やりたいようにやっているんです、お父様」
にっこり笑って、スコットの深緑の目を真正面から見返す。
「私は母さんを亡くしてから、ずっと苦しい、空しい暮らしを続けていました。いつもひとりぼっちで。突然目覚めた『力』のおかげでお金だけは手に入ったけれど、他には何もなかった」
あの頃はずっと、胸の中に冬の冷たい風が吹いているような心地だった。寒くて寂しくて、でもそれを感じることができないくらいに、心が冷え切っていて。
あの日、あの公爵夫人から逃げ回っているうちに、もぐりこんだ質素なほろ馬車。そこで眠っていた私をそっと起こした、優しい声。
「でもそこで、お父様と出会った。ひとりぼっちの私は、ひとりではなくなった」
あそこから、私の人生は変わった。スコットが私を、招き入れてくれたから。
「だから、お父様には感謝しているんです。そしてお父様とのあの穏やかな暮らしを守るために力を貸せることが、嬉しいんです」
心からの思いを込めて、ぺこりと頭を下げる。スコットが小さく息を吐く気配がして、それから頭の上に手が置かれた。
「やっぱり、君を選んだ私の目は間違っていなかったようだね」
明るく笑いながら、スコットは私の頭をなでている。と、その手がぴたりと止まった。
「……よくよく考えてみたら、君は十八歳だったね。こんな風に頭をなでるのはまずかったかな」
「いいえ、大丈夫です。……私、実の父と過ごした記憶がないので、お父様とこうしているのがとても楽しいんです。自分でも子供っぽいことを言っているなとは、思いますけど」
「いいんだ、今の君は子供でもあるのだから。思う存分、子供時代をやり直すといい。私も協力するよ」
「はい!」
そう答えた自分の声は、あきれるくらい楽しそうで、幸せそうなものだった。




