21.一年分の心の傷
「なるほど、あの木が大きくなるとこうなるのか。思ったよりずっと早く、実験結果を見られたな」
静まりかえった奥の庭に、やけに浮かれたスコットの声が響く。彼の目線は、私の背後にある大木に注がれていた。
「枝ぶりはリンゴの木だが、葉はサクランボに近い……花芽も、サクランボ寄りだね。これは実が楽しみだ。とびきり大きなサクランボがなれば、大成功なのだけれど」
目をきらきらさせながら、スコットはこちらに近寄ってきた。近くでじっくりと大木を見ては、独り言をつぶやいている。
「今のところ、予測通りに育っているな。うん、いい感じだ」
「……スコット様、他に言うことがあるのでは?」
クラレンスがあきれた顔で言う。スコットはきょとんとした後、にっこりと笑って私の頭に手を置いた。
「君がこの木を育てて、ひょうから守ってくれたんだね。ありがとう、パメラ」
「ど、どういたしまして……」
どうやらスコットは、私がこの木を大きくしたことを理解しているらしい。しかしそれにしては不思議なくらい、彼は動じていなかった。彼もまた『力』の使い手ではあるが、それでももうちょっとくらい驚いてもよさそうなのに。
「おいスコット、パメラが困っているだろう」
見かねたように、ダフネが口を挟む。彼は仁王立ちになると腕を組んだ。美女にしか見えない容貌には、まるで不釣り合いな仕草だった。
「彼女はずっと何かを隠しているようだった。たぶん、この『力』のことだろう。それがとうとうばれてしまった。それも、あんたの研究材料を守るために、やむを得ず」
ダフネはほっそりとした指をスコットに突きつけ、それから大木を指した。
「今、彼女は混乱しているし、心細く思っている。そこのところをきちんとくんでやれよ。研究がうまくいって嬉しいのは分かるが。あんた、仮にも父親なんだろう」
「混乱って……そういうものなのかな?」
「そういうものです、スコット様。ある意味天真爛漫なあなたには分からないでしょうが」
何を注意されたのかいまいち分かっていない様子のスコットに、今度はクラレンスがぴしゃりと言い放った。
「遠回しに悪口を言われているような気がするよ」
「そういうところだけは気づくんだな。あんたの頭には植物のことしかないんだとばかり思ってたよ」
ダフネが皮肉っぽく、そう口を挟む。クラレンスもうんうんとうなずいている。
「植物のことしか考えていない、という意見には同意しますよ、ダフネさん」
「ありがとうクラレンス、これで二対一だな」
「どうして二人して、私をやり込めようとしているのかな」
「あんたが鈍いからだろう」
いつも通りの、いやいつも以上に軽やかな言葉の応酬を聞いているうちに、ようやく少しずつ鼓動が静かになってきた。
三人とも、私が『力持つ者』であることをもう知っている。けれど彼らは、以前とまったく態度を変えることはなかった。
今なら、言える。怖くて言い出せなかった、ずっと隠し続けてきた、私の過去を。
まだわいわいと言い合っている三人に近づいて、大きく息を吸った。
「あの、聞いて欲しいことがあるんです」
そうして私は、全てを語った。時を操る『力』につい最近目覚めたということ、その『力』を使って貴族相手に商売をしていたこと、そうして公爵夫人ともめて、子供の姿になって逃げていたこと。やっと手に入れた居場所を失うのが怖くて、ずっと黙っていたということ。
一通り聞き終えて、最初に発言したのはダフネだった。
「ああ、君はやっぱりただの子供じゃなかったのか。その可愛らしい小さな姿を除けば、ほぼ同世代の女性としか思えないなって、ずっとそう感じてたんだ」
「ええ、お嬢様はただの子供ではない。それは私にも、すぐに分かりました」
「子供にしては全然騒がしくないし、とても知的で聞き分けのいい子だとは思っていたけれど、そういうことだったのか。気づかなかったな」
クラレンスはダフネに同意し、スコットは一人目を丸くしている。私をここに連れてきた張本人だけは、どうやら私の正体についてこれっぽっちも感づいていなかったらしい。
「ああでも、私やダフネと同じ『力持つ者』だというのは、すぐに気づいたけれどね」
「そう、なんですか」
「『力持つ者』はどういう訳か、互いに引き合うって言われてるのさ。僕とスコットが出会ったのも、そういうことなんだろうな」
ダフネがひらひらと手を振りながら、にやりと笑う。
「そして『力持つ者』は、他の『力持つ者』を見分けることができる。君も僕たちに会った時、感じなかったか? 目が離せなくなるような、触れてみたくなるような、そんな感覚を」
「あっ……」
確かに、その感覚には覚えがある。もぐりこんだ馬車でスコットと顔を合わせた時や、東の離れでダフネと初めて会った時に。ということはスコットやダフネも、同じように感じていたということか。
「それにしても、苦労されておられたのですね、お嬢様……」
「クラレンス、何泣いてるんだよ。気持ち悪いな」
「これが泣かずにいられますか? たった一人で世間の荒波と立ち向かって、全てを失くされて……」
意外にもクラレンスには涙もろいところもあったらしい。私の代わりに泣いてくれる人がいるということが嬉しい一方、私はたいそう落ち着かないものを感じていた。
なんというか、三人ともあっさりし過ぎなのだ。もう少し戸惑ったり、私を避けようとしたりするんじゃないかと思っていた。だからこそ、ずっと『力』について打ち明けられずにいたのだ。
ところが蓋を開けてみたら、ダフネはまったくいつも通りだし、クラレンスは勝手に泣き始めたし。
「ところで君の『力』について、もっと詳しく聞かせてもらえないかな? そしてできれば、私の研究に付き合ってもらえると嬉しい」
スコットにいたっては、まるで子供のように目を輝かせてそんなことを言っている。ある意味、予想通りではあるけれど。
「どうせなら、今育てた木の時間をもうちょっと進めることはできないかな? あと一週間分くらいでいいのだけれど。そうすれば、花が確認できるから」
「それはできないんです。私の『力』は、一つのものにつき一回きりですから。……だからこそ、公爵夫人ともめてしまったんです」
「確かに、重ねて使えるのなら、その公爵夫人が望むところまで若返らせてやれるものな。でもそういうことなら、君がもとの姿になるには、あと十年待たないといけないのか」
「うん。それもあって、私はお父様の誘いに乗ったの。この姿じゃ、どうやっても一人で生きていくなんて無理だから」
「確かに、行く末は浮浪者か孤児院ですね……想像しただけで、悲しくなってしまいましたよ」
また目頭を押さえるクラレンスと、一人きょろきょろと周囲を見渡しているスコット。
「しかしこうなると、一気に研究の幅が広がるな……あの木とあの木で……いや、あれを足してみるのも……」
「スコット、浮かれすぎだ。本当にあんたときたら……」
すっかり自分の世界に入ってしまって浮き浮きと独り言をつぶやくスコットを、ダフネがあきれ顔でたしなめる。もちろんその声は、スコットの耳には入っていない。
「……ふふ」
そうやって騒いでいる彼らを見ていたら、ひとりでに笑いがこみ上げてきた。私はスコットの実の娘ではない。でも私は、ここにいていいのだ。
笑っているうちに、ぽろりと涙がこぼれた。温かくて優しい、大地を潤す雨のような、そんな涙だった。
母さんを亡くしてから血を流し続けていた心の傷に、ようやくかさぶたができたような気がした。




