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18.クラレンスの提案

 その日、私は珍しく屋敷を出ていた。というか、スコットに連れられて屋敷にやってきてから、初の外出だ。


 ここは屋敷から馬車で一時間ほどのところにある、最寄りの町だ。建物や道の雰囲気から言って、さほど大きな町ではなさそうだったが、すっかり小さくなってしまった今の私には、十分に大きな町のように見えていた。


 歴史を感じさせるしっかりとした建物が立ち並び、町のあちこちを大小様々な運河が走っている。町の大きさの割に行きかう人が多く、とてもにぎわっていた。


「運河に落ちないよう、気をつけるんだよ」


 慣れた足取りで、スコットは私に合わせてゆっくりと歩く。その隣を、精いっぱい足を動かしてせっせとついていく。


「あたしがついてるから、大丈夫。ほらパメラ、船が通るよ。見てごらん」


 すぐ後ろから、あでやかな声が聞こえる。私の左側を、いつも以上に美しく装ったダフネがしとやかに歩いていた。町の人間たちは、みなぽかんと口を開けてダフネに見とれている。


 なんだかおかしなことになってしまったなあ、と思いながら空を見上げる。ダフネが予報した通りの、見事に晴れ渡った青空が広がっていた。




 ことの始まりは、クラレンスのこんな一言だった。


「スコット様、お嬢様。たまには外出されてはいかがですか」


 三時のおやつのために西の離れに集まっていた私とスコットは、その言葉を聞いて同時に首をかしげた。


「外出って、最近私たちは毎日庭に出ているよ? パメラのおかげで、とても規則正しい生活を送れるようになったからね。明るいうちにたっぷりと動き回ることができる」


 ハーブがたっぷりと入ったマフィンにかぶりつきながら、スコットがそう主張する。魚の臭みやキノコの臭いが嫌いだと言い張る彼だったが、ハーブや野菜の匂いについてはむしろ好んでいる。植物好きも、ここまでいくといっそすがすがしい。


「スコット様、普通これくらいの子供がいる家では、もっとあちこちに出かけ、色々なものを見せていくものなのです」


「へえ、そうなのか。君は詳しいね、クラレンス」


「スコット様が何もご存じでないだけですよ。子供にとって、情操教育は大切なものなのですから」


「情操教育……私はそんなものを受けた覚えはないなあ」


「何をおっしゃいますやら。旦那様も奥方様も、色々と頑張っておられましたよ」


「うん、やはり記憶にない」


 乳兄弟ゆえの気安さなのか、二人はぽんぽんとそんなことを言い合っている。しかし情操教育も何も、私は本当のところ十八歳なのだけれど。


 それに私としては、あんまりあちこち出歩きたくはない。ここは隣国とはいえ、あの公爵夫人、私が子供になるきっかけとなったあの人物にうっかり出くわさないとも限らない。この田舎の屋敷に引きこもっているほうが、よっぽど気が楽なのだ。


 そんな言葉をお茶と一緒に飲み込み、話のなりゆきを見守る。クラレンスはさらに熱心に、スコットを説得しようと頑張っていた。


「ならばせめて、隣町に遊びに行かれてはどうです? 劇場を見に行くもよし、運河の渡し船に乗るもよし、お嬢様の服や靴を買い足すもよし。たまにはこの部屋以外の場所でお茶にするのも、気分が変わっていいものですよ。だいたいここは、お茶をするには向いていません」


 そう言いながら、クラレンスは部屋中にあふれている木箱や本の山を見渡している。


 この西の離れの二階はスコットの研究室ということもあって、大変ごちゃごちゃと散らかっていた。もっともスコットによれば、これは散らかっているのではなく、一定の秩序のもとに物が置かれているらしいが。その秩序が何なのか、私にはさっぱり分からない。


 そしてそんな部屋の惨状よりも、気になることがあった。今私たちが暮らしているこの屋敷は、かなりの田舎に存在している。その隣町に、劇場や運河なんてものがあるのか。今まであちこちの貴族のもとを渡り歩いたけれど、そんなものがある場所はごく限られていた。


 私があっけにとられているのに気づいたのだろう、クラレンスがこちらを向き、にんまりと笑った。どことなく得意げだ。


「ここの隣町は、スコット様の領地の中でも三番目くらいに大きな町なのですよ。歴史も古く、珍しいものがたくさんあります。とても、楽しいところですよ」


 そうなんですか、とあいづちを打とうとしたその時、目の前にひらりとリボンが垂れ下がった。


「なんだか面白そうな話をしてるじゃないか」


 頭の上からダフネの声がする。振り向くと、可愛らしいリボンの端をつまみ、私の目の前にぶら下げている彼の姿が目に入った。


「東の離れの一階に落ちてた。僕のじゃないから、君のだろう? この時間なら君はここにいるはずだし、気が向いたから届けにきたんだが……スコット、あんた隣町に行くのか」


「まだ決めていないよ。クラレンスが勝手にそう言ってるだけで」


「スコット様、ぜひ行ってください。たまにはお嬢様を思い切り外で遊ばせてやろうとは思わないのですか」


 苦笑するスコットに、クラレンスが思いっきり食い下がった。『ぜひ』の二音をやけに強調して発音している。


「ああ、なんとおかわいそうなお嬢様……スコット様のために日々懸命に努力されているというのに、ろくな楽しみ一つ与えられずにこんな田舎の屋敷に押し込められて」


 そんなことを言いながら、クラレンスがよよと泣き崩れる。いつもきちんと整えられた赤毛を軽く乱しながら、ふるふると頭を横に振っていた。


 クラレンスが泣き真似をしているのはこの場の全員が分かっていたが、なぜかそこにダフネがのっかってきた。見せつけるように腕を組みながら、大きくうなずいている。


「確かに、こんな小さい子が毎日読書と庭いじりばかりっていうのは、かわいそうだな。遊びたい盛りじゃないか」


「二人とも、人聞きが悪いことを言わないでもらえるかな。私なりに、パメラには楽しく過ごしてもらえるよう考えているのだから」


「おや、人聞きが悪い、とは。スコット様が他人の目を気にされるとは思いませんでした」


「僕も驚いた。非常識が服を着て歩いているとばかり思ってたんだけどな。ああ、これは褒め言葉だぞ、一応」


「あの、二人とも、私は別に今の生活を十分に楽しんでいるから……」


 やり込められているスコットに加勢しようと、おずおずと割って入る。スコットは私を見て、嬉しそうに笑った。けれどダフネが、すかさず言葉を返してきた。


「なんだか僕も、久しぶりに出歩きたくなってきたな。なあスコット、僕が母親役を務めてやるから、親子三人水入らずで出かけるのはどうだ?」


「親子、三人……ダフネさん、素晴らしい提案です」


 ダフネのとんでもない言葉に、クラレンスは突然うつむくと、肩を震わせながら何度もうなずいていた。間違いなく、彼は面白がっている。あれは笑いをかみ殺している時の動きだ。


 すっかり調子に乗ってしまった二人に向き直り、もう一度口を挟む。


「だから、私は別にいいのよ、ダフネ。お父様は研究と奥の庭の手入れで忙しいんだから、私のことに時間を割いてもらうのも、ちょっと……申し訳ないし」


 それからスコットの方を見る。なぜだか彼は、さらに難しい顔をしていた。眉間にしわを寄せ、かすかにうつむいたまま考え込んでいる。


 私たちが見守る中、スコットは顔を上げて言い放った。


「……そうだね。私も、親らしいことのひとつもするべきだろう」


 こうして、私たちはそろって出かけることになったのだった。

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