13.親子水入らず?
ダフネの離れを出て、そのまままっすぐにスコットのいる離れに向かう。母屋が北で、庭が南、ダフネの離れが東で、スコットの離れが西だ。やっと、大まかな位置がつかめてきた。もっとも、一番南に位置する奥の庭がどこまで広がっているのかは、まだ分からないけれど。
奥の庭を突っ切って、スコットの離れに向かって真っすぐ進む。勝手口をくぐって西の離れに入った時、ちょうどお茶のお盆を手にしたクラレンスが正面の入口から顔を出した。
「おや、お嬢様。今日は奥の庭にいらしたんですね」
「はい。あの庭で迷わないように、少しずつ道を覚えているんです」
そう答えると、クラレンスは黒に近い青の目を細めて苦笑した。
「熱心なのは結構ですが、どうぞお気をつけて。前にも申し上げましたが、あそこで迷子になられたら、スコット様以外誰も探し出せませんから」
そんなことを喋りながら、二人一緒に階段を上っていく。二階では、スコットが壁際の机に向かって灰色の頭をかきむしっていた。今日も今日とて、何やら熱心に考え込んでいるらしい。
部屋の真ん中に置かれたテーブルに、クラレンスが静かにお茶とお菓子を並べていく。その間に私はスコットに近づき、耳元に顔を寄せて言った。
「お父様、休憩の時間です」
スコットはこちらを見ようともせずに、机に広げた書物をにらんでいる。この反応はいつものことなので、あわてず騒がず、大きく息を吸う。
「おとうさま!」
叫ぶと同時にスコットの腕にぶらさがり、ぐいぐいと引っ張る。八歳の子供だから許される、大胆なふるまいだ。姿勢を崩されたスコットがぱちぱちとまばたきをすると、ようやくこちらを向いた。
「ああ、パメラ。もうそんな時間か。仕方ない、少し休憩にしよう」
そんなことを言いながら、スコットが本にしおりを挟む。その間も、私はしっかりとスコットの腕をつかんだままだ。なにせここで手を離すと、スコットはまたふらふらと机に戻っていってしまうのだ。きちんとお茶の席につかせるまで、油断はできない。
今日もどうにか、彼を机から引きはがすことに成功した。のんびりとお茶を飲むスコットの後ろで、クラレンスが音を立てずに拍手をしている。クラレンスは小さく会釈すると、流れるような動きで階段を降りていった。
「お父様、今日はどうでしたか」
「そうだね、いまいち、といったところかな」
スコットはそれ以上答えない。彼が植物について研究していることは確かなのだけれど、具体的に何をしているのかはまだ教えてもらっていない。説明しても分からないと思われているのか、研究内容自体が秘密なのか。
どちらかは分からなかったけれど、スコットが浮かない顔をしているのはあまり嬉しくなかった。出しゃばらないように気をつけながら、そっと言葉を紡ぐ。
「私にできることがあったら、言ってくださいね」
「ああ、気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
研究についての話はそこで終わり、それからはいつも通りの雑談になっていった。その途中、ふとダフネからの伝言を思い出す。
「……そうだ、お父様。ダフネさんから、伝言です」
「おや、君はダフネと会ったんだね。素敵な美女だっただろう?」
「……どちらかというと、不思議な美青年でした」
ついつい眉間にしわがよってしまう。とにかくダフネは、何から何まで訳が分からない人物だった。
スコットはそんな私を見て、ぷっと吹き出す。
「彼女、いや彼は君のことを気に入ったみたいだね」
「そう……かもしれません」
ダフネには色々とからかわれてしまった。けれど彼からは、悪意は感じなかった。どちらかというと、彼は面白がっていたように思える。
「彼は結構気難しくて、おまけに貴族嫌いだからね。気に入らない相手には、徹底的に美女のふりを崩さないんだ。なよなよとふるまって、器用にあしらって追い払ってしまう」
「……なんだか、想像がつきます」
なおも笑っているスコットに、ダフネからの伝言を話す。すると彼は深緑の目を見張って、窓の外を見た。
「そうか、雨はありがたいけれど、冷え込むのか……仕方ない、考え事は後回しだね」
残り少なくなっていたお茶を一気にあおって、彼は立ち上がる。
「ちょっと用事ができたから、失礼するよ。君は残ってのんびりするといい」
「私に、何か手伝えることはありますか?」
張り切って立ち上がると、スコットは一瞬考えた後微笑んだ。
「君の小さな体だと、できることは限られるけど……そうだね、植木鉢を運んでもらおうか」
私が元の大きさだったら、もっとできることがあったのだろうか。そんなことをつい思ってしまい、こっそりと苦笑する。私が子供だからこそ、こうしてここに来ることができたというのに。
気分を切り替えて、スコットの後を追いかける。彼は勝手口からするりと外に出ると、奥の庭をどんどん進んでいった。けれどいつものように、彼は私に歩調を合わせてくれていた。
「君はそちらの鉢を持って、私についてきてくれ」
彼が指し示したのは、私でも片手で持てそうな可愛らしい鉢植えだ。青紫の小さな花が、数輪咲いている。
「その草は寒さに弱いから、冷たい雨に当てると傷んでしまうんだよ」
そう言いながら、彼は一抱えもある大きな鉢を持ち上げて、近くにある小屋のようなものに運んでいった。木の屋根とそれを支える柱、あとはただの木の板でできた壁が三方にあるだけの、質素極まりないものだ。私も小さな鉢を手にして、そこまで歩いていく。
「でも、本当に冷たい雨になるんですか? こんなに晴れているし、暖かいのに」
「ダフネがそう言うのだから、まず間違いはないよ。私はこれまで、彼にどれだけ助けられてきたことか」
スコットが言い切る。ぴたりと天気を言い当てるなんて、人間わざではない。もしかして彼も、『力持つ者』の一人なのだろうか。
また今度、彼のところに遊びに行って確かめてみようか。彼が素直に話してくれるとは思えないけれど。
そんなことを思ったのと同時に、スコットの言葉が引っ掛かった。ダフネは、スコットの役に立っているらしい。そのことを、うらやましいと思ってしまったのだ。
私がここにいるのは、単に私とスコットの利害が一致したからだ。私はあの公爵夫人から隠れていられるし、スコットはうるさい親戚にやいのやいの言われずに済む。単に、それだけの関係だ。
最近私はスコットの生活に口出ししているけれど、それだってこの生活を少しでも長く続けていくためだ。私がスコットの役に立つかどうかなど、突きつめればどうでもいい話なのだ。
それなのに、私はスコットの役に立ちたいと思ってしまっている。これはいったい、どういうことなのだろう。
悩みながらも、スコットの指示に従ってせっせと鉢を運ぶ。一通り運び終わって息をついていると、スコットが笑いながら手を差し出してきた。
「手伝い、ありがとう。ちょうどいい時間だから、こちらにおいで」
そう言うと、彼は奥の庭のさらに奥に私を引っ張っていく。道などなさそうなくらいに木々が茂った中を、ためらいなくスコットは南へ向かって突き進む。
突然、目の前が開けた。そこには背丈の低い草花ばかりが集められていて、まるで自然の野のように見えた。ただ、よく見るとやはりどれもこれも見慣れないものだらけで、ここもまたスコットが手を入れた場所なのだと分かる。
スコットはその一角に向かうと、いきなり草地に腰を下ろしてしまった。ちょっと背の高い芝のような草が、二、三人が寝ころべそうなくらいに広がっている。
「ほら、ここに座って。じかに座ったほうが、心地良いからね」
恐る恐る言われた通りにすると、ふかふかした草が私の体を柔らかく受け止めてくれた。リンゴを連想させるような甘い香りが鼻をくすぐる。
「もしかしてこれ、カモミールですか? 干したものしか知りませんが、匂いが似ています」
「そうだよ。ためしに一株だけ植えてみたら、いつの間にかこんなに広がってしまってね。私はここに座って夕日を見るのが好きなんだ。ほら、あちらをごらん」
彼が指す彼方には、大きな橙色の夕日が悠然と横たわっていた。その美しさに、思わず見とれる。
すぐ横から、スコットの静かな声が聞こえてきた。
「……私はね、本当にいい拾い物をしたと思っているんだ」
夕日を見つめたまま、彼の言葉に耳を傾ける。
「賢くて、私の邪魔をしない。私のことを気遣ってくれて、生活を正そうと頑張ってくれている。それだけじゃない。君はこんなささいなことでも、私の力になろうとしている」
恐る恐るスコットの方を見ると、彼もまたこちらを見ていた。夕日に照らされて橙色に染まった彼の顔は、胸が苦しくなるくらい優しい表情をしていた。
「私は、君を養女として良かったと、そう思っているよ。だから君も、もっと自由に、もっと好きにくつろいでくれていいんだ。君は私の娘で、ここは君の家なのだからね」
「私の、家……」
「ああ、そうだよ。私は他人と関わるのが得意ではないから、きっと君を戸惑わせてしまっているのだと思う。けれど私は、これでも君のことを歓迎しているんだ。そのままの、君をね」
その言葉に、うっかり泣きそうになる。子供が泣くなんて珍しくもないけれど、泣き顔を見せるのは恥ずかしかった。ぐっとこらえて、ごまかすように微笑む。スコットも、大きな笑みを浮かべていた。
夕日に照らされながら、私たちは笑い合った。もし私の実の父が生きていたら、こんな時間を過ごすこともあったのかなと、そんなことを思わずにはいられなかった。




