11.奥の庭での出会い
それから私の生活には、新たな日課が加わった。
朝はスコットを起こしにいき、それから一緒に朝食をとる。母さん直伝の、好き嫌い対策の特製料理を、スコットは笑顔でたいらげていた。自分が何を食べているかは教えないでくれ、知らなければおいしく食べられるから。彼はいたって真面目に、そんなことを主張していた。
朝食後は、そのまま二人で奥の庭に向かうようになっていた。スコットがきちんと早起きができるようになったおかげで、午前中にしっかりと庭いじりをする時間を取れるようになっていたのだ。彼によれば、以前は彼一人で、午後に庭仕事をしていたらしい。
スコットは植物の世話をして、私は雑草抜きと虫集め。その合間に、スコットは色々なことを教えてくれた。それぞれの植物の性質だとか、好む環境だとか。
とにもかくにも、彼の口から飛び出るのは植物の話ばかりだった。まあ、それは初めて出会った時から似たようなものだったが。
植物についての基礎知識を学んだばかりの私にも分かるように、彼はかみ砕いて説明してくれていた。スコットは生活能力のほうはからきしだが、こういったところでは恐ろしく気が回る。彼は領地の統治を両親に丸投げしているらしいが、本人さえその気になれば案外そちらもこなせるのではないかと、そんなことを思わずにはいられなかった。
それからまた一緒に昼食をとって、その後はめいめい好きなところで好きに過ごす。三時頃になるとクラレンスが西の離れにおやつを持ってくるので、それを食べながら雑談する。スコットは相変わらず私の過去については聞いてこない。それは私にとって、とてもありがたいことだった。
それからまた自由に過ごして、後は夕食と湯あみだ。驚いたことに、この屋敷には温泉が湧いていた。だからこそ、ここに別荘が建てられたらしいが。
そのおかげで庭の一角が年中暖かいため、普通では育てられない植物を植えることができるんだ、とスコットは目を輝かせて語っていた。本当に彼の頭には、植物のことしかないらしい。
お風呂あがりは自室でのんびりして、一日のしめくくりにスコットにあいさつをする。というか、いい加減に寝るように、と引導を渡しにいくといったほうが正しいかもしれない。
そんな一日の中の自由時間を、私は気ままに過ごしていた。スコットのいる離れで読書したり、自室でのんびりしたり。庭をぶらついたり、クラレンスとちょっとした世間話をしたり。
「お嬢様が来られてから、スコット様はとても健康的な生活を送られるようになりました。本当に、感謝しておりますよ」
「私としても、お父様には元気でいて欲しいですから」
「ありがとうございます。スコット様は子供の頃からああですので、親身になってくださる方が少なくて。旦那様と奥方様も、スコット様に負けず劣らずの変わり者で、おまけに放任主義でしたから」
「……十四年前に、この屋敷に移り住まれたと聞きました。その時から、クラレンスさんはお父様と一緒だったんですよね」
そう尋ねると、クラレンスはにやりと笑って首を横に振った。よく手入れされた赤毛が、さらりと揺れる。
「いいえ、もっと前からです。まだスコット様がよちよち歩きの頃から、私はあの方のおそばにおりました。あの頃は、あの方も可愛らしかったんですけどねえ」
どういうことだろうかと言いたげな私の様子を察したのだろう、クラレンスは涼しい顔で話し始めた。
「私とスコット様は乳兄弟に当たるのです。私の妹とスコット様が、ちょうど同い年でして」
それで、彼はどことなくスコットに対して遠慮がなかったのか。普通、執事というものは、もっと主人に対して敬意を払うものだ。
「スコット様が小さな頃から、私と母はあれこれと世話を焼いておりまして……そんなこんなで、現在に至ります」
けろりとそうまとめた彼に、ずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「こんなところまでついてくることに、抵抗はなかったんですか?」
「ないと言ったら嘘になりますが、まあ慣れてしまえばここでの暮らしも悪くはないものですよ。庭が日に日に広がっていくのが、少々怖くもありますが」
クラレンスは大げさに身震いして、窓の外に目をやった。きれいに整えられた手前の庭と、しっかりとした木の柵、そしてその向こう側でうっそうと茂る木々。
「あの、奥の庭ですね」
「ええ。あの柵から向こうの一帯は、全部スコット様がここに移り住んでからせっせと広げていったものです。パメラお嬢様も、うっかり迷子にならないように気をつけてくださいね」
屋敷の庭で迷子になど、普通はならない。たとえそれが、八歳の子供であってもだ。すっきりとして見通しが良く、なにもかもが整然としている。それが、一般的な貴族たちの庭だ。
しかしここの奥の庭なら、迷子になることだって十分にありそうに思えた。それくらいに込み入っていて、おまけにやたらと広い。何度か注意しながら足を踏み入れてはいるものの、未だに全容がつかめていないのだ。
「はい、気をつけます」
だから神妙に、そう答えてうなずいた。クラレンスも真顔で、大きくうなずき返していた。
そんなやり取りがあってから数日後の午後、私は注意しながら奥の庭を歩いていた。迷子にならないように、目印になりそうなものを覚えながら。
スコットならこの庭の全容を理解しているだろうし、万が一迷子になったとしてもすぐに見つけてくれるだろうが、彼の手をそんなことでわずらわせたくはない。
だから一度、この奥の庭を一通り歩いてみようと、そう思ったのだ。頭の中に大まかな地図を作っておけば、迷子になるようなこともないだろう。あまり奥の方に深入りするのは危険だから、まずは屋敷に近い、北側の一帯をそろそろと歩く。
とはいえ、それは一筋縄ではいかない作業だった。普段スコットと作業をしている辺りからほんの少し離れたとたん、見たことのない草がこれでもかとくらいに生い茂った、庭だか荒れ地だか分からないところに出てしまったのだ。
でもこの辺りなら、まだ屋敷がぎりぎり見えている。表の庭とこの裏の庭を区切っている柵、その際に植えられている木々の隙間にちらりと見えているのは、母屋の屋根だろう。ということは、あちらが北側だ。
屋敷から大きく離れないように、そろそろと東に進んでみる。こちらの方には近づいたことがない。じきに、明るい林が行く手に現れた。
林の端の方、木々に囲まれるようにして、ぽつんと建物が建っている。スコットが日中過ごしている西の離れとよく似た、石造りの二階建ての建物だ。
その建物はスコットの離れと良く似た作りで、よくよく見ると建物の入口から北に向かって、細い道がくねくねと伸びていた。おそらく、母屋に続く道なのだろう。
なんとなく足音を殺しながら、そっと建物の周りを歩いてみる。西の離れはスコットが使っているけれど、この東の離れはどうなっているのだろうか。
そうして建物の南側に出た時、何かがふわりと落ちてきて私の頭にかぶさった。なんだろう、と手に取ってみると、それは柔らかな薄紫の布だった。縁に色糸で飾り縫いがされた、透ける美しい布だ。
「あら、子供……ね」
続いて、上からそんな言葉が降ってくる。ほんの一言だけでも、その声がとても美しいことが分かった。柔らかく澄んだ、しっとりとした声。
思わず上を見ると、二階の窓辺からこちらを見下ろしている女性と目が合った。とても美しい、けれど何とも言えない不思議な雰囲気の人だった。
私は布を手にしたまま、ぽかんと口を開けてその人を見上げていた。




