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1.虚ろな暮らしの終わり

「その娘、パメラを、今すぐ牢へ放り込みなさい!」


 金切り声をあげて、老女が叫ぶ。公爵夫人である彼女はしわだらけの手を挙げて、まっすぐに私を指さしていた。


 ああ、やっぱりこんな暮らしは長く続かなかった。私が最初に思ったのは、そんなことだった。





 呆然と立ち尽くしていると、頭の中に様々な記憶がよみがえってきた。この一年の、目まぐるしい日々の記憶が。


 ごく普通の町娘だった私は、十七歳の時、たった一人の肉親である母さんを亡くした。私は誰を頼ることもできず、一人きりで生きるしかなかった。


 けれどすぐに悪い人間にだまされて、なけなしの財産を全て奪われた。生まれ育った家も、父さんと母さんの遺品も、なにもかもなくなってしまった。


 それからは貧民街の裏路地で、文字通り泥水をすするような暮らしをしてきた。どれだけ努力しても、暮らし向きが良くなることはなかった。


 ある日飢えきっていた私は、腐りかけのリンゴを口にしようとして、そのあまりの味にえずいた。ひもじさ以上に、情けなくて、悔しかった。


 私にはなんの取り柄もない。多少の読み書きと、家事ができるだけの無力な少女。あとはもう犯罪に手を染めるか、この体を売るか、それくらいしか思いつかない。もう私は、そこまで落ちてしまったのだ。一人になって、ほんの数か月で。


 悔しくて、涙が止まらなかった。やるせなさをぶつけるように、腐りかけのリンゴをきつく握りしめた。


 その時、リンゴが赤い光に包まれた。その光はリンゴに吸い込まれるようにしてすぐに消え、あとには新鮮なリンゴが残されていた。つやつやとしてみずみずしいそれをかじると、甘くさわやかな果汁が口いっぱいにあふれた。


 何が起こったのか、一瞬遅れて理解した。私は、腐りかけのリンゴを新鮮なリンゴに変えてしまったのだ。


 私は、『力持つ者』の一人だった。それに気がついたことで、私の人生は大きく形を変えた。


 この世には時折、特別な『力』を持って生まれる者がいる。私も、その一人だった。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められたことで、私の中に眠っていた『力』が目を覚ましたのだろう。確かな証拠は、どこにもないけれど。


 私は少しだけ、物の時間を操ることができた。と言っても制約は多い。一つのものにつき一回しか使えないし、操れる時間の上限はだいたい十年といったところだ。


 けれど絶望のどん底であがいていた私にとって、この『力』は降ってわいた幸運のように思えた。だから私は、遠慮せずに『力』を使うことにした。これでやっと、一人でもまともに生きられる。そう思った。


 ぼろぼろのものをただ同然で手に入れて、新品に戻して売りさばく。あきれるほど簡単に、順調にお金を稼ぐことができた。あんなに苦労していたのが嘘のようだった。


 やがて、私に一人の貴族が声をかけてきた。どうやら、私の『力』のことを偶然耳にしたらしい。そして彼は、とんでもないことを持ち掛けてきた。


 お前の『力』で、私に若さをもたらしてくれ。礼は存分にはずむ。


 その一言が、私の新たな、どうしようもなく空しい生活の始まりだった。




 彼の提案は、笑えるくらいにうまくいった。四十を超えていたその貴族は、私の『力』により見事に若返ったのだ。髪は豊かに生えそろい、肌は張りを取り戻し、出っ張っていた腹も引っ込んだ。


 私は見返りとして、たくさんの金貨や宝石を手に入れた。そうして彼から紹介された、次の貴族のもとに向かっていった。若返らせては謝礼をもらい、また別の屋敷に向かう。ひたすらにそれを繰り返していた。


 高い地位に何一つ不自由ない生活。私から見れば憎いほど恵まれた彼らの欲は尽きることがないようだった。長生きしたい、若さが欲しい。人間たちの醜い欲を見せつけられながら、私は淡々と『力』を使い続けていた。


 気がつけば、私の手元には見たこともないほど多くの金品が集まっていた。かつて奪われてしまった生家を取り戻しても、十分にお釣りがくるくらいに。


 けれど私はそうしなかった。何も後ろ暗いことなどしていないのに、なぜか亡き両親に合わせる顔がないと思ってしまったのだ。今の私には、あの家に戻る資格なんてない。そう思えてならなかった。


 そんなことないわ、パメラ。頭の中でそう語りかけてくる母さんの声に、耳をふさいで顔をそむける。そうして私は、虚ろな目で貴族たちの依頼をひたすらにこなし続けた。


 うなるほどお金は手に入ったし、貴族たちと関わっていくうちに礼儀正しい立ち居ふるまいを身に付けることもできた。でも、それだけだった。


 母さんを亡くしてから一年。たったの一年で、何もかもが馬鹿馬鹿しいくらいに変わってしまっていた。


 達成感などこれっぽっちもない、奇妙な後ろめたさに満ちた暮らし。私はもう、そんな暮らしにも嫌気がさしていた。


 けれど今、その暮らしは終わりを告げようとしていた。私を糾弾する、この老女の手によって。






 今回私は、とある公爵夫人に呼びつけられていた。そしていつものように、『力』を使って彼女を若返らせた。


 けれど彼女は、その結果に満足していなかった。それも仕方ないだろう、何せ彼女は既に八十を超えていたのだから。八十過ぎの老女が七十過ぎの老女になったところで、ぱっと見はそう変わるものでもない。


 客がごねるのは、別にこれが初めてではなかった。私はにっこりと笑いながら、丁寧に言葉を紡いでいた。


「いえ、間違いなく奥方様は十年若返っておられます。体が少し軽くなっているのではありませんか?」


「言われてみれば、そんな気もするけれど……でも見た目が変わらないのであれば、意味がないわ」


 銀とガラスでできた美しい手鏡をのぞきこみながら、公爵夫人は眉間にしわを寄せている。


「ならば、滋養のあるものを意識して口になさってください。身の内が若返っておられますから、それらの食物は今までよりもずっと効率良く、奥方様の血となり肉となるでしょう」


 自信たっぷりにうなずきかけると、ようやく公爵夫人が表情を変える。不満たっぷりの顔から、疑うような顔へ。


「そういうものなのかしら」


「はい、保証いたします。そうすれば少しずつ、見た目のほうにも変化が出てくることでしょう。若さや美しさ、そして健康は、食事が作ってくれます」


 自分で口にしたその言葉に、ほんの少し胸が痛む。健康は食事が作ってくれるのよと、母さんのそんな口癖を思い出してしまったのだ。


 私がまだ小さい頃に夫と死に別れた母さんは、食堂や豊かな商人の家などで料理人として働きながら、私を女手一つで育ててくれた。


 母さんは勉強熱心で、忙しい日々の合間をぬって、いつも色々なことを学び、考えていた。よりおいしく、より健康的な料理をあれこれと考案していたものだ。


 母さんの十分の一でも私が勤勉だったなら、しっかりしていたなら、こんな訳の分からない暮らしをせずに済んだのだろうか。鼻の奥がつんとするのを感じながら、何事もなかったかのように笑顔を保ち続ける。


「……そうね、ひとまずそうしてみるわ。下がってちょうだい、パメラ」


 どうやら公爵夫人も、ひとまずは納得してくれたらしい。安堵のため息をこっそりとついてから、うやうやしく礼をして彼女の部屋を後にする。


 さっさと謝礼を受け取って、明日になったらすぐにここを離れよう。そんなことを考えながら、あてがわれた客室に向かって歩く。今日はいつも以上に、気が重かった。




 けれど事態は、私の思いもしない方向に進んでいた。その日の夜、私はいきなり公爵夫人に呼び出されたのだ。


 深刻そうな顔の侍女に連れられて向かった先には、激怒している公爵夫人の姿があった。彼女の肌にはびっしりとじんましんが浮かび、見るも無残な姿になっている。


「パメラ、お前はわたくしをだましたのね」


 公爵夫人の目にもその声にも、恐ろしいほどの怒りが渦巻いていた。かたわらで彼女の手当てをしている医者までもが、思わず身震いしたほどに。


「お前が滋養のあるものを口にしろといったから、その通りにしたの。でもその結果が、この醜い肌よ」


「それは」


 普段は何ともない食べ物であっても、体調などの関係でじんましんが出てしまうことがあるのだと、母さんからそう教わった。きっと公爵夫人は意気込んで、普段よりたくさんの肉や魚を口にしたに違いない。きっとそのうちのどれかが、たまたま悪さをしたのだろう。


 彼女の剣幕に押されてしどろもどろになりながら、どうにかこうにかそう説明する。けれど公爵夫人は聞く耳を持たないようで、恐ろしい形相で言い放つ。


「いいえ、お前の話は信じられないわ。きっとよその貴族も、同じようにたぶらかしたに決まっている」


 そうして彼女は命じた。その娘、パメラを、今すぐ牢へ放り込みなさい、と。


 背後の扉から、ばたばたとせわしない足音がいくつも駆け込んでくるのが聞こえる。あっという間に、私は衛兵たちに囲まれてしまっていた。


 なすすべもなく、私の両手に縄がかけられる。悪い夢を見ているのかもしれないと、そう思いたかった。けれど手首に食い込む縄の感触は、これがまぎれもない現実であるということをありありと物語っていた。

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