下着が透けて理性が飛ぶのは常識です
「――――……のあたりで、犯人が分かった」
「あそこで? 私は犯人が犯人しか知りえない情報をさりげなく口走ったあたりですかね……」
「ああ、朝露に濡れた薔薇の色か」
恭弥を気に食わないと思いつつも、意外にも熱論を交わしていたらしい。傘を打つ雨音をBGMに、由良は日本にきてから慣れた道のりを楽しく歩いていた。
身長が百六十センチと標準的な由良だが、恭弥は百八十センチを超えている。見上げる度首が痛くなるのはだるかったが、そこは男女の違いだから仕方ないと、由良の負けず嫌いが刺激されることはなかった。
しかし二十センチも違えば歩幅も全然違うだろうに、由良の息が切れないのは、恭弥がさりげなく歩くスピードを合わせてくれているからだろう。それに気付くと、妙に気遣われるのが嫌で由良は歩くペースを上げた。
(気に食わない男に優しくされてるなんて、プライドが許さない……!)
急にペースアップした由良を不審に思い、恭弥が声をかける。
「どうした」
「歩くのが遅くてすみませんね。貴方の長い足のペースに合わせるべきかと思ってスピードアップしただけですよ」
どうしても厭味ったらしくなってしまう由良の物言いに、恭弥は気にした様子もなく言った。
「構わない。お前と小説について話すのが楽しいからゆっくりでも気にならなかった」
「……っ」
(この男は……っ!)
天然な女殺しなのだろうか。無自覚で女を喜ばせるようなことを言う。いや、もしかしたら意図的かもしれないと由良は探るような目で恭弥を見たが、不可解そうな視線を返されるあたり、やはり天然なのだろう。
(……モテるわけだ)
傘をさして顔が見えづらいにもかかわらず、道行く女性は恭弥を振り返って頬を染めている。まあ男は男で、追い越しざまに由良の顔をばっちり見てその美少女っぷりにソワソワし、恭弥の方を恨めしげに見ていたのだが、それはまた別の話である。
恭弥の優しさに居心地の悪さを感じ、由良は小説の話題に戻ろうと口火を切った。
「あの、そういえば小説の種明かしのシーンで――――……っくしゅん!」
せりあがってくるような寒気を感じ、思わず両手で押さえたもののくしゃみが出た。すみません、と謝ってから由良が鼻をすすると、恭弥は
「ちょっと待て」
と言って、スクールバックの中からタオルを取りだし由良に押しつけた。
「髪だけでも拭け」
「え……でもキョウは……」
「俺はいいから、そのままだと制服も濡れているし風邪を引くぞ」
「へ……?」
そういえば会話に夢中になっていたためたった今気付いたが、濡れて冷たくなったカッターシャツが肌に纏わりつき、氷を押し当てたような感触を寄こしてきている。ぶるりと肩を震わせた由良は、同時に待てよ、と自分の姿を見下ろした。
濡れて色の変わったチェックのプリーツスカートはまあいい。しかし、学校指定のカッターシャツは濡れたせいで控えめなピンクの下着がうっすらと透けてしまっていた。
由良の脳内にピシャーンと落雷のような衝撃が走る。
(……こ、れはもしや……女性向けのエッチな漫画で定番の『雨で彼女の下着が透けて男の子の理性がプッツン。彼女の濡れた髪と項、身体のラインに欲情、煽ったお前が悪い身体で責任を取れ』シチュエーションでは……!?)
由良は形の良い唇をわなわなと震わせた。
景は『現実の日本人はエッチな漫画みたいなことはしない』と言っていたが、恭弥のスパダリ感溢れる顔! オーラ! 絶対にこいつはエッチな漫画に出てくるワイルドなオレ様社長キャラだ……! と由良は思った。
(絶対にキョウは私を強引に抱く……! 私は雨の中キョウとともに家に帰り、『濡れているから、貴方も着替えてください』と親切心から景の服を貸してあげたが最後、その優しさにつけ込まれ、私が洗面所で着替えている間に入ってきたこいつに犯される……!)
その光景がありありと浮かび、由良は頭を抱えた。
おそらくシチュエーションはこうだ。
景の家の狭い洗面所、その引き戸が飢えた獣の恭弥によって乱暴に開けられ、ちょうど濡れたシャツを脱いでいた由良は慌てて前を隠す。
それでも恭弥は、服で覆いきれなかった由良のブラの肩紐や、新雪のように白い肌が視界に入るだろう。羞恥に震える由良の肩から肩紐がずれ落ちるのと、恭弥が生唾を飲みこむのは果たしてどちらが早いのか。
由良は頬を朱に染め、抗議の声を上げた。
『ちょっと、着替え中に入ってこないでください……! 出ていって!』
『煽ったお前が悪い。その濡れた髪の纏わりついた項、白い肌に滑る雫……俺を誘っていたんだろ……?』
『やだ、舐めないで……!』
洗面台に後ろ手をつかされ、首筋に滴った雫を恭弥に舐め上げられる。肉厚の舌が肌を這う度に、触れた個所が火を噴いたように熱く感じた。時折胸元に息がかかり、泣きたい気持ちともどかしい気持ちがないまぜになったような不安定な感情に支配される。
ついに耳まで達した舌が生き物のように蠢いてクチュクチュと中を犯すものだから、由良は細い悲鳴を上げた。羞恥に震えギュッと目を閉じれば、後ろから顎を掴まれ、恭弥に目を開けるように囁かれる。
彼の有無を言わさぬ声の響きに促され生理的な涙の滲んだ目を開けると、洗面台の鏡には快楽に蕩けそうな由良と、熱に浮かされたような恭弥が映っていた。
脱いだ服を足元に落とされたせいであらわになった胸元を、恭弥の無骨な手がまさぐっている。もう一方の手はスカートの中へ伸び、由良の純潔を守るにはあまりにも頼りない下着に指をかけていた。
『や……っキョウ……!』
抗議の言葉を紡げば長い指を口の中に突っ込まれ、悪戯に舌を撫でられる。
『んぅ……っ』
下半身がムズムズし、膝が笑って今にも崩れ落ちてしまいそうだ。彼の腕の中で身じろぎ、力の入らない手で恭弥の厚い胸板を押し返せば、情欲の火を灯した射干玉の瞳と目が合い、背筋がぞくりと粟立った。
ああ、彼は私を抱く気に違いない……! と。
そこまで妄想し、由良はこの世の終わりのように打ちひしがれた。
(ひどい! 私処女なのに立ったままめちゃくちゃ激しく突かれてしまうんだ……! 『後ろからの方が痛くないはずだから泣くな』みたいな百回は目にしたお決まりの台詞を言われるんだ!)
由良の妄想など知る由もない恭弥は、頬に爪を立てて哀れな表情を浮かべている由良へと告げる。
「ついたぞ」
(突いたぞ!? えっ!? もう!? 私は知らない間に処女を喪失していた……!?)
激しく動揺する由良。しかし、パッと爪痕の食いこんだ顔を上げてみるとそこには景と自分の愛すべき家が広がっていた。
どうやら恭弥の言った『ついた』は『突いた』ではなく『着いた』だったらしい。ただいま。アイムホーム。
(日本語紛らわしい……!)
自分がピンクな妄想をしていたことは棚に上げ、由良は日本語の難解さを恨めしく思った。そして昭和の情緒が漂う青い瓦屋根の家を一瞥し、ついで恭弥を見上げる。
「何だ?」
恭弥の鍛え抜かれた胸板には制服が貼りついていて、見ているだけで冷たそうだ。チェックのスラックスも濡れたせいで一段暗い色になっている。
(キョウにまんまと抱かれるわけにはいかない……。けれど、このまま濡れたキョウを家に帰すわけにもいかないし……とりあえず着替えさせなきゃ……そうだ、玄関で着替えさせれば変な展開にはならないはず……!)
流石に恭弥が(由良の妄想上で)今まで何人もの女を性的に蕩けさせてきた色男でも、玄関先で襲いかかってくるような獣ではないだろう。
漫画では玄関先でそのままなし崩しエッチな展開を拝んだこともあるが、由良と景の家のドアは擦りガラスだ。もしまぐわえば男女のシルエットが見えるような場所では、恭弥も致したりしないだろう。
(いや……誰かに見られるかもしれないスリルを楽しむ鬼畜な変態かもしれないけど……)
その可能性も無きにしも非ず。由良がぞっとしていると、恭弥が「話がないなら帰るぞ」と踵を返そうとした。
「あ、待ってください! あー……えっと、濡れたまま帰すわけにもいかないので、とりあえず上がって……」
こほん、と咳払いしてから警戒心を解かずに言う由良。しかし恭弥は予想に反し、上がろうとはしなかった。
「いや、遠慮しておく。お前と津和蕗の城に邪魔しては悪いからな」
「え…………」
「風邪を引かないようにさっさと着替えて風呂に入れよ。まあ、俺に言われなくてもお前ならそうするだろうが」
「いや、ちょっと……キョウ?」
「じゃあな」
「え……待ってください、キョウ!」
今度こそ恭弥は由良に背を向けていってしまう。小さくなっていく背中に戸惑いながら由良は声をかけたが、恭弥は振り返らなかった。
「……いっちゃった……」
屋根のある玄関先に一人取り残され、由良はぽつりと呟く。
何だそれ。送り狼にならないなんて。本当に送ってくれただけなんて。そんなの……。
「ただの紳士じゃないですか……」
現実には、やらしい妄想の一欠片も起こらないなんて。
ほっとしたような、肩透かしを食らったような。――――何にせよ、扱いづらい感情を胸の内に抱え、由良はぶるりと一つ身体を震わせてから、着替えるためにもすごすごと家の中に入った。