相合傘? それってなんて健全ですか
本人としては見目を鼻にかけるつもりはない。が、由良は校内一の美少女であるので、見学にきたことは一気に知れ渡り、剣道部員からの熱い視線を浴びる羽目になった。
露骨に由良をじろじろと見る部員もいれば、顔が隠れているのをこれ幸いに面越しに熱っぽい視線を送っている者もおり、正直居心地が悪いので早く帰りたい。
別に待っていなくてもよかったのだが、恭弥の言葉を無視して帰ったことがバレて景に怒られるのは嫌だ。そう思い、由良は見学がてら恭弥を待っていることにした。
「驚いたな、本当に大人しく待っていたのか」
部活を終えブレザーに身を包んだ恭弥は、由良が三年生の外足場の前で待っているのを見つけ、意外そうな顔で言った。
「貴方が待っていろと言ったんでしょう」
友人にさっそく教えてもらった漫画を読んでいた由良は、これから主人公が拘束され快楽責めにあおうとしているところでスマホを閉じ、憮然とした表情で言った。
「そうだったな」
「……取り巻きの方たちは?」
「取り巻き?」
疑問符を浮かべる恭弥へ、貴方のファンの女の子たちのことです、と告げれば、恭弥は苦々しそうな顔をした。どうやら女子に騒がれるのはあまり好きではないらしい。
「ファンかどうかは知らないが……練習の邪魔になるから帰らせた。お前こそ、いつも誰かに見られているな」
「私ですか?」
訝しげに尋ねた由良へ答えを寄こすように、恭弥は目線を外足場の周囲へ滑らせる。由良がその視線を追ってみれば、周囲には不自然なほどの数の男子生徒がおり、こちらを熱っぽく見ていた。由良と目が合うと頬を赤らめてそそくさと帰る者や、これ幸いに浮かれた様子で挨拶をしてくる者もいる。
「由良ちゃん、また明日!」
「またな篠月!」
「さようなら……」
さりげなさを装って声をかけていく同級生や、由良の背中をポンと叩いて帰っていく先輩、それから気弱そうな生徒は俯き加減で挨拶だけ残し走り去ってゆく。
「はい。さようなら。皆さんお気をつけて」
さし障りのない挨拶を返す由良へ、恭弥は片眉を吊り上げ、面白そうに言った。
「ほう? 俺以外には随分愛想がいいみたいだな」
「うるさいですよ。それで、どうして私に待っていろと言ったんですか」
「ああ、雨が降っているから、一緒に帰ろうと思ってな」
「え……」
確かに外は正午を過ぎたあたりから雨が降り、花壇の紫陽花を濡らしていた。
「持ってきてないんだろう? 傘。終礼が終わったあとにバイトへ直行する津和蕗が『由良が傘持っていってないかも』と心配していた。残念ながら一本しかないが、入っていけ」
「は……」
(それって、私がキョウと相合傘をして帰るってこと……!?)
恭弥が手に持っていた紺色の大きい傘を広げる。それを見た由良は、二人仲良く肩を並べて帰っていく図を想像し、急いでそのイメージを吹き飛ばした。
「け、結構です……! キョウの家と私の家は逆方向ですよね?」
このすかした男に借りを作るのも癪だと、由良は突っぱねた。しかし恭弥も引きさがらなかった。
「気にしなくていい。俺はお前の家の最寄り駅から電車でも帰れる」
「いやでも結構です! 敵の施しは受けません!」
「敵って何だ……」
呆れた様子で問う恭弥に、由良はまごつきながら言った。
「それは……景が、貴方が景よりも優れてるって言うから……」
それに、大好きな景が褒めちぎっているという事実だけで、由良にとって恭弥は面白くない存在なのだ。
由良は何でも器用にこなす分、自分に自信がありプライドも高い。今までは文通でのやり取りで自分だけを褒めてくれていた存在が、自分以外の人間を褒めるのを見るのは、大好きな兄を取られてしまったようで面白くなかった。
「お前は津和蕗のことが本当に好きだな」
由良の心情を言わずとも察したのだろう、恭弥は一つため息を吐いて言った。由良は間髪を入れず答えた。
「ええ。大好きです。私のお兄ちゃんです」
「なら尚更入っていけ。津和蕗は俺にとっても友人だ。そいつが妹のように可愛がってる女を濡れて帰したなんて知られたら、津和蕗に怒られる」
「怒られればいいんですよ」
「……強情な女だな」
あまりにも頑ななせいか、恭弥に少し苛立ったような低い声で言われ、由良はビクリと肩を揺らす。しかし恭弥に怯えたという事実すら癇に障り、由良は針のような雨の中へ飛び出した。
「とにかく……っいいんです! 私のことは放っておいてください!」
「おいっ?」
水たまりを跳ねあげ逃げるように駆けていく由良へ、恭弥は肝を抜かれたような声を上げる。入学早々受けたスポーツテストで短距離のタイムが学年トップだったこともあり足の速さに自信がある由良は濡れるのも構わず校門へ向かったが、しかし十メートルもしないうちに細腕を掴まれた。
「きゃっ!?」
つんのめりそうになるのを踏みとどまって後ろを向く。と、怖い顔をした恭弥が追いついていた。
(くそう……っ! 足のコンパスがそもそも違うんだった……!)
恭弥の長い足を忌々しげに見つめた由良は、ふと自分が濡れていないことに気付いた。
いや、雨の中へ走りだしたせいで正確には濡れているのだが――――……頬や頭皮を打つ雨粒を感じなくなった。それが不可解で視線を上げれば、由良の方へと傾けられた傘に、由良はすっぽりと覆われていた。
「え……」
由良の頭上で、バラバラと傘に雨粒が跳ねかえる音がする。雫の滴る前髪越しに恭弥を見れば、恭弥は由良に傘を傾けたせいで、全身濡れネズミになっていた。
水も滴る良い男とはこのことか。濡れて束になった艶やかな黒髪も、雫の滴る首筋も匂い立つような色気がある。
(――――……って、そうじゃなくて……!)
「あ、なた……! 何で追いかけてくるんですか! ずぶ濡れじゃないですか!」
「お前が逃げるからだろう。そんなに俺と傘に入るのが嫌なら、お前がこの傘をさして帰れ。俺は別にいい」
「はあっ!? それだと貴方が濡れるじゃないですか!」
「お前がこのまま帰ったら、部活が終わる時間までお前を待たせた意味がない」
「そんなの……~~~~っとにかく! 濡れるから貴方も傘に入ってください!」
由良の方に傾いていた傘を恭弥の方へとグイと押し返す。しかしすでに恭弥はカッターシャツが肌にはりつくほど濡れてしまっていた。
「とりあえず、外足場に戻って髪だけでも拭いてください!」
由良は恭弥の傘を持っていない方の手を引っ張り、また屋根の下へと戻る。それからカバンの中からハンカチを取り出し、水の滴る恭弥の顔を拭ってやった。
「……驚きました。キョウ、貴方って結構頑固なんですね」
「お前相手だと意地になるみたいだ。自分でも驚いている」
「そういうの、相性が最悪っていうんですよ。私たちは馬が合いません」
キメの細かい肌が憎たらしくて、由良は強めに恭弥の頬の雫を拭ってやった。それでも、恭弥はクッと笑声を転がす。血の通っていない冷血な人形のように整ったこの男は、意外にもよく笑うと由良は思った。
しかもその笑い方に嫌味がなくて、恭弥の微笑みは嫌いではないかもしれないと思い、由良はそんなことを考える自分に腹が立った。
恭弥にもういいと手をやんわり払われ、由良はハンカチをしまった。
「俺はお前と馬が合わないとは思わないがな。少なくとも、本の趣味は合うだろう」
「そ、れは……そうですが……」
「前に図書室で借りた本を読み終えたんだ。感想を語りがてら、帰るのも悪くないと思うんだが?」
「…………」
この誘い文句には、由良も心が揺れた。
何故なら日本に来てからハマっているエッチな少女漫画については「目隠しプレイで黙ったままのヒーローに抱かれ、目が見えないし声も聞こえないから誰に抱かれているのか分からなくてヒロインが不安になるシチュエーションがエッチだった」などとクラスメートと語れるが、お気に入りの洋書について考察や議論を熱く交わせる相手は早々見つけられないからだ。向こうもそう思っているのだろう。もしかしたら、本の感想が語りたくて一緒に帰ろうと誘ったのかもしれない。
結果、誘惑に負けた由良は口をへの字に曲げ
「傘は貴方が持ってくださいよ」
と可愛げのない口調でいい、相合傘で帰ることを了承した。