ナニでどこを突くつもりなのかと
それから数日、梅雨明けは遅く糸を垂らしたような雨は続いていた。
放課後の教室で、由良は手先の器用さを生かし、友人であるクラスメートの女子の髪を編みこんであげていた。机に置いた鏡越しに、友人は由良の顔をうっとりと見つめた。
「由良ちゃんって本当にお人形さんみたいー。まつ毛なっが。あーもう横に並びたくないプリクラの顔じゃないと横に並べないー」
「プリの顔で横に並んでも篠月さんの顔の小ささにはなれなくね? 素材の良さも違うし」
「うっさい黙れ男子」
横から茶々を入れてきた男子に中指を立てた友人へ、「出来ましたよ」と由良は声をかける。
人は羨む生き物だ。褒められたことに対し頑なに否定する謙虚さも、それが当然と頷く傲慢さも嫌味でしかない。それをよく知っている由良は、否定するでも肯定するでもなく、ただただ友人を一番可愛く仕立てることに集中した。
出来栄えに感動した様子の友人は、感嘆の声を上げた。
「ありがとー! 由良ちゃん本当器用だね。頭もいいしさ、運動も出来るし優しくて穏やかだし完璧じゃん」
「褒め上手ですね。でも喜んでいただけて嬉しいです」
「よーし、この髪型で目立って他の子と差つける」
グッと拳を握り、鏡やブラシをポーチに仕舞いだした友人を、由良は不思議そうに見つめた。
「どこかへ行かれるんですか?」
「柊先輩の部活の見学に行くの! 由良ちゃんも行こー! 由良ちゃんがいれば目立つから柊先輩も気付いてくれるかも……!」
「え……あの……いや、私は……っ?」
恭弥の部活の見学なんて冗談じゃない。
だが由良の心情を知るはずもない友人やクラスメートは強引に由良を引っ張っていく。
「あの、私本当に……」
「ついてきてくれたら、オススメのTL漫画教えるよー。超エッチなやつ!」
「……分かりました」
友人の甘い誘惑に陥落し、由良は武道場へと向かうはめになった。
(何で私がキョウの部活姿なんて見ないといけないんだ……!)
頭の中では激しく抗議している。いっそ、散歩を拒否する柴犬のように踏ん張ってテコでも動かない姿勢を示したいくらいだ。
しかしクラスメートに背中を押されると(好きな漫画を餌にぶらさげられると)そうするわけにもいかず、結局由良は流されるまま目的地へ連れて行かれた。途中、男女問わずすれ違う生徒から「可愛い」だの「綺麗」だの騒がれたが、やはり恭弥に「可愛い」と言われた時のような複雑な気持ちにはならなかった。
武道場の前に来ると、入口にはすでにひとだかりが出来ていた。
「出遅れたか」と呻いた友人は、人をかき分け空いているスペースへと由良を連れていく。武道場に集まったギャラリーは全てめかしこんだ女子で、彼女らの熱い視線はただ一人に向いていた。その視線にいるのは……。
「キョウ……」
紺色の稽古着をきた恭弥だった。
まだ面は被っておらず、袴姿で後輩たちの素振りを見ている様子だったが、きっちりと合わせられた襟が逆に扇情的だ。袖から覗く逞しい腕には均整のとれた筋肉がついており、由良は思わず目で追ってしまう。
「……かっこいい」
半ば無意識に呟いてから、由良はハッと口を覆った。幸い周りは黄色い声が飛び交っているため誰にも声を拾われることはなかったが、由良は激しい自己嫌悪に襲われた。
(カッコイイって何だ……!? 景の方が数倍カッコイイ!)
気に食わないがどうあがいても恭弥が美形という事実は否定出来ず、恭弥が格好いいと認めざるをえないことに、由良は身悶えた。
「み、皆さんは、柊先輩が好きなんですか?」
「好きっていうか……芸能人見てるみたいな感覚? 付き合えなくても眺めてるだけで眼福」
一緒に見学にきたクラスメートの一人が言った。
「じゃあ、景……津和蕗先輩はカッコイイと思いませんか?」
由良にとって景は自慢の兄貴分だ。誰よりも格好いい。その返事を期待して由良が問うと、数人の女子が少し考えてから言った。
「たしかに超レベル高い。めっちゃ爽やかだし面倒見良いし、美男子じゃないけどイケメン。うちの学校じゃ五本指に入るわ」
「津和蕗先輩人気あるよね。柊先輩よりずっと愛想あるし」
「でしょう?」
由良は自分が褒められた時よりもずっと充足感を味わい、目を輝かせて得意げに言った。しかし……。
「でもやっぱり一番は柊先輩かなぁ。あんな美男子芸能人でも中々いないもん。クールでワイルドで、女百人は抱いたって顔してて……ああ、私遊びでもいいから抱かれたい」
友人の発言に、由良は絶句した。
(女を百人も抱いたような顔した男が、景より勝ってると……!?)
由良は景以上に恭弥が人気であるとまざまざと見せつけられ、怒りで肩を震わせた。それからキッと親の仇に対するような目で恭弥を睨む。
歓声を送る女子に一ミリも興味を示さずこちらをチラリとも見ない恭弥は、いつの間にか艶やかな漆黒の髪にタオルを巻き、面を取りつけていた。どうやら今から試合らしい。
女子からの声援が一層大きくなる中、恭弥は相手に向かって一礼し、竹刀を構えた。
(キョウなんて負けてしまえ……!)
由良は折角の美少女が台無しになるような悪い顔で呪った。しかしその念は届いていないのか、恭弥が相手を押していた。キュキュッと足の裏の擦れる音が響く。竹刀の激しくぶつかり合う音が木霊した。
斜に構えて試合の様子を見ていた由良だが、次第に恭弥が昨年のインターハイ優勝者だけあると思い知らされた。一切の隙がないのだ。繰り出される打撃の一つ一つが重く鋭い。
「…………」
相手は副主将なのか、中々の実力で食らいついていた。しかし、恭弥の方が一枚上手なのだろう。面打ちで相手が下がったところに、更に面打ちで恭弥は畳みかけた。
「すご……」
相手を射竦めさせるほどの気迫と、それから実力に由良は素直に感心してしまう。しかし口に出してから、やはりプライドが許さなくて首を横に振った。
(何で私があいつを認めなくちゃいけないんだ……っ)
「きゃーっ。柊くーん! もっと攻めてー!」
恭弥のファンと思しき生徒が、熱い声援を投げかける。攻める、という言葉に由良は過敏に反応した。
(そう。あいつはドSで責めまくってる男なんだ……!)
「突き! 突きだよ恭弥!」
剣道のルールを知りもしないだろう女生徒たちが、口々に恭弥へ声援を送る。せめる。突き。単語だけ聞けばエロくもないのに淫猥な響きを孕んだ言葉だ。
その言葉は、恭弥がどスケベだと思っている由良の妄想スイッチを入れるには十分だった。
――――突きって、ナニでドコを突く気だ、と。
(そうだ、かっこいいなんて冗談じゃない……!)
恭弥は絶対に夜の剣道とかのたまいながら、卑猥な突きをズコバコ繰り出してくるに違いない……!
由良の脳内は一瞬でモザイク処理が必要なほどピンク色に染まった。
『キョウ、待ってください……私……』
『なに、お前は俺に身を任せていればいい』
傲慢な物言いで、恭弥はベッドの上で乱れた服装の由良を四つん這いにさせる。それから額に汗を滲ませ、薄い唇の端を意地悪そうに吊り上げて言うのだ。
『俺の突きはどうかな?』と。
『ゃんっ……激しく突いたら壊れちゃうよぅ……っ』
『本当か? 口ではそう言っても、お前の身体は激しくされるのがお好みのようだが……』
『やめて、言わないで……っ』
泣いて嫌々と首を振る由良を突きあげ、言葉責めを楽しむ恭弥の姿を想像する由良。しかしそんな発情期のような妄想は、一際大きくなった歓声によって掻き消された。勝負がついたようだ。
「一本!」と審判の声が上がると、他の部員が恭弥の元へ駆け寄った。
鋭い突きに賛辞を述べる者、労う者。恭弥はどうやら異性だけでなく、同性からも好かれているらしい。寡黙に見えるが人を惹きつける人なのだろう。
由良はまた名前のつけにくい感情に苛まれ、じっとりとした目で恭弥を睨むしかなかった。
すると、ふと面を外した恭弥の視線が入り口にいる由良へと向く。女生徒たちはまるでアイドルがライブで自分の方を見たと言わんばかりに浮足立ったが、恭弥の鷹のような目は確実に由良を捉え、わずかに見開かれていた。
汗で湿った前髪も、首元に纏わりついた癖のある襟足も憎らしいほどかっこよくて唸りたいほどだが、彼が驚いた時に目を丸める仕草は少しだけ可愛い。
(……あざとい奴め)
由良がこれ見よがしに顔をそむけると、恭弥は少し楽しそうに口の端を歪めた。それを視界の端におさめてまたも由良がへそを曲げていれば、恭弥の口がかすかに開いた。
「待ってろ」
声には出ていなかったが、唇の動きは確実にそう伝えていた。唇の動きが読める由良は、見なきゃよかったと思い、顔をしかめた。




