拉致されるのはセオリーです
委員会を終えた恭弥は、真っ直ぐに外足場へ向かった。ここ数日は由良が自分と会いたくないだろうと気をつかい彼女を避けていたのに、意外にも今朝由良の方から話があるとやってきたことに恭弥は内心驚いていた。
外足場の前まできた恭弥は、横殴りの雨を見て顔をしかめた。ひどい嵐だ。部活動に励んでいた文化部の生徒ももう帰ったに違いない。
「――――……さすがに帰ったか」
なんせこの台風だ。由良も雨がひどくなる前に帰っただろう。
のけぞるような気迫で『待っている』と言われた恭弥だったが、外足場に由良の姿はなかった。
やっぱりな、と思う気持ちと、嫌われている彼女と話さなくて済んだことへの安堵。それから少しの落胆に襲われ、恭弥は苦い顔をする。なんだかんだ、自分は由良が待ってくれているのを期待していたのかもしれない。彼女の口から何を言われるのかは想像がつかず怖いとも思ったが。
一応入れ違いになった可能性もあるため、恭弥は一年生の靴箱の方へ向かう。『篠月』と名前が書かれた扉を見つけ開けてみると、そこには上履きがなく、ローファーが残っていた。
「……? 帰っていないのか」
まさか本当に入れ違ったのか。ローファーが残っているということは、まだ校内にいるのだろう。恭弥は靴箱の扉を閉じ、少し迷った。その時……。
「ねえ見た? さっきのおんぶされてた女の子! あれ絶対篠月さんだよねー」
不意打ちで由良の名前が耳に飛びこみ、恭弥は驚いて顔を上げた。見れば外足場にやってきた女生徒が二人、小鳥のようにさえずりながら先ほど見た光景について語っていた。
「間違いないよ。うちの学校でブロンドの子なんて由良ちゃんしかいないじゃん」
「おんぶしてた男って誰ー? 津和蕗先輩じゃなかったよね」
「あいつだよあいつ、隣のクラスの冴えない奴! 名前ど忘れしたわ……。ほら、あいつじゃん。いっつも一人でいて根暗そうな……」
恭弥は雨音に邪魔されて聞き逃さないよう、女生徒たちの会話に耳をそばだてた。
「あ、たしか剣道部だった。ええと……そう! 佐山だ! 存在空気だから忘れてたぁ」
(剣道部……佐山だと?)
引退した部活の後輩が由良をおぶっていったとはどういうことか。恭弥は気になり、会話に花を咲かせる女生徒二人へ声をかけた。
「……剣道部の男子が、篠月をおぶっていたのか?」
「きゃあっ! 柊先輩!?」
突如背後に現れた、命をかけても惜しくないほどの美形に女生徒たちは黄色い声を上げた。恭弥はそれに構わず詰めよる。
「教えてくれ。篠月はどうしたんだ?」
「あ、ええと……篠月さん眠ってたんでよく分かんないんですけど、佐山が言うには、具合が悪そうだから、保健室に連れていくって……」
「あれ? でもよく考えたら、佐山が歩いていった方向、保健室と逆じゃなかった?」
「そうだっけ? 意外な組み合わせに気とられてたから気付かなかった」
女生徒は噂好きそうな瞳を悪戯っぽく輝かせて言った。しかしもう一人は
「意外でもないよ」
と言った。
「あーし、佐山が由良ちゃんの隠し撮り持ってるの知ってるもん」
「はあ!? 何それ!」
「前、ちらっと佐山の携帯見えた時、カメラロールが由良ちゃんでいっぱいだった。目線合ってなかったから絶対隠し撮りだよキッモ……って、柊先輩!?」
話を聞くや否や、恭弥は嫌な予感がして駆けだした。確信ではない。しかし胸騒ぎがしている。
由良が体調不良だというなら、話はまた今度に流れたということで帰ればいい。のだが、今朝恭弥のところへやってきた由良は血色も良かったし、とても急に具合が悪くなるようなコンディションに見えなかったことが、どうにも恭弥には気にかかった。
それに、女生徒の一人が言っていたことが、小骨が喉に刺さったように引っかかっている。佐山が由良の写真を隠し撮りしていたという事実だ。恭弥は元部長として、後輩の佐山の性格をよく知っている。引っこみ思案だが執念深く、思いこみが激しいところがある男だと。
仮に佐山が由良のただのファンだとして、たまたま、由良が佐山の前で体調不良になったのか? あのプライドの高い由良が、気心のしれた景の前ならともかく特に面識もない相手の前で体調不良を訴え、おぶってもらう世話になるだろうか。
プライドがエベレストな由良なら、這ってでも自力で保健室に向かいそうだ。そういった疑念が、恭弥を動かしていた。由良に何かあったのかもしれない、と。
もし本当に体調不良なら、保健室に行って確認すればいい。見れば己も安心して帰路につける。
(……色々と理由をつけてはいるが、単純に好きな女が気になるだけかもしれないな)
とりあえず保健室に向かいながら、恭弥はポケットからスマホを取りだし、由良の番号へ電話をかけた。しかしいつまで経っても機械的な呼び出し音が続くばかりで、由良が出る気配はなかった。
「……っち」
焦燥感から舌打ちが出る。雨で滑りやすくなった渡り廊下を駆け抜け、特別棟の一階にある保健室のドアを乱暴に開けると、ちょうど一息ついているところだったのか、コーヒーを手に持った中年の養護教諭が、小さな目を丸めて恭弥を見つめた。
「……っ篠月は来ていますか」
由良は華やかな見た目と傾国の美姫のような美貌から、校内でその名を知らないものはいない。それは養護教諭も例外ではなく、彼女はふくよかな頬に手をあて
「篠月さんなら今日は一度も来ていないけど?」
と言った。
その返答が、先ほどから恭弥を襲っている胸騒ぎを増長させる。
(――――……どういうことだ。保健室に行くまでの道すがら、由良にも佐山にも会わなかった。由良は眠っているという話だったが……)
もし本当に由良の具合が悪いなら、佐山は一体由良を連れてどこに行ったのか。
「先生。もし篠月が保健室へ来たら、俺を放送で呼び出してください」
「え? ええ、ちょっと、柊くん?」
「頼みます。失礼します」
切羽詰まった声で言い、恭弥は保健室を後にする。女生徒の一人が言った言葉を信じるなら、佐山が向かった方向は保健室の逆らしい。
「探すには範囲が広すぎるな……」
外は嵐だ。保健室へ濡れずに来るルートは限られているが、どの道を使ったとしても、あとから向かった恭弥より早く保健室に到着しているはず。女生徒の言うとおり、佐山が保健室とは逆の方向に向かったというなら、一体どこに向かったというのか。
目撃情報を探そうにも、生憎の台風でほとんどの生徒は下校したあとのようだった。薄暗く不気味な廊下を走り、恭弥はしらみつぶしに空き教室を探す。
嫌な予感は膨らんでいくばかりだった。




