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ハロー、貞操の危機です

 自分は恭弥に対しなんてことをしてしまったのだろうと、由良は今更後悔した。


 うぬぼれでも何でもなく、自分は恭弥を傷つけたのだ。彼をスケベな人間だとレッテルを貼り、散々妄想を垂れ流していたことが知られれば、彼に嫌われてしまう。それが怖くて保身に走り逃げ惑っていた自分は、彼が避けられてどんな気持ちになるかの想像力が欠けていた。


 まさか自分が恭弥に避けられる側になって初めて、彼の気持ちが分かるなんて。


 由良に嫌われていると勘違いした恭弥は、由良の視界に入らないよう気を使っているのか何なのか、ちっとも捕まらなかった。


 あれだけの美形だ。息をしているだけで目立つためあちこちで目撃情報を耳にするものの、それを頼りに恭弥がいたという場所へ向かうと、そこはもうもぬけの殻だった。


「――――避けられるのがこんなに辛いなんて……」


 自分が避けられる側になって初めて、恭弥の怒りの意味が分かる。つい十分ほど前に恭弥が自販機の前でコーヒーを飲んでいたという情報を得た由良は、教室から矢のような早さで水飲み場近くの自販機へとやってきたのだが、そこには由良同様、恭弥を探し求めるファンの女の子の群れだけだった。


 最近はあんなにハマっていたエッチな漫画も読んでいない。読めば恭弥を思い出してしまうからだ。


「オレがキョウを捕まえといてやろうか?」


 あまりにも収穫がない由良に、そう申し出てくれたのは景だった。


 夕食を終え、シンクの前に二人並んで皿を洗いながら景は由良を見下ろす。


 由良は家族同然の景に、恭弥とのやりとりを包み隠さずすべて話していた。景はどちらの気持ちも分かるのか、由良を叱ることはなかった。


 由良は景の豪快な洗い方によって泡が残ってしまっているコップを丁寧にすすぎ直しながら、沈んだ声で言った。


「……何だか、景に頼るのは卑怯な気がしてしまって」


 自分で恭弥を捕まえ、誤解を解かねばならない。由良はそう感じていた。


 景はここ数日塞いでいる由良の旋毛を見つめながら、スポンジで皿をこする。景としては可愛い妹分が心配だが、由良の真面目なところが好ましいのも事実だったため、由良に一人で何とかすると言われては、もう口を出せなかった。


「ちなみに、どうするつもりだ?」


「――――追いかけたら逃げられるとなれば、もう待ち伏せているしか方法はありません」


 由良は若干据わった目で答える。その目つきの悪さに、景は今度は恭弥の身が心配になってきた。


 居間から漏れ聞こえてくるテレビの音は、秋の台風が近づき明日の夕方には直撃するだろうと警戒を投げかけているが、恭弥を捕まえるという決意を秘めた由良の方がずっと、景には嵐のように見えた。







 宣言通り、由良は次の日、いつもより早く家を出ると朝一番に恭弥のクラスの前で彼を待ち伏せた。校内一の美少女が、三年生の教室の前で憤然と腕を組み仁王立ちで待ち構えている。


 その状況に周りの者は奇異の目を向けたが、由良はまったく気にしなかった。明るいブルートパーズの瞳が鷹のように狙うのはただ一人だ。


 決闘前の戦士のような貫禄さえ醸し出す由良を、景だけは教室の中から居たたまれない思いで見ていた。


 やがて、目当ての恭弥がやってきた。台風が近づき湿度が高いためか、目元にかかった前髪越しに覗く瞳は不機嫌に細められていたが、由良を視認するとその目はますます細められた。


「…………」


「放課後、外足場で待っています」


 そのまま由良を透明人間かのように無視して教室へ入ろうとした恭弥へ、由良は声を張った。言葉も無視されるかと思ったが、恭弥はピタリと長い足を止めた。


「――――……委員会がある」


「終わるまで待ってます」


「台風が近づいているから早く帰った方がいい」


 そう言う恭弥の視線は、廊下の窓の外に向いた。窓の外はけぶるような雨が斜めに降り、視界を鉛色に染めていた。二階の高さまで届く木は強風に叩かれ、鞭のようにしなっている。


「じゃあな」


「……嵐がこようと雷が落ちようと待ってます! 貴方と話したいんです!」


「俺はお前と話すことはない」


 けんもほろろに言われ、由良はくじけそうになったが拳をギュッと握って耐えた。


「……っ。でも、私はあるから……待ってる……ずっと待ってるからね」


「……先に俺を避けたのはお前だろう。…………勝手にしろ」


 深いため息のあとに、恭弥は諦めたように言った。







 放課後、恭弥の委員会が何時に終わるか分からないため、由良は肌寒い外足場で一人待っていた。


 外はバケツをひっくり返したような雨が降り続いている。運動場を使えないため、サッカー部の生徒が廊下をつかって走りこみをしたり、野球部の生徒が軒下で素ぶりをしているのが目に入ったが、これから台風がひどくなるという予報を受けてか、顧問の指示により帰り支度を始めた。


(景、バイト帰りの時濡れないといいけど……)


 真夏の太陽のように明るい幼なじみは、由良の背を「頑張れよ」と叩いてからバイトに向かっていた。由良は白いカーディガンの袖を伸ばして冷えた指先を隠す。シャッターが上がったままの外足場から風が舞いこみ、由良の短いスカートを揺らした。


「わ……っ」


 よろめきそうな風に、由良は片目を瞑る。その時背後に人の気配を感じ、由良は振り返った。


「キョウ? 早かったんですね……」


 期待に満ちた声を発し、影の方へ振り向く。そこに立っていたのは、意外な人物だった。


「佐山、さん……?」


 由良の背後に立っていたのは、数日前に振ったばかりの佐山だった。


 最近認識した存在の彼は、湿気で広がった重そうな髪を揺らし、朗らかに由良へ声をかけた。


「やあ」


「どうも……」


 恭弥ではなかったことに落胆する内心を隠し、由良は返事をする。ふと、自分は三年生の靴箱の前にいるのに、何故同級生の佐山が自分の目の前にいるのだろうという疑問が胸をかすめた。


 佐山は以前告白してきた時のような気負いもなく、今日はリラックスしているように見えた。銀のフレームの眼鏡越しに見える目は、機嫌がよさそうに弧を描いている。


 突如稲妻が走り、そばかすの散った顔でニコニコ笑う彼の姿を白く浮かび上がらせた。それが少し不気味に見えて、由良は無意識に一歩下がった。


 佐山も外足場で誰かを待っているのだろうか。その割には、由良の前から退く気配はない。由良は愛想笑いを貼りつけたまま、首を傾げた。


「……あの……佐山さんも誰か待っているんですか?」


「ああ。そうだよ」


 佐山は肩にかけたスクールバッグから、あるものを取りだし心地よく答えた。


「――――……君が手に入るのを待ってる」


「……は?」


 言葉の意味が理解出来ず、由良は一瞬動きが遅れる。それがまずかった。佐山の手にはスタンガンが握られており、由良がそれに気付いた時には、腰に押しつけられていた。


「……っ」


 ビリッと背筋を駆け上がる電流に、筋肉が収縮し意識が遠のく。


「……な、んで……?」


 もつれそうになる舌で何とか言葉を発した次の瞬間、由良の視界は黒く染まった。


「――――……君を愛してるからだよ」


 倒れかけた由良の脇に手を添えて支えた佐山は、暗く濁った瞳でうっとりと囁く。しかし、意識を失った由良にその声が届くことはなかった。


 雨は激しさを増す。由良の身に迫る危険を暗示するかのように、空には暗雲が蔓延っていた。



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