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それを恋だと人は言います

花火が終わった後、恭弥は家まで由良を送ってくれた。帰り道に何を話したのかはあまり覚えていないが、話題が途切れることはなく恭弥は笑っていたし、おそらく自分も毒気を抜かれたようにしまりのない顔で笑っていたに違いないと思った。


「おっかえりー! 由良、アイス買ってるぞー!」


 家の引き戸を開け、電気のついた廊下に向かって「ただいま」と声をかけた由良を出迎えたのは、清涼飲料水のように爽やかな景の笑顔だった。


 片手にはかじりかけのソーダ味のアイスが握られている。景の姿を視認した瞬間、由良は急いで下駄を脱ぎ、景の胸へと飛びこんだ。


「おわっ!? どうした?」


「けいー……」


「どうしたよ。花火、楽しくなかったのか?」


 胸元に顔をぐりぐりと押しつけ、くぐもった声で唸る由良の背中を叩きながら、景が尋ねる。マザーズタッチのように優しい景の手に癒されてから、由良は情けない表情をした顔を上げた。


「何だか胸がおかしいです」


「胸? 痛いのか?」


「違う……こんなの……」


 由良は景から一歩遠のくと、浴衣の上から胸元を両手で押さえた。


「こんなのは知らないんです。こんな感情は知らない……キョウに話しかけられると、胸がギュッとなったり、切なくなったり……。キョウに頭を撫でられると、嬉しいって思ったりする……」


「由良……」


 そのままその場にしゃがみこんだ由良の背を、景は労わるように撫でた。その手に自らの手を重ね、由良は幼なじみに助けを求めた。景を見つめる碧眼の双眸は、迷子の子供のように不安に揺れている。


「景……この気持ちは何? 私、どこかおかしいんですか?」


 未知の感情に怯える由良を見た景は、溶けて指をつたっていくアイスに視線をやってから、由良に優しく微笑みかけた。


「おかしくねえよ」


「でも、だって胸が……」


「……由良、それはさ、お前が好きな漫画でよく見かける感情なんじゃないか?」


 その言葉を受けて、由良はちょっと迷ってから言った。


「……好きってこと?」


 そうだ。知らないなんて嘘だった。由良はよく知っている。書籍を通して、だが。


 帰国してから飽きることなく呼んでいるエッチな漫画は、最終的にいつもヒロインがヒーローのことを好きになり、心を通わせて幸せなエンディングを迎えている。由良の憧れでもあった。


 しかし、恭弥がエッチな漫画のヒーローのように狼になる展開は想像出来ても、まさか自分自身が相手に惚れる展開になるなんて由良は思いもしなかった。


 知っているが、やはり由良は知らないのだ。『好き』という気持ちは書籍の中の世界に存在するものだと思っていた。実際に生きている自分がそれを他人に抱くのは初めてだったから、この胸の疼きが恋だと知らなかった。


「私が、キョウを好き……?」


「かもなぁ」


 驚愕に目を見開く由良の手を引いて立たせながら、景が言った。呆然とする由良を一瞥した景は、だいぶ溶けてしまったアイスを口に含む。そのまま天を仰ぎ、ちょっと考えるように電球を見てから、景は切り出した。


「あー……のさ、由良、質問なんだけど。オレはさ、由良がよく読んでいる少女漫画でいうところの、どのポジション? ヒロインをそそのかす、ライバルの男?」


「まさか! 景はそんな嫌な奴のポジションじゃありません!」


 由良は憤慨するように言った。


「へえ? じゃあ……」


「景は、ヒロインが信頼する兄のポジションですよ。一番懐いているの。何でも話せる相手!」


「あー……」


「景?」


 尊敬の念すら込めて言ったのに、景のリアクションは微妙なものだった。景はアイスをくわえたまま腕組みをし、何事か呟いているのだが、由良には聞き取れなかった。


「そっか」


「どうしました?」


「いや、そっか。そっかぁ……ライバルにもなれないかぁ……」


「ライバル……?」


 景の言っている意味が分からず、由良は首を捻った。その頭に、景の大きな手が乗った。


「いやまあ、じゃあ、そういうことだろ由良。幼なじみのオレに対する『好き』とは違う『好き』って気持ちをキョウに抱いてるなら、お前はキョウに恋してるんだよ」


「恋……」


「あー……やんなるよなぁ。何でオレが人の恋路の世話を焼いてんだか」


 景は若干やさぐれた様子で言った。


 しかし、由良が生まれて初めての恋となかなか向き合えず困惑しているのを見て、景は兄のように優しく言った。


「由良、胸に手を当ててみろ。な? 多分分かるはずだから」


「……はい……」


 いつもの自信はどこへいってしまったのか、由良は頼りない声で返事をした。


(私は……)


 恭弥を好き。毛嫌いしていたのに。気に食わなかったのに。


 兆候はあった、と由良は思った。慕っている景が一目置いている親友で面白くないという感情を抜きにすれば、恭弥は由良にとって話が非常に合う相手であったし、容姿は整いすぎて嫌いになる要素がない。


 その上由良は恭弥に好かれようという気がなかったため彼の前では他人に見せられない素を出せたし、恭弥も由良に対して節度のある気安さで接してきたため、話していて楽だった。


 何より恭弥は優しいし、踏みこんでほしくないところに土足で踏みいったりしない大人だ。そして、由良の本質を見抜いてくれる。由良が器用であることを羨むのではなく、器用でいなければいけなかったのだと察してくれた。


 胸の内に抱えこんでいたほの暗い本音を、彼は夜空のように広い心で包んでくれた。


(ああ……)


 自らの心に向き合ってみれば、意外と答えはシンプルですぐに出てきた。


(――――……私、本当にキョウが好きなんだ……)


 刃の切っ先のように鋭い瞳が、こちらを見て柔らかく細められるところ。大声で笑うのではなく、静かに喉の奥でくつりと笑いを転がすところ、艶やかな黒髪を掻き上げる仕草も。頑なに認めようとしなかったが、どの仕草もすぐに思い出せるくらいに好きだ。


「……景……」


「ん? どうした?」


「私、キョウが好きです」


 声に出すと、空気が震え世界が変わった気がした。視界が広がり、目に見えるものがクリアになった気さえする。それは長い静寂の夜から、朝露のきらめく朝へと様変わりした様子に似ていた。


「そっか。誰かを好きになれるのは幸せなことだ。よかったな、由良」


 がっしりとした景に抱きしめられ、由良はその腕の中で小さく頷いた。


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