言葉責めで泣いたりしません
「いい加減にしてください! 離して!」
その場で踵に力を入れ踏んばり、由良は男たちの手を払おうとする。しかし男たちの力も増し、乱暴に由良の腕をぐいぐい引っ張ったため、由良の手に持っていたヨーヨーがはずみで落ち、足元で割れた。
「ヨーヨーが……っ」
パンッと破裂音を響かせた水風船は、無残に破け、由良の足元と浴衣の裾を濡らした。せっかく恭弥に取り方のコツを教えてもらって取ったのに。せっかく景のおばあさんが心を込めて縫ってくれた浴衣なのに。
台無しにされてしまった。由良の気持ちなど知らず、ただのゴムと化した風船の残骸を踏みつけながら男たちは由良を車へ連れこもうとする。大事にしたくはないと我慢していた由良は、自分の中で何かが切れる音を聞いた気がした。由良のこめかみに青筋が浮かぶ。
「――――……は出来てんのか」
「は? 何? っいででででで!!」
由良の腕を掴んでいた酔っ払いの男は、由良が小さく呟いた言葉に反応した瞬間、由良によって腕を逆方向に捩じられた。
「この私にこんなことして、覚悟は出来てんのかって聞いてるんですよ!」
「な……っ!?」
深窓の姫君のように可憐な見た目から一変し、獲物を狙う猛禽類のように獰猛な目をした由良に男たちは動揺する。その隙を逃がさず、由良は肩に手を置いていた男の腕を両手で掴み、軽々と一本背負いしてみせた。さらに泡を食っている男には、顎に掌底打ちを食らわせる。
一分後には、のびた男たちの屍が積み上がっていた。ちょっとした見世物になっていたようで、由良が仕上げとばかりにパンパンと手を払うと遠巻きに見ていた客から拍手が起きる。しかし由良は居心地が悪く、誤魔化すように乱れた襟元を正した。
そこへコンビニの袋を片手に戻ってきた恭弥から声がかかった。
「テントで待っていろと言っただろう。騒ぎが起きていると思ってきてみれば……何してる……」
人垣を割ってやってきた恭弥に由良は手首を掴まれる。野次馬から逃げるように人気のない方へ移動し、由良はびっこを引きながら「だって」と弁解した。
「ナンパされて車に無理やり連れこまれそうになったんですけど、そいつらが私のヨーヨーを割って浴衣を濡らしたから……」
説明すれば、恭弥なら理解してくれると思った。気に食わない男だが、恭弥は決して話の通じない相手ではないからだ。しかし、由良が話し終えた恭弥を見てみればどうだろうか。恭弥は元々すごみがある目を眇め、その場に縫い止められてしまいそうなほど怖い顔をしていた。
「それで、あんな無茶をしたのか……?」
押し殺したように不自然な声で恭弥が言った。
「……? ええ。だって、許せないでしょう。だからぶっ飛ばしてやり――――……」
「馬鹿か!」
ぐわん、と脳みそが揺れるような大声で叱られ、由良は最後まで言い切ることが出来なかった。
「キョ、キョウ?」
「馬鹿か! どうして大きな声で助けを呼ばない。どうして女のくせに大人数相手に殴りかかる」
「あんな腕っ節の弱いナンパな男たちなんて、私一人でねじ伏せられるからですよ。実際に倒したでしょう」
「一人でねじ伏せられる……? この細腕で……?」
「……っ!?」
さっきの男たちが束になっても及ばないような力で恭弥に腕を掴まれ、由良は顔を歪めた。
「一人一人は弱くても、仲間を呼ばれたらどうする。そいつが今お前をねじ伏せている俺のように強かったら? そのまま車に連れこまれて、逃げ場のないところに攫われたらどうする気だ!」
「う、るさいなぁ!」
まったく歯が立たないのが悔しくて、由良は噛みついた。
「貴方には関係ないでしょう!」
「――――……そうか」
恭弥の目がスッと細まり、底冷えするような冷たい色をたたえた。その色に由良は射竦められる。
「どうやら、お前のところのじゃじゃ馬は無謀なことをすると津和蕗に報告した方がよさそうだな」
「え……」
「女や男だからっていう問題じゃない。お前には危機管理能力がないと告げる。津和蕗が甘やかしているせいだとな」
「な……っや、やめてください!」
ズボンのポケットからスマホを取りだしタップし始めた恭弥へ、由良は叫んだ。彼の手からスマホをもぎ取ろうと手を伸ばすが、その手はやすやすと恭弥に受け流され。恭弥は耳にスマホを当てる。
まさか本当に景に電話するつもりか。由良は暑さとは関係のない汗が背中からふき出す気がした。
(景に知られる? そんなの――――……)
「やめてキョウ!」
「知らんな。お前が無茶をするのが悪い」
「やだ……っ。言わないで……景に怒られる……!」
「怒られるようなことをした自覚はあるんだろう? お前は自分の実力を過信しすぎだ」
「や……っ」
由良は小さい子のようにいやいやと頭を振って恭弥に懇願した。
「景に嫌われたくない……。お願いキョウ……。謝るから……!」
「……もう無茶をしないと誓えるか?」
「しない。から、景には言わないで……」
由良の言葉尻が小さくなり、アイスブルーの瞳にうっすらと涙の膜が張る。勝ち気な態度から一転、長いまつ毛を震わせ今にも泣き出しそうな様子の由良を見た恭弥は『景』というキーワードは絶大だな、と思った。
普段は高身長の恭弥より一回りも二回りも小さな身体でキッと睨みあげ、一部の征服欲の強い男をひどく刺激するような態度を取る割に、景に嫌われると思うと途端にしおらしくなる由良。その変化を、少し面白くないと思う自分がいることに恭弥は驚いた。
一瞬渦を巻いた黒い気持ちが信じられなくて、恭弥は胸をさする。恭弥の変化に気付かない由良は、小さな唇をキュッと噛みしめて恭弥に詰めよった。
「キョウ、お願いです……」
「――――ああ、分かった」
恭弥としては由良の、実力があるばかりに過信しすぎて無謀な行動に出るところは考えものだと思っているが、他の女子とは違い対等に接してくる生意気さはそれなりに好いている。だからそれが、たった一人の男に嫌われたくない一心で揺らぐ姿というのは胸に燻るものがあるし、何より……。
「悪かった。苛めすぎたな。言わないから泣くな」
「……本当?」
普段は口を開けば憎まれ口しか叩かない口が、舌ったらずに不安げに紡ぐ声。けぶるような長いまつ毛にひっかかり、かろうじて流れずにすんでいる涙。潤んだ瞳に、紅潮した頬。全てが恭弥の男の本能をじりじりと刺激するが、そうとは知らない由良は安堵したように細いため息を漏らした。
「……これに懲りたら、もう無茶はしてくれるな。これでも心配した」
「心配? キョウがですか?」
「ああ。お前は俺のことを嫌っているようだが、俺はお前のことを嫌いじゃないからな。それに」
恭弥は由良の細い顎を掴み、くいと持ち上げ視線を合わせた。景にばらすと言った際に泣きそうに歪められた瞳は、今は本来の気の強さを取り戻して恭弥を見つめ返している。深く吸いこまれそうな海の色をした瞳が恭弥を真っ直ぐに貫く瞬間を、恭弥は気に入っていた。
「他の女のように媚びてこないお前の瞳は割と好きだ」
「何ですか、それ……」
ふいと視線を反らし、由良は俯いた。濡れた足元が目に入る。由良の視線を追った恭弥も、それに気付いたようだった。
「濡れたのは裾だけか?」
「ええ……。この暑さですし、着替えるほどではありませんけど……。人が多い河原に下りると……」
「濡れたせいで、歩いた時に立つ土煙で浴衣が汚れそうだな」
「花火は諦めないといけませんかね」
由良は諦観を滲ませて言うと、恭弥は「いや」と言った。
「穴場に連れていってやる」
「へ……?」
穴場とはどこだろうか。大きな目を瞬く由良に、恭弥は買ってきた絆創膏を貼ってから目的地へ誘導した。




