車に連れ込んでしけこもうなんて、百年早いです
それからしばらく、由良と恭弥は食べ歩いたりゲームをして過ごした。
時刻は七時半、そろそろ花火の場所を確保するため河原に下りるかと恭弥が腕時計に視線を落としたところで、由良は歩くペースを僅かに落とした。
「どうした?」
「え? 何がです?」
「歩き方がぎこちない」
目敏い恭弥が指摘する。由良は下駄をはいた足の親指をギュッと丸めた。
「そりゃ、下駄を履いていますから? 多少は不自然にもなります」
「さっきまでは散歩が嬉しくてたまらない犬のように先先歩いていたお前がか?」
「ちょっと、人を犬扱いしないでください!」
小型犬のようにキャンキャン噛みつく由良の足元に視線を落とした恭弥は、ああ、と納得した。
「靴ずれか」
「! ちが……」
「違わないだろう。どうしてそこで意地を張る。見せてみろ」
そう言って、恭弥は片膝をついた。隠すように半歩下がった方の由良の足首を、抗議が上がる前に掴む。そのまま下駄を脱がせ、恭弥は立てた膝に由良の足を載せた。
「ちょっとキョウ!」
恭弥の膝に足をかけた状態になった由良は、溜まらず声を上げる。しかし恭弥は取りあわず、由良の足の親指と人差し指を見た。内側が赤く擦れ、水ぶくれが潰れて皮がめくれている。
「鼻緒で擦れたか」
「平気です」
矢継ぎ早に強がった由良へ、恭弥は嘆息した。
「強情が過ぎるぞ」
「平気です。貴方に心配されるのは屈辱です」
「そうか。じゃあ、黙ってられるのは迷惑だと言えば強がりはやめるか?」
「……迷惑でしたか?」
昔から母に好かれたいと願い何でも器用にこなしてきた由良は、迷惑という単語に過敏に反応した。そして、由良のそういう傾向を自然と理解しているのだろう。恭弥は素直になれば迷惑じゃないと言った。
「……すみませんでした」
不承不承といった様子で由良が謝ると、恭弥は天使の輪が描かれた艶やかな由良の金髪を、くしゃりと撫でた。
「……な、にを」
「いや、こっちこそもっと早く気付くべきだった。悪かったな。近くのコンビニで絆創膏を買ってきてやるから待ってろ。…………」
「どうしました?」
急に考えこむように黙りこんだ恭弥を怪訝に思って由良が尋ねる。と、恭弥は難しい顔をして零した。
「いや、津和蕗にお前の傍を離れるなと言われたしな」
「そんな首輪がないと逃げ出す犬じゃないんだから……」
一体さっきから、この男は何度自分を犬扱いすれば気が済むのだと由良は思った。
「そういう意味ではないが……。まあ、いい。この人ごみだと探すのも骨が折れるから、テントにいてくれるか」
恭弥は数メートル先にある白いテントを指差した。人ごみに酔った客やお年寄りがパイプ椅子に腰かけている。片方の下駄を脱いだ由良は恭弥に肩を貸してもらい、けんけんして空いている椅子のところまで行った。
「大人しくしてろよ」
どうやら由良のタンポポの綿毛のように柔らかい髪の感触をお気に召したらしい。もう一度セットが乱れない程度に由良の髪を撫でた恭弥は、雑踏の中に消えていった。
由良は恭弥の姿が見えなくなるまでその後ろ姿を見送ってから、触られた感触の残る髪へ、そっと自らの手を這わせた。
「……変な男」
人の変化にすぐ気付くし、自分に噛みついてくる相手にまで優しくするなんて。それに……。
『器用でいなければならなかったんだろう。難儀だったな』
以前言われたこの言葉が、ずっと由良の中に残っている。
何でも器用にこなすことを他人から「偉いね」と褒められることももちろん嬉しい。が、恭弥の言葉は、もっと自分のバックボーンについて悟り、頑張ったんだな、と言ってもらえたようで。
それを天敵だと思っている相手に言われたのに、すごく嬉しいと思ってしまった自分となかなか向き合えなくて、由良はそれこそ難儀していた。
「そうだ、景に写真を……」
今頃仕事に精を出しているであろう大好きな幼なじみに、由良は露店が立ち並ぶ道を写真に撮って送ろうとスマホのカメラを起動する。
しかし、被写体に焦点を定めている間に、黒い影がカメラに映りこんだ。
「やっべ。近くで見たらマジ可愛い。金髪碧眼って……外人? こんなとこに座って何してんのー? 俺らと一緒に花火見ない?」
影の正体は、チャラチャラした数人の若い男だった。その中の一人が由良の携帯を掴み、ぐいと顔を寄せてくる。その呼気から酒の匂いがし、由良は鼻が曲がると思った。
「いやー。こんだけ可愛いとお前が誘っても無理っしょ。ごめんね、こいつ強引でさあ」
誘ってきた男の肩を掴んだもう一人の茶髪の男が謝る。しかしその目は由良を値踏みするように細められていた。
「あんだよ。お前ならこの子連れ帰れるってか?」
最初に声をかけてきた男が、据わった目で茶髪の男の胸倉を掴む。由良は面倒くさいと思った。
(連れ帰るってなんだ……一緒に花火見ないかって誘ってきたくせに)
その後の下心が丸見えで吐き気がする。由良はうんざりと男の手から携帯を引き剥がした。
(面倒くさい……。でもキョウに助けを呼ぶのも……)
靴ずれして迷惑かけた上に、一人で問題を解決出来ない女だと見くびられたら嫌だ。ここを離れるなと言われたが、不可抗力だろう。場所を変えたとメールすれば恭弥も納得してくれるはずだ。
由良はナンパしてきた男たちを無視し立ち上がる。しかし席を外そうとしたところで、男の一人に肩を掴まれた。
「……離してください」
「おいおい。君のせいで仲良しな俺らがモメてんのに、勝手にどこ行こうとしてんのー? 責任取ってよ」
「はあ? 貴方たちが勝手にケンカを始めたんでしょう」
責任を由良になすりつける男たちに、由良は冷たく言い放った。
「怒った顔もかーわいー。でもさ、君が俺らと一緒に来てくれたら、ケンカやめれるんだけどなー? ね、俺らのために一肌脱いでよ」
「あとで全部脱がすけどねー」と下世話なことを言われ、由良の鼻の頭に皺が寄る。今の今まで胸倉を掴み合っていた二人も、下種な笑みを浮かべて由良を見下ろした。
「責任転嫁もいいところですね。勝手にケンカしていてください。連れがいるので失礼します」
「連れ? いいねー! やっぱ君みたいな美人だと、友だちも可愛いんじゃない?」
可愛いどころか、目つきの鋭さならこの花火大会に来ている誰よりも凄みがある男だ。しかしそんなことをわざわざナンパ男たちに説明する義理もないので、由良は無視してテントを出た。しかし――――……。
「ちょーっと調子に乗ってんじゃね? すかし過ぎだろ」
由良の肩を掴んでいた一人が、由良に低い声で耳打ちした。
「せっかく俺らが下手に出て誘ってるのにさぁ……君のせいでダチがケンカまでしたんだよ? 良心痛まないわけ?」
「慰めてほしいよなぁ、その身体でさ!」
男たちは下卑た笑みを浮かべ、由良の身体を舐めるように見た。それから由良を囲み、周囲から見えないように隠す。
「何を……」
「何をって、だって誘っても素直についてきてくれないなら、無理やりしかなくね?」
「きゃっ……!?」
開き直った男たちは、由良の腕や肩を抑えこみ、無理やり引きずっていこうとした。男たちの向かう先の路肩には、窓に黒いスモークが貼られたワンボックスカーが止まっている。どうやら最初から車に連れこんで乱暴を働くのが目的らしかった。
「花火大会だから可愛い子が少しはいるかと思ったけど、予想以上じゃん?」
「生意気なとこがちょいムカつくけど、口に俺のを咥えさせて黙らせてあげるからねー?」
「ははっ! 発言がゲス!」
長身に取り囲まれては、由良の姿は周囲から隠されてしまう。ただでさえ酒を飲んでいる集団は他の客から遠巻きにされていたため、由良に助け船を寄こす者はいなかった。




