出会って即効合体するのは、紙の中のお話です
「由良! 久しぶりだなー! 迷わなかったか?」
心地の良い快活な声が、由良を出迎える。
時を遡ること二か月前、高校の入学式を控えた由良は空港からタクシーを飛ばし親友の家へ辿りついたところだった。
青い瓦屋根の家は鄙びており、よくいえば趣がある。呼び鈴を押した由良を出迎えたのは、大好きな親友であり兄代わりと慕っている男、津和蕗景だった。
二つ年上で今学期から三年生となる景は、スポーツマンタイプの爽やかな好青年である。清潔感のある短い髪と人懐っこい笑顔が女性受けしそうな彼に、由良は満面の笑みで抱きついた。
「景! 私を誰だと思ってるんです? 以前にもお邪魔したことがあるから迷いませんよ。お邪魔します」
「はいはい、誰ってお前は世界一可愛いお姫様だよ。あいっかわらず美少女だな。ナンパされなかったか? 心配だから迎えにいくっつったのにお前断るからさぁ」
久しぶりに会う景は由良の新雪のような頬を撫でて、親戚の叔父まがいなことを言う。この所帯じみたところがなければ女子にモテモテであろう見た目の彼に、由良は大きな青い瞳を細め、くすぐったそうに笑った。
「それから、お邪魔しますじゃなくて、『ただいま』な。今日から此処はお前の家なんだから」
「……そうでした……! ただいま、景! ありがとう。景のお陰だよ。ママが亡くなって途方に暮れていた私をイギリスから日本に呼び寄せてくれて感謝しています」
金糸の髪をさらりと靡かせてそう言う由良は、日本人である父とイギリス人である母の間に生まれたハーフだ。日に透けるような白い肌とサファイアのような瞳の色、それから稲穂色の髪は母譲りである。
五年前までは日本にいたが、父方の祖母による圧力に耐えかねた母に連れられてイギリスに渡ってからはそちらで生活を送っていた。今回また日本に戻ってきたのは、その母が亡くなったからだ。
当時のことを思い出して由良が物想いに耽っていれば、ふと視線を感じる。顔を上げると、景が気遣わしげな表情でこちらを見ていた。明るい彼にその表情は似合わない。
五年前、イギリスに移るまでは兄のように由良を可愛がってくれ、イギリスに渡ってからもエアメールを寄こして心配してくれた彼を安心させるため、由良はニッコリと微笑む。
「景に会えて嬉しいです」
「親父さん、由良と暮らしたがっていたんじゃないか? 本当にオレと住んでいいのか?」
「ママを見捨てた人となんて暮らしたくありませんよ」
由良は冷たく言い放ち、景のごつごつした大きな手を握った。
「景こそいいんですか? おじい様とおばあ様との思い出の家に私を迎えて……」
景の両親は幼い頃に他界しており、面倒を見てくれていた祖父母も去年に事故で亡くなっている。祖父母と暮らしていた思い入れのある家に今回由良を迎えてくれたわけだが、邪魔ではないのだろうか。
そんな懸念が浮かび質問した由良の髪を、景はわしゃわしゃと豪快に撫でた。
「良いに決まってるだろ? 由良と暮らせてすっげー嬉しい!」
そう言ってくしゃりと笑う景を見て、由良は楽しい日々が始まると思った。
景が作ってくれた夕食のカレーを一緒に食べてから、洗い物をするためシンクの前に二人で並ぶ。
景の作る料理は野菜の切り方が大きいだとか、由良が料理を担当するだとか、たわいのない会話をしながら仲良く皿を洗っていたところで、景が切り出した。
「そういや、由良はオレの通う高校に入学するんだったか?」
「うん。試験に合格したので、一緒に登校しましょうね」
「おー。楽しみだな。でも大丈夫かぁ? 久しぶりの日本で、同世代の子たちと仲良くやれるか?」
心配して由良の顔を覗きこんでくる景に、由良は胸をそらし、自信満々に「大丈夫ですよ」と言った。
「日本をよく知るために、漫画で勉強したから!」
「漫画? 少年漫画でも読んだのか?」
「いいえ? ええっと」
由良はエプロンで濡れた手を拭き、スマホを取りだして見せた。
「じゃーん! スマホで読める電子書籍です! 向こうで留学に来ていた日本人の子に教えてもらったので、さっきタクシーの中で読みました! 紙の書籍も借りましたし! これで日本人についてはばっちりです!」
「…………」
景は由良からスマホを受け取り、画面いっぱいに写った漫画に視線を落とす。
それはいわゆる女子向けのTL系漫画であったが、どう見ても男女のキャラクターがくんずほぐれつ絡みあい、淫らな行為をしている。
景はあられもないヒロインの姿を静かにスクロールした。破廉恥な内容から目をそらし、自身を落ち着けるように大きく深呼吸する。そして……。
「――――……こっらぁあ! 十八歳未満の子がこんな破廉恥な漫画見てはいけません! しかも全然日本の真実の姿じゃないからね!? 日本人奥ゆかしいから、エロ漫画みたいに二人っきりになったからって即効女の子にニャンニャンしかけたりしないから!」
「にゃんにゃ……?」
「うあああ通じないわな! そうだよな! とにかく、リアルの日本人は漫画みたいに出会って即効合体したりしないから!」
「そうなんですか? じゃあ裸エプロンで欲情するっていうのは嘘?」
「いや裸エプロンは滾るな……」
「じゃあやっぱり漫画の知識は正しいじゃないですか。日本男児は裸エプロンに弱いんですよね? 私も裸エプロンとかした方がいいですか?」
「いや漫画の内容と裸エプロンの破壊力は別物っていうか……」
景は額を押さえた。
「っつーか裸エプロンはロマンだけどな!? それでもしオレが本当に欲情したらどうするつもりかなぁ由良ちゃん! っていうかオレに何回裸エプロンって言わせるんだこの子は!!」
さらさらの黒髪を掻きむしり悶絶する景へ、由良はきょとんとして言った。
「景はそんなことしないですよ。私が読んだ漫画だと裸エプロンで獣のように襲ってくるのはガツガツした野性味溢れる男です。だから心配してません!」
「何か全幅の信頼をおかれるとそれはそれで辛いんだけど……オレも結構健全な男子なんだけど……。裸エプロンは見たいし……」
景は由良の、出るところは出てくびれるところはしっかりとくびれた体型を一瞥し、最後の一言を半ば独り言のように呟いた。その時、茶番に水をさすようにインターホンが鳴り二人の意識は玄関へと向いた。
「来客ですか?」
「はあ……助かった……」
景は弱り果てた様子で言った。