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デートなんてことはないです

 バイトを終え帰宅した由良は、同じくバイトを終えて帰ってきた景へ、恭弥と花火大会に行くことになった旨を伝えた。


 景は黒髪をさらりと揺らしながら、大きな猫目を瞬いた。


「いつからそんなに仲良くなったんだ? いや、二人が仲良くしてくれんのは嬉しいけどさ」


「仲良くなんてありません! ただの男避けです!」


 大食いな景のご飯をこんもりと茶碗によそいながら、由良は否定した。


「ああ……。オレが一緒に行けたら良かったんだけどな。あ、そうだ! 浴衣着てけよー」


「浴衣ですか?」


「おう。オレのばあちゃんが、いつか由良に着せたいって縫ったやつがどっかにあったはずだから探しといてやるわ」


「ええ? 悪いですよそんなの」


「いいから着ろって。じゃないと天国のばあちゃんが浮かばれねえだろ? あ、浴衣の着方は分かるか?」


「調べれば自分で着られると思いますけど……」


「よしきた。ぜってー可愛いぞ。花火観にきた奴らの視線ぜーんぶ釘付けだな、間違いない。楽しんでこいよ?」


「でも、一緒に行くのはキョウなのに……」


 きっと二人きりになれば憎まれ口を叩いてしまい、浴衣姿を堪能するどころか、仲良く花火大会を楽しめるとも思えない。そう由良は思ったが、景の厚意を無碍に出来ず、結局景が祖母の箪笥から引っ張りだしてきた浴衣に目を通すことになった。







 花火大会当日、由良は水色を基調とした生地に淡い桜が散りばめられた浴衣に袖を通していた。景の亡くなった祖母が、由良のアクアマリンを嵌めこんだような瞳の色に合うよう選んでくれた生地らしい。


 叶うことなら、生前にお礼を言いたかった。


 自室に置いた全身鏡の前に立ち、思いのこもった浴衣に袖を通した由良は、桜色の帯を締める。それからワンカールボブの髪をふんわり巻き、片側を編み込んで風に揺れる簪をさした。


 鏡に映る由良は薄く化粧を施しているため、息を飲むほどに美しく仕上がっている。が、本人はその美貌を台無しにするほどの仏頂面をしていた。


 せっかく景の祖母が由良の為に浴衣を縫ってくれたのに、兄のように慕う景とではなく毛嫌いしている恭弥と二人きりで花火大会に行くという事実。そして、そのためにめかしこんでいるという現実が由良のプライドを刺激して機嫌を斜めにし、美人を台無しにしているのだ。


 恭弥と花火大会に行くためにわざわざお洒落をするなんて馬鹿げている。Tシャツにショートパンツで十分な気がしてきた由良は、帯に手をかけ浴衣を脱ごうとした。


 しかしタイミングを見計らったように家の呼び鈴が鳴り、由良は浴衣のまま来客を迎えることとなった。


「はい……って、貴方ですか、キョウ」


「随分だな。待ち合わせの時間ピッタリに来たつもりだが?」


 玄関先にはVネックのサマーニットを着た恭弥が立っていた。お盆ということもあって今日は蒸すが、迎えに来た恭弥は涼しげな表情をしている。ざっくりとあいた胸元から覗く厚い胸板がセクシーで、由良は目のやり場に困った。


(……この男は、自分の色気を自覚していないのか……)


 恭弥は放つフェロモンだけで道行く女を孕ませられる気がすると、由良は時々真面目に考えていた。


 巾着を手に持った由良は、下駄に足を通して家を出る。カランと鳴った小気味の良い音は少しならず由良の気分を高揚させたのだが、それを悟られたくなくて由良は恭弥と目を合わせないようにしながら家の鍵を閉めた。


 蝉の鳴き声、薄明るい夕方の住宅街を支配する下駄の音、じんわりと額に浮かぶ汗。夏だ。イギリスとはまた違う夏の風景を由良は噛みしめた。


 花火大会は、駅の近くにある大きな河川敷で行われる。その道中に露店がいくつも連なっているようで、まだ日が沈みきっていないにもかかわらず、道行く人は河川敷を目指しごった返していた。


 駅前は平日よりも人が溢れ返り、時計台の前には浴衣姿で待ち合わせをする人が沢山見られた。それを横目に見た由良は、数メートル先が見えない駅前を歩きながら言った。


「駅で待ち合わせでも良かったのに」


「津和蕗に、浴衣姿のお前を駅で一人待たせたりしたら、えらいことになると言われたんでな。過保護にもほどがあると思ったが、確かに……」


「何です?」


 途中で言葉を切った恭弥が気になり、由良は続きを促す。恭弥は信号待ちで足を止めると、由良を頭から足のつま先まで眺めた。


「この浴衣姿で駅前に一人立っていたら、男の視線を全てさらっていきそうだ」


「!」


「しかめっ面でさえなければな」


 そう言って、恭弥は由良の眉間に深く刻まれた皺を親指で押し、くっと可笑しそうに笑った。


 無表情が多い恭弥だが、由良や景の前では結構笑うこともあると由良は知った。その時も、声を上げることなく静かに喉の奥で笑うことがほとんどだが、最近は由良にも気を許してきたのか、歯を見せて笑うことも多くなった。


 綺麗な歯並びの中に初めて犬歯があることに気付いた時は、面白くないが少し感動したくらいだ。


「……口説いてるんですか?」


 恭弥が浴衣姿を褒めてくれているのは伝わったが、素直に受け取るのが癪で由良は憎まれ口を叩いた。


「そうじゃないなら、嫌味にしか聞こえませんよ。群衆の視線を独り占めしているのは貴方でしょう」


 確かに男たちは道行く由良を見てざわついているし、追い越しざまにチラチラ振り返っては語彙力を失ったように「やばい、可愛い」と同じ単語を繰り返している。が、その男たちも、由良の隣に恭弥が立っているのを見て打ちのめされたような顔をして去る。


 圧倒的に容姿の優れた男が、由良の横に立っているからだ。ナンパな男も、自分では到底叶いっこない美形が由良の傍にいれば、いくら由良が可愛くても寄ってきたりはしない。


 そう、恭弥は同性の目から見てもずば抜けて美形なのだ。もちろん、道行く女子は皆横に連れている彼氏より恭弥が気になるようで、魂が抜けたように彼の顔を眺めていた。


「……そういえば、インターハイ優勝おめでとうございます」


 個人の部でも団体の部でも優勝を決めたそうだと、先週景が自分のことのように嬉しげに話していたことを思い出し由良は言った。人波から頭一つ飛び出した恭弥は、切れ長の目を見張った。


「ああ。ありがとう……少し意外だな」


「何がです?」


「お前に祝ってもらえるとは思わなかった」


「貴方は景の友人でしょう? 景の友人なら、インターハイで優勝くらいしてもらわなくては困ります」

 由良がつっけんどんに言うと、恭弥は人ごみを歩きながら言った。


「……本当に津和蕗のことが好きなんだな」


「当然です。イギリス時代の私の心の支えですから」


 景がいなければ、年頃の少女相応に浴衣を着て花火大会に行くことも、祭囃子に耳を傾けることもなかった。


 きっと今もイギリスで一人、明けても暮れても泣いて過ごしていたに違いないし、もしかしたらそれよりずっと前に母と同じように心を病んでしまっていたかもしれない。


 景は恩人だ。彼に出会って日本に来られて本当に良かったと由良は思う。同時に、母を置いて自分だけ幸せでいいのかと、景には言えずにいる思いも去来したが。


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