勘違いしてしまうようなお誘いはNGです
梅雨が明け期末テストも終わると、いよいよ夏休みが近付き短縮授業になった。午前で学校が終わるのをこれ幸いに、由良はシフトを増やしバイトに勤しむことにした。
生活費は金持ちの父が出してくれているが、軽蔑している父に何もかもを支払ってもらうのも気に触るため、由良は学校から許可を得てバイトに励んでいた。
由良のバイト先は、学校の最寄り駅近くにある隠れ家風の喫茶店だ。店内には落ち着いたジャズが流れており、丸テーブルの間を縫うように香ばしい豆の香りがたちこめている。いたる所に飾られたフクロウの置物は常連客からのプレゼントらしかった。
マスターは目尻にくっきりと刻まれた皺と、セイウチのような髭が素敵なおじいさんで、由良を孫のように可愛がってくれていた。
「由良ちゃんがきてくれてからお客さんが増えたよ。前は冴えないおじさんばっかりだったのにねぇ」
カウンターに立ち、一見理科の実験道具と見紛うサイフォンでコーヒーを淹れながらマスターは笑った。新聞片手に常連客同士で会話を楽しんでいた中年の客は、「ひどいな」と笑う。
「こんなべっぴんさん、テレビでしか見たことないからな。客も増えるわな」
常連客の一人は、清潔感のある白シャツの上から黒いエプロンをつけた由良を見てうんうんと頷いた。
繊細な模様のあしらわれたティーカップを盆に載せ、客の間を行き来する由良はすっかりこの店の看板娘になっている。
肩口に届かない髪を束ねているため、スズメの尻尾のようにゆらゆら揺れる髪がまた愛くるしいと常連客は娘を見守るような気持ちになっているが、最近はこの店に可愛い店員がいると噂になり、若い男の客が増えて千客万来状態だった。
今も、どこで由良のバイト先を聞きつけたのか、同じ学校の男子生徒たちが訪ねてきていた。積極的に由良に声をかけ注文をとってもらう輩もいれば、メニュー表越しに由良に熱い視線を送っている気弱そうな男子もいる。
夕方になり客足も少し減ってきた頃、由良はマスターに張り紙をするよう頼まれた。
「これは?」
カラフルに印字された紙を見下ろし、由良が尋ねた。
「花火大会のお知らせだよ。店の入り口に貼っておいてくれないかな」
「花火大会、ですか」
「その曜日はシフト休みだろう。由良ちゃんも行ってくるといい。露店も沢山出るよ」
日本の祭りに行った経験がない由良は、クリスマスプレゼントを前にした子供のように目を輝かせる。
店の外に出てドアに紙を貼りながら、由良は紙に書かれた内容によく目を通す。しかし、花火大会の日にちを見て、由良は手を止めてしまった。
「この日は、景バイトだ……」
花火大会は八月の中旬に予定されていたが、由良は家のホワイトボードに景がバイトと書きこんでいたことを思い出した。
「…………」
景と花火大会に行こうと浮足立っていた由良は肩を落とす。他の友人を誘おうかとも思ったが、仲のいいクラスメートは最近彼氏が出来たと言っていたので、きっと恋人と行くに違いない。誘っては迷惑になるだろうと、由良は諦めた。
「……お祭り、行きたかったな。花火も……」
(見たかった)
実は一度だけ花火を見たことがあるものの、当時の環境を思えば決して楽しいだけの思い出ではなかった由良は、小さくため息をついた。
チラシを貼りおえた由良は、再び店に戻ろうとする。と、耳触りのいい低い声で名前を呼ばれた。
「篠月か?」
「……キョウですか」
声のした方へ視線を向ければ、私服姿の恭弥が立っていた。
黒地のリネンシャツの下にボーダーのTシャツをきた恭弥は、制服を着ている時よりもカジュアルで親しみやすい印象を与えている。
しかし、スラックスよりも身体のラインが分かるボトムをはいているせいか、足の長さが一層際立っていた。折られた袖から伸びている腕の筋肉も、道行く女子をときめかせている。
(何を着ても様になるとか……嫌味なやつ)
由良は口をへの字に曲げる。
カフェの制服を着用している由良を見た恭弥は、涼しげな切れ長の目を丸めた。
「ここでバイトしてるのか」
「ええ。貴方はここで何を?」
「津和蕗のバイト先に寄った帰りだ」
「そうですか……」
思えば恭弥と二人で話すのは、彼の自宅に見舞いに行った時以来だった。恭弥は景と仲が良いため、由良が景と行動しているとちょこちょこ顔を合わせる機会があるものの、間に仲裁役の景を挟んでケンカになる。
とはいえ、ケンカを吹っ掛けているのも、ケンカした気分になっているのも由良だけで、恭弥はそんな自覚はないのだが。
最近景はバイト三昧だし、恭弥も部活が忙しいのかあまり顔を合わす機会がなかったので、久しぶりに面と向かって話すと少し気まずい。最後に二人で話した時に泣いてしまったのが主な理由だろうと由良は思った。
「……それは?」
恭弥は喫茶店の入り口に貼られたチラシを見て言った。
「花火大会のお知らせです」
「ああ……。毎年やっているヤツか。今年も出店が並ぶみたいだな」
「マスターもそうおっしゃってました……いいなあ」
由良はチラシの皺を伸ばすように一撫でして言った。
「出店、回ったことないんです。色んなお店が出るんですよね? 金魚すくいとか、わたあめのお店とか……」
「ああ。一度も行ったことがないなら津和蕗でも誘って行けばいいだろう」
「景はバイトが入っていますから……。キョウは行ったことあるんですか? 花火大会」
「去年は部活の奴らに引きずられて行ったな。今年はインターハイが終われば引退だから部活の奴らとは行かないかもしれないが」
そういえば恭弥は去年のインターハイで優勝した猛者だったな、と由良は思い出した。由良がぼうっとしていると、恭弥は少し逡巡してから言った。
「――――……一緒に行く相手がいないなら、俺と行くか? 花火大会」
「へ?」
「もちろん、お前がよければ、だが。お前には見舞いに来てもらって世話になったし、一人で花火大会に行くのが嫌なら、俺で良ければ付き添いで行くが。八月の中旬なら、インターハイも終わって部活も引退しているしな」
「え……で、でも……」
思ってもみない申し出に、由良はまごついた。
「もちろん、お前が嫌なら無理強いはしないが」
由良の気持ち次第だ、と決断をゆだねられて、由良は迷った。花火大会は魅力的だが、天敵だと思っている恭弥に誘われたため、素直に頷けない。
「何で、私を誘うんですか」
「行きたそうな顔をしていたからだが」
「そんな顔していません!」
「じゃあ断るか? 花火大会に一人で行くのはなかなか勇気がいると思うぞ」
「うう……」
「まあ、お前の容姿なら目的地に着く前にこぞって声をかけられるだろうが……ナンパされて変なところに連れていかれようものなら、津和蕗が心配するだろうな」
「ここで景の名前を出しますか!?」
景のことになると一際過敏になる由良の性格を知っているだろうに、彼の名前を出してきた恭弥を由良は恨めしく思った。
「俺がいれば、男避けにはなると思うぞ」
たしかに、恭弥は長身であるし美形であると同時に強面でもあるので、隣にいれば由良にちょっかいをかけてくる命知らずな男はいないだろう。
花火大会に行くことを了承しやすいよう恭弥に言葉巧みに誘導されている気がしないでもなかったが、花火大会に行きたいのは確かだったため、由良は不服ながらもオーケーした。
「貴方みたいな無骨そうな大男でも、いないよりはマシですからね! 一緒に行ってあげてもいいですよ!」
「そうか。じゃあ頼もうかな」
上から目線で言った由良に対し、恭弥は目尻を和らげ、ふ、と零すように笑った。その表情が以前よりも優しい色を秘めていて、由良は面食らった。
(何で……そんな……)
懐に入れた相手を可愛がるような、優しい顔をするのか。相手が由良以外の女子なら、勘違いしてしまうのではないかと由良は思った。




