注射? いいえ、凶器です
「キョウ、お粥冷めないうちに食べてくださいね」
由良は先ほどのエッチな妄想を振り払うべく頭を振ってから、パソコン机に置いたお盆を恭弥に手渡す。
「悪いな……」
「気にしないで下さい。これで貸し借りなしですよ」
恭弥が蓋を開けると、ほわりと立った細い湯気が肌を撫でた。出汁の香りが鼻孔をくすぐる。由良に渡されたレンゲを持ち、卵粥を一口掬って口に含むと、恭弥の口いっぱいに優しい味が広がった。
「……美味い」
恭弥は目を丸めて言った。それからはもう一口、また一口と無言でレンゲを口へ運ぶ。お世辞を言うタイプではない恭弥が手を休めることなく食べているのが、由良の作った粥が美味しい証拠だった。
「食欲があってよかった。早く良くなって下さい。景が心配します」
「美味かった。お前は料理が上手だな」
ぺろりと平らげられた土鍋は心地いいくらいだ。由良は腰に手を当て、自慢げに胸をそらした。
「ふふん、そうでしょう。私に苦手なものなんてないです」
他人には謙虚に振る舞うものの、恭弥相手にそれをする必要もない。由良がニヤッと笑うと、恭弥は気分を害した様子もなく「そうか」と一つ頷いた。
「家でもお前が料理を作っているのか?」
「ええ。景も上手ですけど、私が担当していますよ。景が食べて喜んでくれるの、嬉しいので」
「そうか。津和蕗はいいな、いつもお前の美味い飯が食べられて」
「……へ」
「手料理なんて随分と久しぶりに食べたな」
一人暮らしが長いのだろうか。しかし十人が十人美形という恭弥の容姿だ。望めば手料理を作ってくれる女など掃いて捨てるほどいるだろうにと由良は思った。そんな由良の考えが顔に出ていたのか、恭弥は苦々しそうに言う。
「下心がある女の料理なんて食えたもんじゃないからな。その点、お前は俺のことをよく思っていないようだから安心して食える」
「毒が入っているかもしれませんよ」
由良は恭弥の引きしまった腹を指でさし、悪い笑顔で言った。しかし恭弥がまた咳きこんだので、由良は空になった鍋を下げ恭弥に薬を差し出した。
(病人相手に意地悪しすぎたかな)
ちくりと由良の胸に罪悪感が過ぎる。恭弥は顆粒の薬を受け取ると、それを口に流しこみ、白湯を呷って飲み下した。その際に突き出した喉仏が、妙に色っぽいと由良は思った。
(……漫画だったら、ここで寝込んだヒロインが薬を飲めなくて、ヒーローが口移しで飲ませるんですよね……)
『ほら、ちゃんと飲め。零すなよ』
『ん……』
高熱によって起き上がれず、コップを持つこともままならない由良。それを見かねて、恭弥は由良の背中に手を回しベッドから抱き起こす。焦点の定まらない由良を一瞥してから恭弥は薬と水を口に含み、そしてそのまま――――……。
『ん、ふ……ぅ』
恭弥に濡れた唇を重ねられる。口付けられたことで意識が清明になった由良は、力の入らない腕で恭弥の胸板を押すが、赤子のような抵抗はあっさりとねじ伏せられてしまった。
そうしている間に、重なった唇から溶けそうなくらい熱い舌を割り入れられる。薬と水を流しこまれた由良は肩をピクリと跳ねさせた。腰がじんと痺れる感覚に襲われ、せり上がってくる疼きの正体が怖くて由良は必死に恭弥の胸元に縋る。
口の端から零れた水が顎を伝って鎖骨へと滑り落ちていくのでさえ、由良をゾクゾクさせた。
やがてごくりと薬を嚥下すれば、ようやく離れていく恭弥の唇。その際に二人が今の今まで繋がっていた証が銀色の淫靡な糸を引き、それを恭弥はヒルのような舌で舐めとった。
『ん……キョウ……? あ、やだ……っどこ舐めて……』
恭弥は由良の飲み零した水の道筋を伝い、尖った顎から細い首、鎖骨のくぼみに舌を這わせていった。さらに、胸の谷間へ流れていった水を追いかける。
恭弥は由良の甘く匂い立つ肌に口付けたまま、パジャマのボタンをとき、前をくつろげていった。羞恥に震え、熱とは関係なく桃色に染まった胸へ手を伸ばす。そして下から掬いあげるように胸を揉み――――……。
『俺がお前の熱を下げてやる……』
『どうやって……?』
『俺が注射を打ってやるよ、熱くてよく効く注射をな……』
(……って展開になるはず……! この場合は私が看病される側だから、医者の振りをしたキョウに『よしよし先生の太いお注射を挿して熱を下げてやろうセ○クス』に持ち込まれるに違いない……! ふざけるなよキョウ! 貴方のアナタのどこが注射だ! むしろ凶器だわ!)
自らが熱を出したわけでもないのに妄想力を働かせた由良は、しかし恭弥は由良のヒーローではないから大丈夫なはずだと頭を振った。
突如激しく首を振りだした由良に恭弥は呆気にとられた様子だったが、どスケベな由良は勝手に「私が風邪を引いていないからスケベ出来なくて残念でしたねキョウ!」と勝ち誇った気分でいた。
「薬も買ってきてくれていたとはな……。すまない、金を……」
薬を飲み終えた恭弥は、ベッドから出て財布を探そうとした。が、足取りがふらついていて危なっかしいため、由良は恭弥をベッドへと押し戻す。
「バイトしているので気にしなくて結構です。それよりさっさと寝てください」
「お前のお陰で助かった。料理を担当しているなら、津和蕗に晩飯を用意しないといけないんだろう。薬も飲んだことだし、もう帰ってくれて大丈夫だ」
窓の外が薄暗くなってきたせいか、恭弥が言った。
「暗くなる前に帰ってくれ。この体調じゃお前を送れそうにないんでな」
「いえ、お気遣いなく。武道の心得はあるので、夜道で変質者に遭遇しても拳一つでのしてやりますよ」
由良は可憐な笑顔に似合わぬ正拳突きの構えをしてみせる。由良の小さな拳を包みこむように掴んだ恭弥は、難色を示した。
「お前の腕っ節は知らないが……もし相手をノックアウトさせることが出来たとしても、この拳を痛めるだろうからダメだ」
てっきり女だから男の力には勝てないとか否定的なことを言われるだろうと踏んでいた由良は、予想外の返しに目をぱちくりさせた。
労わるように撫でられた拳がくすぐったくて、由良は恭弥の体温が高い手を剥がす。
「で、でも! その様子じゃ料理や掃除も出来ないでしょう」
「お前の気にすることじゃない」
「私のせいで風邪を引いたんだから気にするに決まっているでしょう。それに、風邪は……怖いんですから……」
由良は最後の一言を、長いまつ毛を伏せ暗い顔で言った。ゆらゆらと揺れるブルートパーズの瞳は、恭弥を通り越して亡くなった母親を映していた。視線を爪先へと向けた由良は、小さく零す。
「せっかく私が来てあげたんですから、大人しく看病されてください。帰りが心配なら、景に迎えに来てもらいますから」
「…………分かった。じゃあ、世話になる」
急にしおらしくなった由良に何かを感じ取ったのか、恭弥は仕方なく折れた。




