綺麗なおねえさんの影がちらつくのは、よくあることです
翌日、由良の期待はむなしく打ち砕かれ、恭弥はまたも欠席のようだった。色男が二日続けて休んだだけで、校内は著名人が亡くなったかのごとく悲しみの色に包まれていた。
女生徒はもちろんのこと、女性教諭の背中までどこか丸まっているように感じるのは気のせいだろうか。
「柊先輩が休みだと、もう一人の美形の津和蕗先輩に癒しを見出すしかないよね……」
放課後、いの一番でバイトに向かうため校門へ走っていく景の姿を校舎の窓から見下ろしながらクラスの女子が言った。
「景先輩の笑顔って、猫目がくしゃっとなって可愛いよね。でもでも、仏頂面でもワイルドな恭弥先輩が恋しいよー」
「それな。あー……お見舞い行きたい家知りたい押しかけて住みたい……」
クラスメートが恭弥について話すのを耳にしながら、由良は何なら代わりに見舞いに行ってくれと頼みたい気持ちでいっぱいだった。
景に昨晩書いてもらった地図をスカートのポケットから取り出し嘆息する。諦めてスクールバッグに教科書を詰めると、学校をあとにし、スーパーに寄ってから目的の恭弥の家へ向かった。
「結構遠いし……」
恭弥の住む家は学校の最寄り駅から二駅だが、雨の日に恭弥が由良の家に寄ったことを考えるとかなりの遠回りだ。この距離を濡れたまま帰ったなら、鍛えていても風邪を引くはずであると由良は納得した。
駅には同じ学校の生徒もちらほら見られた。男子生徒のミーハーな視線を受け流し、由良は券売機で切符を買う。
エスカレーターに乗っている間、数人のチャラそうな上級生にこれから遊ばないかと誘われたが、角が立たないようやんわりと断ってちょうどホームに滑りこんできた電車に乗った。
電車に揺られること十分。目的の駅につき改札を出れば、そこは都心へのアクセスに便利な、いわゆるお金持ちの住む街だった。
スーパーや商業施設の立ち並ぶ駅周辺をぐるりと見渡してから、由良は地図に視線を落とす。景の書いてくれた地図に沿って駅の北側へ五分も歩けば、駅前の喧騒が嘘のように閑静な住宅街が由良を迎えた。
瀟洒な一軒家が立ち並ぶ中、一際目立つ高層マンション。これは家賃がバカにならないだろうな、と思いつつ再び地図へ視線を落とせば、目的地はそこを示していた。
「……キョウって、お坊ちゃんだったんだ……」
たしか景の情報によると恭弥は一人暮らしらしい。学生の身分なので親が家賃を支払っているのだろうが、息子を一人で高級マンションに住まわせるとは、どんな金持ちの親なのだろうか。
(でも、ちょっと納得)
言われてみれば、恭弥は高身長や切れ長の目が他者に威圧感を与えるものの、所作の一つ一つが洗練されていて品がある。育ちの良さは付け焼刃で何とかなるものではないので、それが自然と滲みでている恭弥は、やはりお坊ちゃんなのだろう。
(坊ちゃん育ちのキョウが、苦学生の景と仲が良いなんて……ちょっと不思議)
景の心が広いのか、それとも、恭弥が金持ちを鼻にかけない良い奴なのか。前者だといい、と景過激派の由良は思った。
ちなみに、ちょっとでも恭弥がいい奴だという可能性を考える自分が、恭弥の優しい一面に気付いていることは認めたくない由良であった。
マンションの前まで辿りつくと、ホテルのようなエントランスが広がっていた。大理石が敷きつめられたロビーを自動ドア越しに見つめてから、ふと恭弥が住む階を知らないことに気付く。
「ふむ……」
口元に手をやり、ちらりとドアの向こうを見やる。すると、ロビーのカウンターに立っている年若いコンシェルジュの男性が、ドア越しにこちらを食い入るような目で見つめていた。その視線の種類には覚えがある。
まるで天使に遭遇したと言わんばかりの惚けた顔で由良を見るコンシェルジュに、由良は一つ微笑みかけた。
「あの、もし。お願いがあるんですけど……」
五分後、由良はエレベーターに乗り十五階の恭弥の部屋を目指していた。コンシェルジュに甘えるような口調で恭弥の部屋へ通してほしいとお願いしたのだが、あまりにもあっさりと通してもらうことが叶い、マンションの防犯面が心配になってくる。
そうこうしているうちに目当ての階に辿りつき、コンシェルジュに教えてもらった通り恭弥の住む角部屋を探して廊下を突き進んだところで、女の声が聞こえてきた。
由良が自然と声のする方を向くと、角部屋の前に綺麗な女性が立っていた。
見たところ三十代の女性は、泣きぼくろが艶めかしく、身体のラインがよく分かる服を着用していた。ゆるいウェーブがかかった茶髪をバレッタでとめて背中に流しているのだが、その背中から腰にかけての曲線美も女性らしさを感じさせ魅力的だ。
しかし、ほっそりした左手の薬指には高そうなシルバーのリングがはまっていて、由良はその女性が既婚者だと分かった。
驚くべきは、その女性が立っている場所が、由良が探していた恭弥の部屋の前ということだった。由良が廊下に立ちつくしていることに気付かない彼女は、ドアに向かって何事か呼びかけている。よくよく見ると、ドアロックを解除せずに細く扉を開けた恭弥と何やら話しているようだった。
「恭弥くん。お願い、入れて? 恭弥くんが風邪を引いたって知って、私心配で見にきたのよ……」
「合い鍵を作って勝手に入ってこようとした女なんて部屋に上げると思うのか? どうやって俺が寝込んでるって知ったんだかな」
聞こえてきた恭弥の声は今まで耳にしたことがないほど冷たいものだった。痛いところを突かれた様子の女は、毒々しい赤ルージュの引かれた、ぽってりとした口を噤む。
「……それは……」
「帰れ。親父にあんたがここに来ていると知られたくないならな」
取りつく島もない様子で言い、恭弥はドアを乱暴に閉めた。女は綺麗に整えられた爪が目立つ手をドアに添え、しばらくねばっていたが、恭弥がドアを開ける様子がないと分かると諦めて引き返した。
「あ……」
その際に由良とすれ違う。日本では見慣れない由良の金髪碧眼に一瞬目を向いた彼女は、由良の会釈に対して軽く頭を下げ、横を通り抜けていった。
その際に香った香水がきつくて、由良は鼻が曲がるかと思った。
(看病をしにきた人間がつける量じゃない……)
というか、何だ。自分が見舞いに来なくても、恭弥には看病を買って出る女がいるのではないか。そして見舞いに来た女を素っ気なく追い返しているなら、恭弥を毛嫌いしている自分なんて尚更門前払いを食らうのではないだろうか。
由良はそう思ったが、景に言われた以上引き返すわけにもいかなかった。