プロローグ
梅雨のせいか空の機嫌は麗しくなく、夕日はやがて鉛色の重たい雲に覆われる。今にもぐずりだしそうな天気に生徒たちは家路を急いでいた。
しかしどうして、古書の香りが漂う静謐な図書室にはいまだ男女が一組残っていた。場所に似合わぬ淫靡な空気を纏わせて。
「あぁ……っ。や……っ。も、奥、きて……っ」
息も絶え絶えに、女がか弱い声で喘ぐ。その言葉を聞いた男は腰に響くような低い声で、喉で笑いを転がした。
「もう弱音か?」
「だって……。ね、お願いです……意地悪しないで……」
「意地悪をした覚えはないがな。俺はこのまま動かなくても別に……」
「やっ……やだ、いや……! ねぇ動いて……っ。早くほしいのぉ……っ」
鼻にかかった声で蜜のように甘くねだる女――――篠月由良の日本人離れした蒼い瞳にはうっすらと涙の膜が張っている。片方の手は本棚につき、もう一方の手は快感に耐えるようにピンと伸びているのだが、その指先は哀れなくらいに震えていた。
そして男の方――――……柊恭弥は、由良の背中に覆いかぶさるようにして、由良の伸びた指の先へ自分の手を重ねた。
由良の後頭部に、ピタリと恭弥の厚い胸板が触れる。わずかに触れたその部分から、火傷するほどの熱が生まれる気がした。
由良は小さな唇で、苦しげに濡れた吐息を漏らす。それから瞳を潤ませて振り返り――――……
「いいからさっさと本を取ってくださいよキョウ!!」
と、奥の棚の一番上にある本を指差し怒鳴った。
途端に、それまで図書室内に立ちこめていた淫らな空気は霧散する。
由良は脚立が見当たらないため仕方なく背伸びをしてみたものの届かなかった本を取るよう頼んだ……にも関わらず中々取ってくれない恭弥へ業を煮やしていたのだが、とうとう爆発したのだった。
ブルートパーズを嵌めこんだように冴え冴えとした美しい瞳を三角にし、由良は恭弥を睨みつける。しかし肩口に届かない長さのペールブロンドの髪も、陶器のように白くきめ細かい肌も、人形のように長いまつ毛まで全てが、怒っていても美しさを失わない。
睨みつけられた恭弥はというと、射干玉のような黒髪のくせ毛が妙な色気を醸しだし、切れ長の目と高い鼻梁、それから皮肉屋のような薄い唇が高校生離れしたセクシーさを感じさせる美男子だ。
黙っていれば誰もが羨む美男美女の構図――――なのだが、由良は猫のように毛を逆立てて恭弥を睨みつけ、恭弥は飄々とした様子でその視線を受け流していた。
しかし一番の問題は――――……。
(……っ。鎮まれ私の心臓……! この存在自体が十八禁のような色気を放っている男に、エッチなことされるかもしれないからってドキドキするな……!)
別にエッチなことなど一つもなかった。
恭弥は由良の頼みを渋って、高い位置にある本を取ってやらなかっただけだ。それをうがった解釈をし、まるで行為の最中のような雰囲気を漂わせていたのは由良の方である。
――――そう。問題は、恭弥をスケベな男だと思いこんでいる、由良のどスケベな思考回路にあった。
というわけで、新連載始めました。「彼が私をダメにします。」の三章は、この連載が完結してから投稿しようと思います。よろしくお願いします。