第九話 『喜怒哀楽』
――リオン・ファッション通り――
俺と桜木は(光貴と東堂は色々あって別行動中だ)、服売り場が順列している通りを歩いていた。
幾つも店があるにも関わらず、その殆どが女性向け、男性向けを主張している店舗は二、三店しかない。
女性向け店舗の数が軽く二十を超える事を考えると、その少なさがより目立つ。
ふと気が向いて、俺は英文字ブランドのカーディガンの値段を見てみた。
「九千九百円……」
予想外の高さのあまり、思わず値段を声に出す。
「桜木、これ滅茶苦茶高いぞ」
この高さへの興奮を、柄にもなく桜木に教えようとしたのだが。
「……どれでしょうか」
そんな気分ではないようだ。
予約の件以降桜木はずっとこの調子で、顔をワックスの効いたモールの床に向けている。
「まぁあまり気にするな、誰にだって間違いはある。リオンの中でなら時間も潰せるし、空き時間なんてあっと言う間だ」
「本当にごめんなさい……まさか予約が必要だったなんて」
桜木はナランチャの人気を甘く見ていた様だ。
だが一回でも休日にリオンへ来れば、あの繁盛ぶりは誰でも理解できるだろう。
「もしかして、リオン来るの初めてなのか?」
桜木は暫く沈黙し、顔を更に俯けた。
どうやら、図星だったらしい。
それならナランチャが二階にあると言ったのも納得が行く。二階にはフードコートがあって、リオンの中でもかなり有名な場所だ、そこにナランチャもあると思ったのだろう。
「変、ですよね」
リオンに来たことが無い事が、だろうか。
桜木は続ける。
「私、今日初めてここに来ました。思ったより何倍も多くの方がいて、お祭りみたいです。都城に住んでいる人の殆どが、ここに来ている気さえします」
確かに俺も、最初ここへ来た時はそんな感想を抱いた覚えがあった。
都城とは、俺達が住んでいる町の事だ。
町と言ってもかなりの田舎で、都会とは口が裂けても言えない。だが田舎とも断言し難く、中途半端な所である。
「多くの方にとっては、この光景は慣れ親しんだ物なんだと思います。でも私には初めての事で、とっても新鮮でした。ですがそれ以上に、今までこの光景を知らなかった事への恥ずかしさが私の中にあって……」
はて。
「いや、別に恥ずかしくないだろ」
桜木は「え?」と言って顔を見上げる。少しだけ、目が潤んでいた。
妙に気まずくなったので、視線を桜木から逸らす。
「リオンに来たことが無いってのは確かに珍しい、多分都城の九割以上は来たことがあるだろう。だがそれがどうした」
横を通り過ぎたカップルが俺を見ながら小声で喋っていたが、どうでもいい。
「別に良いだろ、来たことが無くても。というか俺達は最近まで中学だったんだ、親がリオンを嫌いだったりしたら、十分それは考えられる」
桜木もまた、青春真っ盛りの高校生なのだ。高校生の流行に疎い事を、俺達に隠そうとする気持ちは理解出来ない訳では無い。
だがそれでも、桜木が見栄を張る必要は無いと俺は思う。というか似合っていない。
「だから、恥ずかしがる必要は無いと思うぞ。いい加減気を取り直せ桜木」
桜木には明るい顔が似合っているぞ。
と言おうとしたが流石に恥ずかしいので止めた。
「……本当に優しい方ですね、明さんは」
「思った事を言っただけだ」
「ふふっ」と桜木が微笑する。
なんだか少し照れくさい様な気もしたが、まぁ……悪くない。
「……くよくよは、もう終わりです! ご心配おかけしました」
やれやれ、仮にも主役に心配をかけさせるとは。
とんだ主催者である。
「それで、実は、あの、明さん」
どうした。
「一生の、お願いがあるのですが」
桜木が上目遣いで俺を見つめてくる。
もはやこれは邪眼だ、少なくとも光貴のカラコンよりかは、遥かに効果がある代物だ。
「唐突に一生のお願いを使われたからには、まぁ、俺もある程度の願いは聞こう」
あくまである程度だが。
桜木はそこまで言って、根本の願いを言い切れずにいるようだ。
唇を噛みしめては俺に何かを言おうとし、再び唇を噛む。
これを二、三回繰り返した所で、やっと決意が固まった様だ。
「い、一緒に私の私服を選んでくれないでしょうか!」
「え?」
「じ、実は私、自分で服を買ったことが無くて……」
唐突、あまりにも唐突。
自分の口が開いたままだった事に気付いて、閉じてはみたものの、いやはや。
「桜木、残念だがその願いは、俺のある程度の範疇を凌駕している。つまりだ、一生のお願いはまたの機会に使ってくれ」
俺に女子の服を選ぶセンスがあるとは微塵も思えない。
自分の服ですら適当に決めて買うのに、人様の、ましてや女子高生、更にましてや美少女の私服を選ぶこと等、俺には荷が重すぎる。
「そんな事言わずに、どうか!」
「そう言われてもな。というか男子が女子の服を選ぶなんて、中々に難易度が高いと思うぞ。女友達とでも探せばいい」
「それでは駄目なのです!」
「駄目なのか」
「駄目です」
駄目らしい。
桜木は両手を握り閉め、ぶんぶんと胸のあたりで振っている。
「お願いします! 何でもしますから!」
ほう。
――なんでもか。
いや、落ち着け俺。桜木の性格と容姿を考えると、この発言は所謂十八禁、如何わしい事を想定しての発言では無い筈だ。
残念だが、そのはずだ。……あ、いや、残念は撤回する。
「一緒に見てくれるだけで構いません! どうか!」
やれやれ、「はい」を選ばないとシナリオが進まないゲームを彷彿とさせるな。
ん、これ前にも思った気がする。
「見るだけ、見るだけだぞ――おぅ」
「ありがとうございます、明さん!」
桜木は俺にタックルをかましてきた。
そのまま俺を抱きしめ、殺すつもりらしい。
恥ずかしすぎて、死ぬ。
羞恥死なんて言葉があれば、今ほどそれに似合う言葉は無い。
周囲のカップル、学生、家族の視線が俺達に集中していた。
「桜木、一生のお願いがある」
「はい!」
「まぁ色々と構わない部分はあるのだが、俺から離れてくれ。周りの視線で死んでしまいそうだ」
「――ふえ?」
どこぞの小動物の様な声をしたかと思うと、桜木は沸騰するかの如く顔を紅潮させる。
周りが見えなくなるにも、程度があると思うのだが。
そして俺から早く離れれば良いモノを、何故だが妙にゆっくりと腕を解いて、顔を沈ませて行くと同時に俺から離れていく。
「え、えっと、あの……ご、ごめんなさい」
うむむ、何と返せば良いのだろうか。
例えば「桜木の感触を味わえたから許す。むしろありがとう」、却下。
あとは……そうだな……駄目だ、これ以上のセリフが思い浮かばない。
「じゃ、じゃあ行くか」
となれば、話題の切り替えである。
「へ? ど、どこにですか」
桜木は急に顔を上げ、真っ赤な顔で素っ頓狂な事を言ってきた。
「いや、桜木の服を買いにだよ」
「あ、そ、そうでしたね!」
いやはや、慌てすぎだ。
桜木は見たとは裏腹に、喜怒哀楽の激しい人間であることが今日より確定した。
桜木は照れを隠す様に早足で歩き始める。
いや、置いていくなよ。
「明さん! 早く行きましょう! 買うお店はもう決めてあるのです!」
桜木が振り向いて言う。
……やれやれ。
俺は呟き、桜木の後を追った。