第四十四話 『死影』
二年の教室へ行くのは少々緊張する。
俺は東堂へ会う為、一年棟の向かいにある二年棟へ来ていた。
見た目はあまり変わらないのだが、なんというか、匂いが違う。
つまり居心地が悪い。
身長も上級生とさして変わらないので、特段先輩方から視線を向けられているワケでも無いのだが、自然と歩を進める間隔が早くなり、歩幅も広くなっていった。
東堂のクラスは二年A組、特進科、だが東堂は居なかった。
桜木の為と勇気を出して気の弱そうな先輩に場所を尋ねた所、どうやら二年棟の屋上にいつもいるらしく。
階段が見え、更に歩を早める、もちろん先輩方と肩がぶつかったりしないように。
喧嘩は苦手である、いや流石に段階が飛びすぎか、そもそも無色半透明の理念が俺にはあるのだ、厄介事は避けねば。
と、なるべく周りを見ない様、どうでもいい事を考えながら屋上まで上がっていく。
一年棟の屋上は入れない様になっているので、少しばかり楽しみと言えば楽しみだ。
屋上というスポットは、非常に過ごしやすい場所だと思っている。
屋上のドアを開けると、購買のパンを食べている東堂が居た。
東堂はすぐにこちらに気付き、薄く口角を上げ手を挙げる。
俺も軽く手を振り、東堂に寄っていく。
「やぁ黒木くん、昨日は悪かったね、僕としても参加したいイベントではあったのだけれど」
東堂は部活関連の話だと思っているらしい、まぁ、合ってるといえば合っているか。
そもそもオカルト研究部は、桜木が『複数の人間と協力して怪異を解決する』為に作った部活だからな。
俺は「いや」と言って東堂の横に座り、
「そういう話をしに来たんじゃないんだ、霊絡みの話というか」
東堂の目が僅かに開く、
「ふむ、聞かせてくれないか? すごく面白そうだ」
言って「くくく」笑う東堂の姿は、まさしく詐欺師そのものである。
本当に高校生なのだろうかコイツは。
「俺は昨日、ルー、遡行の守護を使った、その理由は、深夜活動中に生死が左右される状況になったからなんだ」
東堂の頷きを見て、続ける。
「島津像は確かに動いた、だが問題は島津像じゃない、別の幽霊、影の化物が現れたんだよ、そいつに襲われた」
俺が更に続けようとすると、東堂が口を開き、
「なるほど、その影の化物に襲われることを回避するために、黒木クンは遡行の守護を使った。結果君たちの危険は回避されたが、島津像は破壊された。つまるところ、影の化物の目的は島津像の破壊だったということか」
理解早すぎだろ。
静かに笑い一人で頷く東堂、こいつ自身謎の多い人間だが、今はそれを問いている暇はない。
「そうだ……で、単刀直入に聞かせて貰うが、影の化物について何か知っていることはないか?」
東堂がもし影の化物を知っていれば、島津像の破壊を阻止できる。
それどころか、桜木の呪いを解く道が一気に開けるかもしれない、期待を込めた問いだった。
「知っていることはある、だけどそうだな、おそらく君が求めている答えにはならないだろうね」
東堂は言ってカツサンドを一齧りし、俺の方を向く。
東堂の薄い目の奥に笑みがあるような気がしたが、俺は東堂を知らない、気のせいだろう。
「影の化物、これはおそらく『死影』だろうね、都城で遥か昔に存在していた妖怪のような存在だ」
「シカゲ……」
あの姿、凶暴性にピッタリな言葉だ。
身を乗り出し、東堂に催促する。
「死影はとある妖怪が使役していたとされる存在でね、その昔随分と人を殺めたそうだ。人型が殆どだったこと、行方不明になった村人と同じ背格好の死影が頻繁に目撃されていたことから、元は人間だったという説もある」
その説は当たりだろう、実際、桜木が変容する姿をこの目で見て、殺されかけた。
桜木に対して恨みや恐怖は一切ないつもりだが、死影状態の桜木を見て、恐怖の感情が芽生えない自信は無い。
「……」
「……」
なんだ、早く続きを言ってくれ。
「以上だよ」
「……」
頭が自然と下がっていき、明かな落胆の態度を示してしまう。
いや、東堂は期待する答えは言えないと言っていた、期待してはいけなかった。
「そう露骨に落胆しないでくれよ、死影の討伐について残っている文献は少ないんだ……もしくは」
その一言は、俺の落胆を助長させた。
「倒す手段が存在しないか」
存在しない、か。
ならどうすれば良いんだ、どうすれば島津を成仏させられる、どうすれば桜木の呪いを解いてやれる。
……そうだ東堂なら、もしかしたらこの根本を解決できるかもしれない。
「……なぁ、東堂。桜木のことなんだが」
桜木の七呪という呪いに罹っている事を東堂に言えば。
「桜木がオカルト研究部を作った理由は――」
「待てよ」
普段と違う威圧のある東堂の制止に、思わず息を呑む。
「それを僕には言ってはいけない、内容は定かではないが、僕に教えてはいけない」
「どうしてだよ」
言った瞬間、東堂の目が僅かに開いた。
俺を睨んでいるような、鋭さのある視線。
「大人ぶっていても、やっぱり若いね、黒木クンは」
「からかうな」
馬鹿にするな、と言えばよかったか。
まぁどうでもいい。
東堂は少し気怠さの混じった溜め息を吐き、
「実は少し前、オカルト研究部を作った理由を聞いたことがあってね、教えてはくれなかったが」
だろうな、俺に教えてくれた時も、一悶着があった。
また沈黙が流れる、どうやら東堂は俺からの返答を待っている様だ。
首を少し傾げると、東堂は片眉を上げ、
「わからないか、まぁ良い、黒木クンの察しの良さは僕も認める所ではあるけど、今回ばかりは違うようだね」
勝手に失望されてしまった。
「僕なりにしつこく尋ねてみたのだけれど、頑なに理由は教えてくれなかったんだ。でも黒木クンには教えた、予測であり事実だと思うけど、彼女がオカ研を作った理由は、本当に信頼している人間にしか教えたくないんだろうね」
東堂の言いたいことが、俺にもわかってきた。
拳をきつく握る。
「君にだけしか話していない可能性も十二分にある、それを他人に言うのは桜木サンに失礼なのではないだろうか」
「ッ……」
「それに、君自身もこの理由を知った、気付いた時点で、深い後悔をすることになる。遡行の守護を使う程度にはね」
普段より激しい自己嫌悪が俺を襲う。
俺の馬鹿やろう、桜木がどんな覚悟で俺に七呪を語ったと思っているんだ。
自分の為だけに作った部活動、悪い言い方をすれば、俺達を利用する為に作ったオカルト研究部。
失望されるかもしれない、そもそも信じて貰えないかもしれない、そんな中で教えてくれた事実。
「……悪い」
「はは、謝る必要は無いよ、普段の君なら気付いたハズの問題だしね。それほど今の君は焦っていると見える……というより、寝不足かな?」
多分、どっちも当たりだ。
桜木が七呪を部員に語らない以上は、やはり踏み込んだことを東堂、関屋さんに聞くのはやめておくべきか。
「ありがとう東堂、あの怪物の名前、死影がわかっただけでも収穫だ。自由の島津像はなんとか――あ」
そこまで言って、ある事に気が付いた。
――そもそも島津像が壊れたからと言って、島津の霊自体は存在しているんじゃないか?
「なぁ東堂、島津像についてなんだが……」
「憑依だよ」
「は?」
「憑依の守護さ、自身とつながりの深いモノに憑依できる。守護はそもそも、守護霊が使うモノなんだよ。君が使っている遡行の守護も、厳密には君の守護霊が使っているのさ」
やはり今回も守護絡みだったか。
相変わらず名探偵ばりの察しの良さである。
東堂のことだ、島津像についても大体は知っていたのだろう、面白いから、という理由で俺達に伝えていなかったのが目に浮かぶ。
「あの像が壊れても、霊自体は存在してるんだよな?」
言い切ったと同時にチャイムが鳴った、昼休み終了の合図である。
「ふむ、存在はしているだろうけど、霊は新たな憑依対象を見つける必要があるだろうね。非効率的な方法ではあるけど、憑依できそうな存在をしらみつぶしに探すしかない。僕らもその霊も」
死影の対策がわからない以上、島津の霊が憑依できるだろう物体を探すのが安全だ。
時間の問題は遡行の守護が解決してくれる、頭は痛くなるが、死ぬことはないだろう。
俺は腰を上げ、
「なるほど、助かった。しばらくは効率悪く活動することになるな」
「僕も死影について調べておくよ、わかったことがあれば早くに言う。この時間軸ではね」
さて、間隔的には三日のスパンでルーズ&リープを使うか。
あまり長すぎても桜木が死影になってしまう可能性があるし、短すぎても俺の体がもたない。
いやはや、無色半透明すら程遠い高校生活である。




