第三十六話 『失望』
「黒木明、やはり貴様、手加減を……!」
俺のマークに付いている斎賀が、怒りの混じった声で尋ねてくる。
「生憎だが、俺は試合で手加減できる程器用な人間じゃない」
「では何故! まさか試合中に進化を遂げたとでも? ッハ! 笑わせる、そんな空想じみた事象、存在するワケがない!」
実際俺も驚いている。
俺が単純と言うより、男が単純なのであろうな。
「だが良いぞ、その目だ黒木明! 今のその精悍なる目! それが俺と競える人間だと言う証!」
そんな怖い目をしているのか。
普段は死んでるんだがな。
さて。
「ッハ! これが最後、決死の時よ!」
俺が前に飛び出すと、予想通り斎賀も張り付いてくる。
アイツの言ったことが正しければ――。
「なっ!? バックステップだとぉ!?」
「悪いな斎賀」
重心を即座に移動させ、後ろに下がる。
意識していないと出来ないし、何より普通に全力で飛び出るよりも、スピードに劣る。
だがフェイントとしては最高、自分で言うのも何だが、上手い事斎賀のマークを外すことに成功した。
「明!」
瞬時に光貴がパスをしてくる。
あとで光貴を褒めねばなるまい、斎賀の欠点を見つけたのはアイツなのだから。
光貴は持ち前の記憶能力で、斎賀の癖を見つけたのだ。
走る時、常に重心が利き足に行くこと。
そうなれば、急に方向転換することは難しい、そこを狙った。
「させん!」
僅かに離れた所から、柔道部がカバーに入って来た。
今の俺なら退けられるとは思うが、生憎躱しきれん、まだスピードが乗っていない。
他の奴にパスをしようか考えていた所、
「俺だぁ!」
声に反射する様に、咆哮が聞こえた方向へパスを出す。
少し高かったが、そいつ持ち前の長身と運動神経でカバーしてくれた。
だが。
「……」
「ジャマだなぁおい!」
白毛がディフェンスに入る。
既に俺、バスケ部、委員長にもディフェンスが入っていて、光貴は自陣コート。
ドリブルで抜けるしかない、頑張れ、瀧。
瀧は一切のフェイクを入れず、斜め左へ驚異的な初速を出して走り抜けた。
だが。
「あぁ!?」
そこにボールは無かった。
いつの間にか、白毛が瀧のボールを奪っていたのである。
瀧の体が死角になり、どうやって奪ったのかはわからないが、早く――。
戻らないとな!
「行かせないよ!」
委員長がディフェンス。
ボールをバウンドさせながら、白毛がポツリと零した。
「……飽きた」
目を丸くする委員長。
そして、白毛はバウンドを止め。
下投げで、ゴールへボールを放った。
マジかよ。
入るわけが無いと思っていた、だが偶然か必然か、ゴールポストをなぞる様にボールが暴れ――
ポスッ。
入ってしまった。
ワーと歓声が上がる、どうやら相当注目されているコートの様だ。
「まだ時間は残ってる! 大丈夫、スリーじゃない!」
委員長が素早くバスケ部にパスを出した。
あぁ、まだ諦める訳には行かないよな。
「黒木ィ!」
山下が弧を描くようなパスを、俺より数メートル前へ投げて来た。
俺を信じて、俺があのボールを取ると信じてあの距離に出したんだろか。
なら――。
応えなきゃな!
「速っ!?」
誰かが言った、誰かは知らん。
そんな余裕在る訳無いだろ!
追い付け!
思いっきり走る、幸い障壁となる相手は居ない。
「しゃあ!」
間に合った!
あとはドリブルで――。
ピー
ブザー!?
まだ早いだろ!
だがまぁ認めるしかない、ならここで!
距離的にはスリーギリギリ、入れば逆転、俺の注目度は高校以来最高となるであろう。
だがどうした、それがどうした。
俺は――。
桜木の前で諦めたく無い、後悔したくないんだよ!
入ると信じていた、根拠は無い。
でもきっと、入ってくれると思っていたんだ。
ガンッ。
ポストに弾かれたボールが、俺の横を通り過ぎる。
歓声。
だが、それと同時に聞こえてきたのは。
――溜め息、失望の声だ。
俺のシュートが入らなかった事への、失望。
……ああ、やめろ。
「アレ入ってればなー」
……やめろ。
「あいつ黒木だろ? もっと上手かったと思うんだけど」
……止めろ。
「戦犯っつーの?」
ヤメロ!
止めてくれ、頼む、それ以上、失望しないでくれ、俺に後悔させないでくれ、頼む、ああ。
「――お疲れ様です、明さん」
「……」
桜木の声。
返事をする事は出来なかった。
ただ、立っていただけ。
「残念でしたね……あ、いえ、本当は私はA組なので、喜ばないと、いえ、でもやっぱり残念です」
「はは……どっちだよ」
静かに笑う桜木、手には俺の弁当を持ってきてくれていた。
「桜木、もし後悔を取り消せる力があったとしたら、使うか」
俺は、今ルーズ&リープを使おうとしている。
使えば、きっと入る、そしたらこの後悔は無くなるんだ。
「そうですね、やっぱり、使うと思います」
だよな、使うよな。
「でも、それでも私だったら――」
桜木が続けようとした言葉を聞かずに、
――ルーズ&リープ。
俺は後悔を取り消す為、時間を遡った。
――――
――
酷く頭痛がする、あと寒い。
オカシイな、体育館は有り得んくらい蒸し暑かったのだが。
眉間に皺を寄せつつ、目を開ける。
そして、俺が最初に目にした物は――。
「へ?」
大きな瞳と、美麗な白肌が特徴的な奴の顔だった。
しかも超至近距離である。
「……ッ、これは、どういう状況だろうか」
俺の問いに気付くと、桜木は大げさすぎる程に俺から顔を離す。
ん、桜木はあまりこういった事に羞恥の感情を持たないハズだが、はて。
「えっと、保健室ですね」
「理由は」
「明さんが、突然倒れてしまわれたので」
まさか、リープを使う前に?
いや、確かに時間を戻った感覚はあった。
ならリープ後に気絶した? どうして?
「とりあえず明さん、そのまま休まれていて大丈夫ですよ、クラスには連絡していますので」
クラス、そうだ、試合はどうなったんだ!?
俺が倒れたことで休止?
確かめねば。
「断る、まだ試合に出ないと、俺じゃないと勝てん」
「断れません、明さんをこの状態で運動させたくはありませんし、試合はもう」
桜木の口が止まる。
つまりは、そういうことなんだろう。
結局、遡行の守護を使っても使わなくても負けたという事か、いやはや。
「悪いな、折角応援して貰ったのに」
「いえ! そんなことありませんよ、いつもの明さんとは思えないくらい、カッコ良かったです!」
――ッ。
「べ、別にカッコよく無いだろ、最後倒れたしな、皆も俺に失望してる」
「そんなことありません!」
これまで聞いたことの無かった桜木の強い口調。
俺は黙らざるを得なかった。
桜木は、言ったあと俺に微笑みかけ。
「F組の皆さんも、明さんの事凄く褒めてましたよ、私のクラスの方だって」
そうは言うが、心の奥ではどうなんだろうか。
俺が倒れたから失望の感情が薄れたのであって――。
「もっと、自分に自信を持って良いと思います」
「……自信か」
「はい!」
確かに、自信があればここまで卑屈にはならなかったのだろう。
全く、どうしてこんな性格になったのやら。
「……腹が減ったな」
「ふふっ、言うと思っていました! 今日はいつもより気合を入れて作ってみましたよ!」
だが今更過去の人格形成に不満を言っても仕方ない、少しづつ、変えていこう。
コイツとなら、なんだかもっと自分に自信を持って、生きて行けるような気がする。




