第二十二話 『嫉妬、後悔、そして』
――六月二十八日――
予定通り、俺は桜木家に来ていた。
異変が起こるまでまだ時間はあるが、体は少し震えている。
「美味しく、なかったでしょうか」
桜木の目線が僅かに下がり、空になった俺のコップに冷茶を注いだ。
「わるい」
心遣いに感謝をする。
桜木が作ってくれた料理は、オムライスだった。
手作りのオムライスなんて何年ぶりだろうか、少なくとも中学では食ってない。
腕前はもちろん、俺が知る中で最高だ、美味い。
だが、あまりそれを表情には出せていないらしい。
「……美味いぞ。俺が顔に出にくい人間なだけだ」
もっといい雰囲気、桜木に起こる事柄を考えずに食べる事が出来たら、もっと美味しく感じたのであろうか。
もっと良い表情で――。
「明さん、覚えてますか? 私と初めて会った時の事」
初めて、か。
桜木にとっての初めては、職員室前の廊下。
俺が理由も無く、桜木に問いかけた時。
「ああ、悪かったな、突然おかしな事を言って」
注いで貰ったお茶に手をかけ、半分ほど飲む。
桜木は微笑し、
「ふふっ、確かに変でしたね。明さんを知ればなおさら」
まぁ、無色透明の理念に置いては考えられない行動だ。
実際俺もなぜあんな事を聞いたのかはよくわからない。
「私、考えたんです。明さんがなぜ、私に必死になれるのか聞いた理由を」
俺でも分からない理由、それを桜木は推理したらしい。
「聞かせてくれ、実の所俺でもよくわからんのだ」
「きっと、明さんも――」
俺の心は、どうやら思ったより単純に推理できるようだ。
「後悔したく、なかったんだと思います」
なるほどな、俺は心のどこかで、今桜木に話掛けないと後悔すると思っていた。
だから桜木に話しかけた、そういうことか。
「明さんの無色透明な高校生活を過ごす理由って、後悔したくないから、ですよね」
――。
思わぬ図星を突かれ、気を紛らわすために残った冷茶を飲み干す。
「続けても、いいでしょうか」
「……あぁ」
また桜木がコップに注ぐ。
そして桜木自身のコップにも冷茶を注いで、再び口を開いた。
「怒らないで下さいね、明さん」
「大丈夫だ、滅多なことじゃ怒らん、理念に反するからな」
「おそらく、明さんは、悔しかったんだと思います」
はて、何にだろうか。
「――後悔しない為に、諦めない私に」
「……笑う所か」
「違います!」
悔しい? 俺がか? どうして。
俺の無色透明は後悔しないという点に置いては優秀だ。
桜木の後悔しない為に全力を尽くす生き方を認めはすれど、それに嫉妬する等と――。
「怖いんですよね、後悔するのが」
「怖くないさ、面倒だから嫌いなだけだ」
――違う。
「精一杯頑張っても、何も得られなかった時の後悔が、怖いんですよね」
「……面倒な、だけだ」
違う、違う、俺は、後悔を恐れていない。
どうして恐れる必要がある、後悔したらリープすればいい、それで解決だ。
解決できない事、なんて、無い、リープさえ出来れば無いんだ。
タイムリープさえ出来れば、そんな、後悔なんて。
「私も怖いです、今まで何回も後悔してきましたし、一杯泣きました」
桜木が霞む。
どうしてだよ、何で、どうして涙が出るんだよ。
「でも私は今の自分に、後悔はしていません」
それ以上、桜木は何も言わなかった。
だが続きの言葉はある、それは。
――今の自分に、後悔していないのか。
俺は今の自分が嫌いだ。
もっと明るく振舞えたらいいと思うし、部活もしたい、彼女も欲しい。
だが俺の理念が邪魔をして、それらを阻む。
もっと素直に生きられれば良いのに、そう思わない日は無い。
この理念さえ無ければ、俺は――。
違う、俺は理念何て予防線を張って、逃げて、言い訳をして、後悔から目を背けて。
「……どうして今、そんな事を言う」
「だって、明さんが――」
俺は思ったよりも、
「後悔していましたから」
表情が顔に出る、人間なのやもしれん。
「そう、見えるか」
「見えます」
見えるのか、いやはや。
……いやはや。
今の俺の後悔、それは桜木の心へ踏み込まなかった事。
理念を言い訳にして、自分が傷つくのを恐れた結果、俺は桜木をヒント無しで救わなければならない。
だが、まだリープする必要は無い。
ポケットに入っている札に手を当てる、こいつなら、桜木を助けられるやもしれん。
「桜木、明日聞きたいことがある」
これが終わったら、桜木に直接聞こう、桜木の心に――。
「……ァ」
「――!!」
桜木の咽から突然の異音、椅子から離れて距離を取る。
来た、今回も!
「ニ、げ……」
桜木の服、肌が滲むように黒へと変色していき、やがて完全に漆黒へと変わる。
あの光景を思い出し、僅かに吐き気を催したがそれをグッと堪えた。
「わ、悪いな桜木、ここで逃げたら、後悔するからな」
足が震える、怖い。
もう声は聞こえない。
ノイズの様なうめき声が、影から発せられるのみ。
――バチィ!
上から電撃が走ったかの音が聞こえ、反射的に見上げる。
影だ、影の刃だ。
影の刃が謎の障壁に遮られていた。
間違いなく命を落としていたであろう一振り。
ポケットが熱い、おそらくこの札が、俺を守っているのか。
刃は次々と数を増やしていき、次第に衝突音は激しくなっていく。
どうする、どうすれば助けられる。
考えろ、思考しろ。
――思考、できない。ヒントが無い、この状況を打破できる要素が、一切存在しない。
「クソッ! 桜木、諦めるな! 俺が助けてやる!」
体が衝動的に桜木の元へ向かう。
その間も刃の雨は降り注ぎ、札が作った結界も存在を弱め始めていた。
「……タ、スケ……」
微かにだが、聞こえた。
「タスケ、て」
桜木の、助けを求める声が!
「わかった、助けてやる! 絶対! 必ず!」
桜木を強く抱きしめる。
同時に、結界がガラスのように割れた音がした。
「後悔したくねぇよな! 俺も、桜木も!」
蘭さんが言っていた意味が、やっと分かった。
俺は後悔から逃げていた、だから桜木を救う資格を得られなかった。
なら、踏み込め。
桜木の心に!
体に死を意識させる痛みが走る、だがもう関係ない!
次は、必ず!
――ルーズ&リープ。
――――
――
手に重量感を感じる。
ミクシーズの袋だ。
「では明さん、この辺りで――」
「悪い、少し時間を貰えないだろうか」
「え、えっと、時間も時間ですし」
「頼む、一生のお願いだ」
ずるいな俺は、もう何度も桜木に一生のお願いを使っている。
桜木は少し迷っていたが、俺と目が合うと笑い返し、
「では荷物を置いてきますので、少し待っていてください」
そう言って俺が持っていた分の袋を取り、奥の自宅へと早足で歩いて行った。
……今、初めて目を逸らさなかったな。
覚悟は出来ている。
あとは、後悔するか、しないか。
そうして、スグに桜木が戻って来た。
「どちらに行かれますか? 一応、お金は持ってきましたが」
なるべく、人が居ない所が良いな。
俺の家、はちょっと遠いか、というか女子を入れる程片付いていない。
であれば、
「神柱公園で、少し聞きたいことがある」
神柱神社にある公園、ここなら人も少ない。
「わかりました」と桜木は言ってくれる。
――。
公園の中にある、屋根付きの木椅子に座る。
桜木も、続いて座った。
俺の真横に。
パーソナルスペースブレイカーである。
「悪いな、時間取らせて」
「いえ、明さんのことでしょうから、何か大事な話だと思いましたので」
さて。
踏み込む、か。
「桜木、教えてくれ、あの紋様の秘密を」
「――っそ、それは」
桜木の目が右往左往し、明らかに狼狽する。
「ごめんなさい、明さん、私嫌われたく無いんです――」
「嫌わない、約束する」
俺が桜木を嫌いになることが今後あるのだろうか。
無い、かもしれん。
「無色透明、人と深く関わらないのが、明さんの目標では」
「ああ、だがそれは俺が後悔しない為に掲げている理念だ、桜木も、知っているだろう」
桜木は無言の肯定をした。
「今ここで桜木の心に踏み込まないと、俺は後悔することになる、そして、桜木も」
日が沈み始め、あたりが少しずつ赤に染まってゆく。
「俺は桜木を後悔させたくない、泣かせたくない、だから――」
踏み込め。
「俺がお前を守る。教えてくれ、桜木の身に何が起こっているのか」
目を見て、真っ直ぐ。
俺に心を開いてくれ、桜木。
桜木が目線を外す。
……駄目、だったか。
「後悔、しちゃいますよ」
「――」
「そんな事言われたら、話さないと後悔しちゃうじゃないですか」
赤く照らされた桜木の白肌に、一滴の涙が流れる。
流れ落ちたその涙が伝える感情を俺は上手く言い表す事は出来ない。
だが、そこに後悔の感情が無い事だけは、桜木の心を覗いて理解出来た。
「話します、私に罹っている呪い、オカルト研究部を作った理由を――」




