第二話 『後悔しない生き方』
「駄目だ駄目! いい加減諦めろ」
見た目は体育教師。威圧感を放っている所から、部活総顧問といった所だろうか。
教師は腕組をしながら、桜木へ強い口調でそう言い返した。
「お願いします! あと三日だけ、どうか!」
それでも桜木はたじろがない。
深く、これでもかと深く頭を下げ、三日の猶予を願っていた。
「これだけ長い期間募集しているのに、どうして一人も入部しないのか、わかるか」
桜木は頭を上げない。
教師が言いたがっている答えは、おそらく桜木自身よくわかっているだろう。
第三者の俺でさえ、十分に理解しているのだから。
「オカルト研究部が、部活として相応しくないからだ」
教師の言葉選びに嫌悪を感じたが、間違ってはいない。
つまる所オカ研に、入部したいと思う人間がいないのだ。
いないのであれば、オカ研はこの高校に必要とされていないという事。
諦めるべきなのだ、オカルト研究部を設立させることは。
誰も望んじゃいない、後悔するだけだ。
そしてその後悔は、桜木の目の前にまで来ている。
「それでも、私は諦めません」
……いやはや。
なぜ桜木はここまで必死になるのか。
価値観があまりにも俺とはかけ離れている。
人間は、後悔しないように生きるのが基本だ。
それを追求したのが俺の理念である無色透明。
後悔の根本をそもそも発生させなければ、後悔せずに生きる事ができる、俺はそう信じている。
だから桜木の必死さ、往生際の悪さが俺には理解出来なかった。
教師はしばらく眉間に皺を寄せ目を瞑り、大きく溜め息を吐いた。
「明日までに部員を増やせれば、もうしばらく待ってやる」
酌量の余地を与えられたようだ。
だが教師の半ば呆れた口ぶりからして、本当に入部希望者が現れるとは思っていないだろう。
それは宣告だった。オカ研は明日、設立の権利を剥奪されるという宣告。
「ありがとうございます」
頭を上げず、静かにそう言った桜木。
教師は少しの溜め息をし、そのまま職員室へと帰っていった。
さて、俺は職員室へ入る為、桜木の後ろ、もしくは前を通らないといけないわけだが。
気まずいな。
なるべく何も見ていないフリをして、桜木へと近づいていく。
存在感を極力消し、学生Aとして何とか穏便に通り過ぎようとしたのだが。
「……ぐすっ」
どうやら桜木は泣いているらしい。
なんだ、慰めろとでも言うのか。
俺に気付いているのか、いないのか、それすらも判断しにくい状況ではあるが……。
「どうしてそこまで必死になれる」
なぜ、こんな言葉を言ったのかは自分でもわからない。
人の心情、理由に足を踏み入れる事は、無色透明の理念に真っ向から反する行いだ。
桜木は未だに顔を上げない。
聞こえなかったのだろうか、まぁそれでもいい、早く職員室へ行こう。
「……後悔したく、ないからです」
――桜木の口から出たその言葉は、俺にとって最も身近で、且つ縁の遠い言葉だった。
「後悔したくないなら、最初から部活なんて作ろうとするな」
桜木にとって俺は初対面だったが、前々から彼女に抱いていた不満をぶつける。
それは傲慢な行為だと思ったが、、自分の感情を上手く制御し切れずに吐いてしまった。
「そうかも、しれません」
少し涙の混じる声に、僅かながら罪悪感を覚える。
あぁ、なぜ俺は自ら人と関わるような真似を。
ルーズ&リープを使おうか使わまいか悩んでいた所、桜木がまた口を開いた。
「……でも、私は思うんです」
桜木は顔を上げ、俺に振り返る。
目元は赤く腫れ、白く透き通った肌が台無しになっていた。
だがそんな事おかまいなしに、桜木は俺の目をしっかりと見てくる。
「――何もしないで後悔するより、最後まで諦めずに後悔した方が、幸せだと」
桜木のあどけなさの残る大きな瞳、だがその奥には意志があった。
――諦めない、後悔したくないという確かな意思が。
その目に見られるのが辛く、視線を大きく外す。
駄目だ、コイツと話すのは俺にとって不都合しかない。
「……勝手にしろ」
なんとも捨て台詞らしい言葉を吐いて、俺はそのまま職員室へ向かった。
何が諦めずに後悔した方が幸せだ、結局後悔してるじゃないか。
職員室に鍵を預け再び廊下に出ると、桜木は既にいなかった。
十中八九、勧誘に向かったのだろう。
いやはやとしか言いようが無い。
……帰るか。
――その日はよく眠れなかった。
後悔せずに何もしない、それが俺の生き方だ。
だが桜木は違う、後悔しない為に行動する、そういう生き方をしている。
どちらが人間として正しい生き方なのか。
俺には分からなかった。
なら、俺は――。
――――
――
今日も今日とて桜木の勧誘活動は身を成していない。
もう粗方の帰宅部には声を掛けたのであろう、桜木が自ら声を掛ける相手も殆どいなくなっていた。
だが、桜木の目は昨日と同じだ、まだ諦めてはいない。
そして刻一刻と時間は過ぎていき、おそらく一年全員の帰宅部が下校したあたりで、昨日の教師が桜木の近くまで歩いてきた。
「気は済んだか」
桜木はそれに答えない。
「もういいだろう、桜木は十分頑張った、だからもう――」
教師は俺の気持ちを代弁するかのように、言った。
「諦めろ」
代弁しているハズだった、俺の本心を教師は言ったハズだった。
なのにどうして――。
「入ります、オカルト研究部」
心が焦るのか。
きっと、俺は迷ってしまったんだ。
無色透明の理念が人間として正しい生き方なのか。
だから知らなければならない、確かめなければならない、証明しなければならない。
「あなたは、昨日の」
「勘違いするな、別に助けたワケじゃない」
ここで桜木の生き方を否定しきる事は、俺には出来ない。
であれば近くで桜木を観測し、無色透明が正しい生き方だと自分自身へ証明すれば良いのだ。
呆気に取られている教師に桜木は振り向き、
「ごめんなさい先生、私、まだ諦めません」
俺が入部すると言わなくても、きっとコイツは同じ言葉を言っただろう。
そして――。
「後悔したく、ありませんから」
後悔しない為に、諦めない生き方を貫いたであろう。
――。
それから軽い入部届けを済ませ、俺と桜木は一年の下駄箱にまで来ていた。
「ありがとうございます、明さん!」
「……あくまで仮入部だからな」
桜木の生き方を知るのに、さほど時間はかからないだろう。
無色透明が正しいと証明できれば、あとは部活を辞めるだけだ。
もともと、部活自体が理念に反するのだから。
「はいっ、これから宜しくお願いしますね!」
本当に分かっているのだろうか。
喜怒哀楽の喜を象徴したような笑顔を桜木は見せる。
とりえあず、目を逸らしておこう。
「まだ喜べる状況じゃないぞ桜木、一週間の内に、部員をあと二人集めないと即廃部だ」
一週間、それがオカ研に与えられた新たな猶予。
それまでに無色透明が正しいと言えるなら良いのだが、流石に短すぎる。
であれば俺も、部員勧誘に多少は協力すべきだろう。
「大丈夫ですよ! きっと!」
「大丈夫なのか」
「大丈夫です」
楽観的だな、おい。
少しは危機感を持つべきだと思うのだが。
「諦めなければ、きっと明さんのように入部してくれると信じてますから!」
「……どうだか」
兎も角、自分から無色透明に雲が陰る様な真似をしてしまった。
いや、桜木の容姿を考えると、雪と言った方が正しいか。
「では明さん、一緒に帰りましょう!」
「断る、俺の理念に反するからな」
「理念、ですか?」
いやはや、また言わなければならないのか。
「俺の理念は――」
さて、俺と桜木どちらが正しいのか、しっかりと見極めなければな。
「――無色透明、それが俺の理念、生き方だ」