さうめん
「初めての料理にそうめんを選ぶとは、チャレンジングだな」
僕が言うと、弩は不思議そうな顔をした。
そうめんを茹でることが果たして料理かどうかと、疑う向きがあるのは想像できる。
しかし、少し歯応えがあって、つるっと喉を通る、そんな絶妙の茹で加減でそうめんを仕上げるのは、意外に難しい。
シンプルでごまかしが効かないだけに、ある意味、究極の料理といえるかもしれないのだ。
そんな料理に立ち向かう少女、弩まゆみ。
十六歳。
高校生。
主夫部部員。
大弓グループの後継者にして、ドデカミンとホワイトロリータをこよなく愛す少女。
「ゆみゆみ、がんばって!」
花園が言った。
枝折も無言で握り拳を見せて、弩を応援している。
二人はそのまま台所の弩を見守るのかと思ったら、連れ立って庭に出て行ってしまった。花園が悪戯っぽい顔をしていたから、絶対に何か企んでいる。
弩は決意したように、髪をゴムで縛った。
手を洗って、花園のエプロンを借りて付ける。
僕は台所で弩の後ろにぴったりとついた。
「沸騰したたっぷりのお湯で、そうめんが重ならないように、鍋の中で踊らせて茹でる」
「はい!」
弩は僕に言われたとおり、沸騰した鍋の中にそうめんをパラパラと散らして投入した。
「茹で時間は一分から一分三十秒。めんの硬さは菜箸で感じろ!」
「はい!」
吹きこぼれないように火を調節しながら、弩は箸でめんの硬さを確認する。
「茹で上がっためんは、流水に晒してあら熱を取ったら、素早く、ぬめりを洗い流す」
「はい!」
弩がざるの中でそうめんを洗った。濁っていた水が徐々に透き通ってゆく。
「ぬめりが取れたら、氷でめんを締める」
「はい!」
氷水の中に勢いよく、そうめんを投入すると、きゅっと締まる音が聞こえて来そうだった。
「あとは、一口ずつの大きさに小分けして、並べる」
「はい、コーチ!」
なんか、運動部で特訓してるみたいだ。
「先輩、どうですか?」
弩に言われて、一本摘んで食べてみる。
「うん、いいだろう。硬さも、喉越しも申し分ない。弩には、我が家において、これからもそうめんを茹でることを許可する」
「ありがとうございます!」
弩は、弾けそうな笑顔で言った。
夏の間、お昼は何度もそうめんでしのぐことになるから、弩に活躍してもらうことになるだろう。
「ちょっと、そこの仲の良い新婚夫婦! こっちに来て」
花園が言った。
花園と枝折が、リビングから庭に続く窓から、顔を出している。
誰が新婚夫婦だ!
リビングの外のウッドデッキに出てみると、ベランダから庭に向けて、半分に割った竹が斜めに渡してあった。
その先に水が溜まった金だらいが据えてある。
ベランダの方が高い位置にあって、庭の金だらいの方が低くなっていた。
節を取った竹の中には、雨どいのように水が流れている。
「何これ! 花園ちゃん! 枝折ちゃん!」
弩が興奮した声で訊く。
「この時期、どこの家庭にも必ず一本はある孟宗竹で作った、流しそうめん装置だよ」
花園が言った。
いくらこの時期でも、太い孟宗竹が、どこの家庭にもあるわけはない。
父が流しそうめんで花園や枝折を喜ばせようと、毎年、近所の竹藪を持つご老人のところに孟宗竹をもらいに行っていたら、それがきっかけでお付き合いするようになって、向こうから切った竹を持ってきてくれるようになったのだ(春には筍も持ってきてくれる)。
だからこの夏の時期、我が家の裏手には、流しそうめんにぴったりな太い孟宗竹が何本か立てかけてある。
「これが、世に言う流しそうめんなんですね!」
弩が目を輝かせた。
「弩は、流しそうめん初めてか?」
「はい、初めてです!」
それなら、経験させてあげる価値がある。
弩がそうめんを茹でている間に用意していた花園と枝折、グッジョブだ。
薬味は生姜と万能ネギで。
つゆは普通の醤油、みりん、だしで作ったものと、ゴマだれのとの二パターンを用意した。
そうめんを流す役は僕が務める。
めんつゆの入ったガラスの容器を持った三人が、竹の川下で待ち構えるところに、そうめんのざるを持った僕が、菜箸でめんを流した。
「ほら、行くぞ」
第一投は、花園が取った。
花園はゴマだれをつけてつるつると啜る。
「じゃあ、次」
すると第二投目は枝折が取った。
枝折は、ネギ多めの普通のめんつゆで啜る。
三投目は花園が取った。
四投目は枝折が取る。
僕が何度流しても、弩の所まで、そうめんが流れなかった。
まったく、この姉妹は、こういう悪戯に関しては、息がぴったりと合っている。
言葉を交わさず、アイコンタクトだけで、悪戯を成し遂げてしまう。
「そろそろ、弩にも食べさせてあげなさい」
見かねて僕が言うと、「はーい」と二人は弩にそうめんを譲った。
「お、美味しいです」
やっとそうめんを箸で受け止めることが出来た弩が、目をうるうるさせて言う。
そんなに食べたかったのか。
まあ、自分で茹でただけに、さぞ美味しかろう。
「今度は私、流す役やりたいです!」
弩が言って、僕と代わった。
「いきますよ」
弩はそう言って怖々、めんを流す。
弩が流したそうめんを花園も枝折も僕も、みんなスルーして終点の金だらいまで直行させるのは、お約束だ。
弩が何か文句を言うのかと思ったら、感心したように頷いている。
「さすが、兄妹ですね。勉強になります。こうやって一回ボケるんですね」
変なところで感心するな。
逆にこっちが恥ずかしくなった。
(※金だらいまで流れたそうめんは、後で僕がおいしく頂きました)
そうして四人で流し役を交代しながら、僕達はそうめんがなくなるまで、腹一杯食べた。
食べ終わって片付をしていると、手伝って食器を運んでいた弩が、のぼせたような顔をしていて、足元がふらついている。
「弩、どうした?」
僕はそう言って、倒れそうな弩の肩を抱いた。
赤くなっているおでこを触ってみる。
熱い。顔が火照っていて、目が虚ろだ。
「知恵熱が出ちゃったんじゃないの? そうめん茹でるのに、全力だったし、初めての流しそうめんで興奮してたしね」
枝折が言う。
知恵熱って、子供か!
クーラーで冷えたリビングのソファーに弩を寝かせて、花園が団扇で扇いだ。
「すみません、ちょっと休めば直ります」
弩が小さな声で言う。
「よし、暑いし、お腹いっぱいになったし、このまま昼寝するか」
僕が言うと、
「賛成ー!」
と花園が手を上げた。
外は35℃を越えているし、この炎天下に、遊びに行く気力もないし。
リビングに布団を敷いて、みんなで川の字になって寝る。
三人がお腹を冷やすといけないから、僕はタオルケットを出してきて渡した。
弩には、氷枕も用意する。
「残念だろうけど、お兄ちゃんとゆみゆみを並んで寝かせるわけにはいかないから、花園と枝折ちゃんが真ん中に寝るね」
花園が言った。
いや、残念じゃないし(それに朝はヨハンナ先生と寝てたし)。
右から、僕、枝折、花園、弩の順番に並んで寝る。
知恵熱を出した弩のことからかっておきながら、僕のほうも変に力が入って、疲れていたみたいで、横になったら、すっと眠りに入ってしまった。
真昼の暑い時間にクーラーの効いた部屋で昼寝。
遠くで蝉の声。
これぞ、夏休みの醍醐味、という時間だ。
目が覚めると、リビングで寝ているのは僕だけだった。
枝折も花園も、弩も見当たらない。
僕のお腹に、誰かがタオルケットが掛けてくれてあった。
時刻は二時半過ぎになっている。
汗をかいたし、シャワーでも浴びようと脱衣所に行くと、先客がいたようで曇りガラスの中で誰かがシャワーを浴びているのが見えた。
花園か、枝折だろう。
そう思ってドアを開けた。
「きゃっ!」
風呂場の中でシャワーを浴びていたのは弩だった。
「あっ、悪い。花園か枝折だと思って」
「ああ、そうですか。先輩は、花園ちゃんか枝折ちゃんと間違えたんですね。なら、しょうがない………って、おい!」
教科書に載っていそうな、弩の完璧なノリつっこみだ。
「先輩! 普段、花園ちゃんか枝折ちゃんなら、開けてるんですか! たとえ花園ちゃんでも枝折ちゃんでも、開けたら駄目でしょ! 年頃の娘さんなんですから!」
弩が言う。
「すみません」
僕は素直に謝った。
「まったく、先輩はそういうところがありますよ。普段は気が利いて、家事関係には色々と細かいところにまで気を配れるのに、女心に対しては無頓着というか、解ってないというか。それで周りを振り回すんです。そういう点については、直したほうがいいと思います! これは主夫部部員として言います。立派な主夫になるには、女性の気持ちをもっと学ぶべきです」
いつになく、弩が強い調子で言う。
「ああ」
僕は答えた。
「本当に解ってますか?」
弩が睨みながら言う。
「うん、解ってる」
「なんか、解ってるようには見えないんですけど……」
「本当にごめん。もうしません」
「なら、いいですけど」
「それはそうと弩」
「なんですか?」
「さっきから僕に長々とアドバイスをしてくれるのは感謝してるんだけど、弩が一糸まとわぬ姿で僕の前に立っているのはいいのか?」
僕が訊いた。
「へっ?」
弩は視線を落として、自分の体を見る。
「うっ、うわああああああああ」
弩はそう言って、バタンとドアを閉めた。
「もう! 先輩! もっと早く言ってください!」
ドアの向こうから、声が聞こえる。
昼寝のあとの、まったりとした感じが吹き飛んでしまった。
このあと、全てを見られたからにはもう、先輩とは結婚しないといけなくなった、などと前時代的なことを言う弩を、説得して落ち着かせるのに、小一時間かかる。
夕方になって、ヨハンナ先生がフィアットで帰ってきた。
「ただいま! ほらみんな、おみやげだよー」
先生は近くの洋菓子店の、カップ入りジェラートを買ってきてくれた。
「わーい」と言って、子供達三人が群がる。
私メロン! 私はミックスベリー! 私はキウイ! などと、夕飯前なのに、もう、蓋を開けて食べ始めている。
一日、研修を受けてきた先生は、髪も少し乱れているし、スーツも皺になっていた。化粧も落ちかけている。
これが、一日一生懸命働いてきた女性の姿なのだろう。
「どうしたの? 篠岡君?」
僕がぼーっとした顔でヨハンナ先生を見ていたら、先生が訊いてきた。
「いえ、こんなふうに仕事帰りにおみやげを買って帰ってきてくれる人を迎える。僕が主夫になったら、こんな嬉しい場面が毎日あるのかなって、思って」
恥ずかしいけど、心の中で思っていたことを、そのまま口にしてしまった。
思わずそんなことを言ってしまうくらい、僕はこの何気ない光景に感動したのだ。
「じゃあ、このまま、先生のお婿さんになってよ」
ヨハンナ先生が言った。
「先生、からかわないでください」
まったく、冗談がすぎる。
いたいけな高校生をからかって何が面白いのか。
「わりと本気で言ったりしてるんだけどな」
ヨハンナ先生が言った。




