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残りでリゾット

「まったく、『ノリ』の部分が長すぎるよ。お兄ちゃんが中々突っ込まないから、このまま一生、こうして五人で暮らすのかと思ったよ」

 枝折が言った。

 さすがにそこまではない。

 ただ、ヨハンナ先生と弩が、しれっと家にいるから、ちょっと乗ってみただけだ。


 でも、枝折が言うようにこのまま一生こうして五人で暮らすなら、それはそれで、悪くない気もするけど。


「いやだから、何でヨハンナ先生と弩が、我が家にいるんですか?」

 僕はもう一度訊いた。


 テーブルの上で、鍋の中の夏野菜と牛肉が、ぐつぐつ煮えている。

 シシトウがくるくると回っているから、僕は火を細くした。


「何で二人がいるかって、それはこの夏休みのあいだ、霧島先生と弩さんにこの家で過ごしてもらうからだよ」

 無表情で枝折が言う。

「ふあっ?」

 枝折が変な事を言うから、変な声が出てしまった。


「篠岡君、夏休みの間、お願いね」

「先輩、よろしくお願いします」

 ヨハンナ先生と弩が、箸を置いて頭を下げる。


「言っておくけど、お兄ちゃんにそれを拒否する権利はないから」

 枝折が言った。

 酷い、犯罪者にだって黙秘する権利くらいあるのに。


「覚えてるよね? 文化祭のとき、枝折が古品さんのふりをしてホームルームに出席する代わりに、お兄ちゃんがなんでも言うことを聞くって約束したの」


 そうだった。


 だけど、あのときはどうにか古品さんの身代わりを立てようとしていて、何でも聞くって、勢いで言ってしまったのだ。

「私はその権利を今ここで、行使します」

 枝折は腕組みして言った。


「でも、なんでも言うことを聞くっていうビッグチャンスなのに、なんでヨハンナ先生と弩を我が家に呼ぶってことに使っちゃうんだ?」

 僕は訊いた。

 たとえば、たくさん洋服買ってとか、お小遣い上げてとか、色々ともっと有意義な使い方があるはずなのに。


「だって、みんなで過ごす夏休みのほうが楽しいじゃない。花園ちゃんだって、このまま思い出を作る場面のない夏休みなんて、可哀想だよ」

 枝折が言った。


 枝折ちゃん……


「母さんと父さんは知ってるのか?」

「お母さんとお父さんには、もう、許可を取ってあります。霧島先生が一緒に暮らしてくださるなんて安心だって、すごく喜んでたよ」

 枝折が言う。

 それは母や父がヨハンナ先生の本当の姿を知らないからだ。

 見た目は北欧美人の切れ者教師でも、中身は中年男性で、子供が一人増えたようなものなのに。


「それじゃあ、やめるの? 二人に寄宿舎に帰ってもらう? この二人を追い出して、夏休みのあいだ、寂しい寄宿舎に帰すの?」

 枝折が言う。

 隣で弩が、ペットショップのティーカッププードルみたいな目で、僕を見てくる。

 ヨハンナ先生が、スリップの裾ををまくって太股を見せようとした(色仕掛けか!)。


 これで断ったら、僕が鬼畜みたいじゃないか。


「分かった。二人は夏休みの間、我が家で過ごす」

 僕が言った。


「やったー。ゆみゆみが夏休みの間、ずっと家にいてくれる!」

 花園が椅子から立ち上がって、弩に抱きついた。

「可愛い妹が出来たみたいで嬉しいー!」

 花園は自分のほっぺを弩のほっぺですりすりする。

 ってゆうか花園、姉じゃないのか。

 仮にも、弩は高校一年生で、二歳上なんだぞ。


 すると、抱きつかれた弩が、突然、涙ぐんだ。

「どうした弩?」

 驚いて僕が訊く。

「だって、花園ちゃんが私のこと『ゆみゆみ』って呼んでくれたから……」

 弩は涙を流して、鼻水も垂らしていた。

「そんなに嬉しかったのか。そういえば、すっかり忘れてた。『ゆみゆみ』って呼ばないでごめんな、弩。ホントごめん、弩」

「弩さん、ご免なさいね『ゆみゆみ』って呼ばないで」

 僕とヨハンナ先生が言うと、弩は、また泣き出す。


 何か、泣かせるようなことを言っただろうか。


「で、部屋はどうするんだ?」

 僕は訊く。

 ここは寄宿舎のように、部屋が余っている状態ではない。

 母と父がローンを払い続けている、住宅街の普通の一軒家だ。


「先生には客間を使ってもらいます」

 枝折が言った。

 一階の、リビングと襖で仕切られた客間には、すでに先生の荷物が運び込んである。

 スーツケースが広げてあって、中に詰まっていたTシャツや下着が飛び出していた。鴨居に掛けたハンガーに、先生の服が何着も吊してある。缶ビールや缶酎ハイの箱も積み上げてあった。座卓の上には、仕事の書類らしきものが散らばっている。

 朝は綺麗だった客間が、既に散らかっているのは、さすが、ヨハンナ先生と言うしかない。


「それから、ゆみゆみさんはお兄ちゃんの部屋に」

 枝折が言う。

「先輩、おじゃましますね」

 弩が頭を下げた。

 ちょって待て、それはいくらなんでも……


「いや、枝折ちゃん、弩と僕が一緒の部屋っていうのは、ちょっと。確かにベッドはセミダブルで、二人で寝られるわけだけど、一緒に寝たらなんか間違いが起こるかもしれないし。お互いに着替えのときとか、困るっていうか……」

 僕は、健全な男子高校生だし。

「お兄ちゃん。何を勘違いしてるの? ゆみゆみさんは一人でお兄ちゃんの部屋を使うに決まってるじゃない」

 枝折に睨み付けられた。


 決まってるのか。


「へっ? じゃ、じゃあ、お兄ちゃんは、どこの部屋で寝ればいいのかな?」

 僕が訊く。

「お兄ちゃんはリビングで。リビングに布団を敷いてもいいし、ソファーで寝てもいいし」


「いや、リビングって」

 僕のプライバシーがないがしろにされている気がする。

「嫌なら廊下でもいいけど?」

「リビングでいいです」

 結局、こうなるのか。


「先輩、パソコンの『世界の昆虫』フォルダは見ないので安心してくださいね」

 弩が言う。

「お、おう」

「なになに? 『世界の昆虫」フォルダって?」

 ヨハンナ先生が訊いた。

「ヨハンナ先生、なんでもないです! ビール三本目、いかがですか?」

 僕は冷蔵庫を開ける。

「んっ、気が利くね」

 何とか先生を誤魔化した。

 もう『世界の昆虫』フォルダのことには、触れないでほしい。


「それじゃあ、そういうことで。お食事続けましょう」

 枝折が言った。

 納得がいかない僕を置き去りにして、食欲旺盛な肉食女子達が、きゃっきゃ言いながら、あっという間に、すき焼きの残りを食べ尽くす。たっぷりと旨味が出たすき焼きの残り汁にパルメザンチーズを入れて、僕がリゾットを作ると、みんなそれも平らげた。


 料理をした僕としては、こんなふうに綺麗に食べてもらって、嬉しいんだけど。


「それじゃあ、台所片付けるから、その間に順番にお風呂入っちゃって」

 鍋の火を落として、僕は言った。


「あっ、私、ゆみゆみと一緒に入る。ゆみゆみの綺麗な髪、洗ってあげたいし」

 花園が言う。

 花園は弩の頭をなでなでしながら、二人で風呂場へ行った。

 なんか、妹というか、ペット感覚な気がする。


「あー、ちょっとビール飲み過ぎた」

 ヨハンナ先生そう言って小走りでトイレに行った。

 さっき、先生のこと中年男性ってたとえたけど、訂正する。

 中年男性に失礼だ。

 中年男性はこんなに本能に素直に生きてないと思う。


 しばらくしてトイレの方から、

「ちょっとー、紙ないよ」

 と、先生の声がした。


「はい、すぐ持っていきます!」

 僕はトイレットペーパーを持って、トイレに急ぐ。


 どうやらこれから、すごく忙しい夏休みになりそうだ。


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