伝説のライブ
「あの熊の縫いぐるみは、僕が統子にプレゼントしたものなんだ」
眠れずにいる僕達に、布団で横になったまま、母木先輩が語り出した。
「小学校に上がるか上がらないかの頃だと思う。その頃の統子は雷が鳴るたびに僕にすがっていたんだれけど、夜だったり、僕が一緒にいてあげられないときに雷が鳴ったら可哀想だから、僕がいないときはこれを抱いてろって、あの縫いぐるみを渡したんだ。あれを買うために、僕はお年玉を使い果たした想い出がある」
先輩が少し照れながら言った。
そうか、あの熊の縫いぐるみは鬼胡桃会長にとって、母木先輩の代わりだったのか。
「統子はあれ以来、ずっとあの縫いぐるみを持っていたんだな」
先輩が言う。
ランプの明かりが消されて暗い中、稲光で時折、先輩の整った横顔のシルエットが浮かび上がった。
なんだか、二人の関係が羨ましい。
僕もそんな幼なじみが欲しかった。
「幼なじみで、仲が良かった先輩と鬼胡桃会長が、今はどうして、喧嘩するみたいになってるんですか?」
僕が訊く。
それはずっと疑問だった。
今のこんな状況なら、どさくさに紛れてそれが訊けるような気がして、訊いてみた。
「そのことか……」
母木先輩はそう言って、自嘲の笑いを漏らした。
そうして先輩は、しばらく一人で笑う。
先輩がそんなふうに感情をストレートに表すことは滅多にないから、僕は少しびっくりした。錦織や御厨も驚いてるみたいだ。
「いや、くだらないことなんだ。元々僕と統子は家も隣同士で、幼なじみで、生まれた年も同じだったから、当然、仲良かったし、家族ぐるみの付き合いをしていた」
幼女の頃の鬼胡桃会長はどんな子だったんだろう。すごく興味がある。
「統子の父親が市議会議長をしてるのは知ってるだろ?」
「はい」
以前、ここに鬼胡桃会長を引き取ると言って、乗り込んできた人だ。
「統子は小さい頃から政治家の父親を見ていて、自分の将来の夢は総理大臣って、堂々と言ってたんだ」
すごく、鬼胡桃会長らしい。
「そして僕に対しても、私が総理をやるからあなたは副総理、って子供っぽく言ってきた。でも僕は政治家になるつもりなんてないし、統子が総理大臣になるなら、僕はそのお婿さんになって、統子を支えるって言ったんだ。言っておくけど、これは子供のときの話だからな」
先輩は照れながら断りを入れる。
「そしたら、統子は、そんな夢でどうする、もっと大きな夢を持て、って怒り出して……喧嘩になって……」
「子供の頃の僕にとっては、統子のお婿さんになるのが、十分、大きな夢だったんだけどな」
先輩は、しみじみと言う。
「きっかけはそんな小さな口喧嘩だった。でもそれでぎくしゃくして会わなくなったりしたんだ」
先輩はそう言って溜息を吐いた。
「そんなことで疎遠になるうちに、僕達も思春期になって、お互いを意識するようになってた。それで逆に張り合うようになってしまったんだ。僕も統子も、両方とも意地っ張りだしな。特に、統子のほうは、分かるだろう?」
それは確かに、僕達は痛いほど分かっている。
「本当にそんなくだらないことさ。なにか大事件があったとか、家同士の確執があったとか、そんなことはないんだ。ただ何となく、その口喧嘩がきっかけで、距離が出来てしまった。それを修復しないまま、ここまで来た」
「そうだったんですね」
「ああ、だからある日突然、仲直り出来る気もするし、こんなふうにずっと、いがみ合っていそうな気もする」
先輩は悲しげにそう言った。
いや、それは駄目だ。
母木先輩と鬼胡桃会長は、誰が見ても、お似合いのカップルなのに。
「くだらない話だから子守歌代わりになって、眠くなっただろう?」
先輩はそう言って目を瞑った。
いや、見えないけど、瞑ったんだと思う。
子守歌代わりというか、すごく赤裸々な話を聞かせてもらって、すっきりした。
母木先輩と鬼胡桃会長の謎が一つ、解けた。
でも、今回、熊の縫いぐるみが刺された。
母木先輩の代わりの熊が、刺されて死んだ。
それがこの先、二人の関係にどう影響するのだろう。
僕はそんなことを考える。
それは、考えすぎだろうか。
母木先輩の告白が終わって、食堂は再び無言の空間になった。
でも、気配からまだみんなが寝ていないのが分かる。
僕だって、目が冴えて眠れなかった。
仕方なく、僕はスマートフォンを手に取った。
光がみんなの寝入りを邪魔するといけないから、布団を被って電源を入れる。
時刻は午前一時を回っていた。
花園と枝折からメールが来ている。
メールは、雨の影響も停電の影響もない、こっちは大丈夫、という内容だった。
少し考えて僕は、昨日の夜から起こっていることを、枝折にメールした。
鬼胡桃会長の縫いぐるみが刺されていたこと。
古品さんの衣装が切り刻まれたこと。
台所からフルーツケーキが一本消えたこと。
そして、室内用の物干し台が折れていたこと。
もしかしたら、枝折が簡単に謎を解いて、答を教えてくれるかもしれない、そんな甘い考えもあった。
枝折からのメールは、すぐに返って来る。
受験勉強でまだ、起きていたのだろうか。
それとも、僕からのメールを待って起きていたのか。
(お兄ちゃん、それだけじゃ情報不足。昨日からの事を、細部まで思い出して送って)
枝折からのメールは愛想がない簡単な文面だった。
でも、枝折は安楽椅子探偵をやってくれるらしい。
僕にとっては大きな謎でも、枝折にとっては、勉強の合間の気分転換くらいのことかもしれないけど。
僕は、昨日からのことを詳しく文章にして、メールで送る。
参考になるかどうかは別として、夕食中の僕達の会話まで、子細に書いた。
メールを送り終えたところでスマートフォンのバッテリーは30%を割っている。
停電の中、節約しないといけないから、僕はすぐに電源を切った。
すると、それを待っていたかのように、食堂のドアがバタンと開けられた。
雷鳴を掻き消す大音量の四つ打ちの音楽が流れると同時に、LEDランタンを持った誰かが部屋に入ってきた。
ランタンに照らされた顔は、古品さんだ。
いや、正確に言うと古品さんではない。
メイクもばっちり決めてるし、目付きが凛々しいし、これは紛れもなく、「ふっきー」だ。
「ぱあてぃめいく」の「ふっきー」がここにいる。
ふっきーは、バッテリー駆動のポータブルPAシステムを引っ張ってきた。
音楽を流しながら、マイクスタンドを素早くセッティングして、オケ用のiPhoneをミキサーに繋ぐ。地下アイドルだけに、この辺は手慣れたものだ。
「さあ、みんな! 起きてるよね、どうせ眠れないんでしょ?」
ふっきーがお腹から出した営業用の声で、語りかけてきた。
ニコニコの笑顔で、こっちの顔も自然にほころんでくる。
これがアイドルだ。
衣装が切り刻まれたから、Tシャツにショートパンツという格好だけど、それでも、アイドルのオーラみたいなものは薄れていない。
「ここで暗くなってたら、犯人の思う壺だよ。さあ、みんな、立って、立って!」
ふっきーが言って、僕達は催眠術にかかったみたいに、自然に立ち上がった。
布団を食堂の端に寄せて片付ける。
食堂の半分がステージになった。
「さあ、みんな、朝まで行くよ!」
ふっきーがそう言うと、「ぱあてぃめいく」の代表曲、「ポリフォニック」がかかる。
ふっきーは、一人で三人分をカバーして、全力で歌い始めた。
ふっきーだけのライブが、僕達と一メートルない距離で繰り広げられる。
錦織が興奮して、天井に届かんばかりに手を上げていた。
目障りだった稲光が、ここではストロボライトみたいに、ライブに効果を加える。
さっき、歌で戦うと言っていた古品さんは、本当に歌で戦うつもりらしい。
ふっきーが続けて三曲歌ったところで、食堂の外で見張りをしていた女子達も、縦走先輩を残して、食堂の中に入って来た。
な~なとほしみかの代わりに、鬼胡桃会長と弩が加わって、特別編成な「ぱあてぃめいく」が出来上がる。
二人は、照れながら、ふっきーの後ろに並んだ。
特に、会長は暗がりでも分かるほど、顔を赤くしている。
四曲目の「エスカレーター」のイントロが流れて、三人でフォーメーションを組んだダンスが始まった。
会長が「ぱあてぃめいく」の曲を完コピ出来るのは文化祭のときに知ってたけど、弩もダンスをしているし、歌もちゃんと歌っている(後で聞いた話だと、他の二人がいないとき、フォーメーションの確認に駆り出されているうちに覚えたらしい)。
な~なやほしみかみたいにキレたダンスではないけれど、鬼胡桃会長も弩も、古品さんにちゃんと付いていった。
でも、ダンスの完成度とか、そんなのは関係なかった。
こうしてみんなで踊っていて、楽しい。
嵐の中で、真夜中で、スピーカーから大音量を流していても、誰も文句を言わない。
大人がうるさいことを言わない。
教師も関係ない。
ヨハンナ先生なんて、僕達に負けじと、踊りまくってるし。
この寄宿舎の中に、事件を起こした犯人が隠れていたら、この騒ぎを聞いて逃げ出しただろう。
この熱狂に感化されたのか、萌花ちゃんはふっきーの写真を撮りまくった。
暗闇でぶれないように、脇を締めてレンズを抑えて、ふっきーに肉薄する。
後に、「ぱあてぃめいく」がトップスターになったら、この嵐の中のライブは伝説になるかもしれない。
萌花ちゃんの写真は、歴史に残るかもしれない。
三人だった仮「ぱあてぃめいく」に、最後にはヨハンナ先生も加わって、四人で踊り続けた。
先生のダンスはめちゃくちゃだったけど、目障りじゃなかった。
「私も、教師辞めてデビューしちゃおうかな」
MCでヨハンナ先生が言う。
いや、それは無理です。
僕達が変則的な「ぱあてぃめいく」のライブで盛り上がっているうちに、辺りが明るくなってきた。
壁の時計を見ると、あと五分ちょっとで、四時になるところだった。
あっという間に、時間が過ぎている。
時間が過ぎるのを忘れていた。
「ぱあてぃめいく」の曲のレパートリーを使い切って、オケが止まる。
食堂が無音になった。
外を見ると、一晩中降り続いた雨も、小降りになっていた。
スピーカーから大音量で曲が流れていたから気付かなかったけど、雷ももう、鳴っていない。
どうにか、朝を迎えることが出来たようだ。
不安な夜を越えた。
古品さんもみんなも、踊り疲れて、歌い疲れて、床に座る。
「冷たい飲み物でも持ってきましょうか?」
御厨が言った。
我に返ってみると、喉がカラカラだった。
閉めきった部屋で、相当汗もかいている。
「そうだな、僕も手伝うよ」
僕がそう言って、二人で廊下に出たときだ。
ドンドンドン。
ドンドンドン。
玄関ホールの方から、ドアを叩く音がする。
僕と御厨、そして、廊下で番をしていた縦走先輩が驚いて、顔を見合わせる。
その間もドアを叩く音は何回も、執拗に続いた。
僕達は玄関ホールに向かう。
縦走先輩が持っていたバーベルのシャフトを握り直した。
そして先輩は僕に、5㎏の鉄アレイを渡す(これで一体、僕にどうしろと…)。
まだ明け切らない朝に、一体、誰がここを訪れて来たのか。
そして、なんのために。




