覚醒
少し待っても、停電は解消しなかった。
どうやらこのまま、この暗闇の中で、しばらく過ごさないといけないらしい。
稲光で時折青白い光が差し込む寄宿舎が、途端に不気味に見えてくる。
昼間は、建物が古いことが、気品や趣に繋がっていたのに、暴風雨の中ではそれがおどろおどろしく感じてくる。
ゾンビとか吸血鬼とか、殺人者が出てくるには、お誂え向きの雰囲気だ。
僕達はヨハンナ先生の指示で、事務室や倉庫にあったランタンやランプ、ロウソクを食堂に集めた。弩と鬼胡桃会長が個人的に持ち込んでいたLEDランタンもあって、それらも部屋から持ってくる。
食堂にはオイルランプを二つと、ロウソクを三つ、テーブルの上に置いた。
ホヤの部分が球根みたいな形をしたレトロなランプは雰囲気があって、この洋館に似合っている。
もしかしてこのランプは、まだこの寄宿舎が電化される前に使われていたものだろうか。古いランプも、母木先輩が整備してくれていたおかげで、灯油を入れて芯に火を点けると、間もなく光を放った。
オレンジ色の暖かみがある光が、僕達を安心させる。
食堂の外、廊下には、LEDランタンを等間隔に置いた。
食堂から台所、トイレや風呂場までの導線の明かりを、それで確保する。
館内にランプやランタンを設置し終えて、やっと暗闇から逃れられた。
食堂には懐中電灯やヘルメット、救急箱やラジオなどの、防災グッズも集められている。
「食料の備蓄については問題ありません。節約すれば、この人数でも四、五日はもちます」
御厨が言った。頼もしい限りだ。
でも、さすがにここに四、五日も閉じ込められることはないだろう。
「もし、食料とか飲み物とかなくなったら、私の部屋にホワイトロリータとドデカミンの買い置きがたくさんあります!」
弩が言う。
お、おう。
「あれ、停電しても、スマホのアンテナは立ってるんですね」
スマートフォンの画面を見ながら、錦織が言った。
言われて確認すると、僕のスマホも確かに、アンテナが二本立っている。
「基地局にはバッテリーがあるから、停電してもバッテリーに電気があるうちは繋がるらしい。でも、たくさんの人が一斉に電話したり、制限がかかったりして、通話は繋がりにくくなるらしいな。こういう場合はSNSなんかが役に立つと聞いたが」
母木先輩が言った。
一応、花園と枝折に、こっちは停電したけど、そっちはどうだ? とメールを打っておく。停電したけど、こっちは心配ないと。
「でも、停電してるから、電池を節約するためにも、スマホはあんまり使わないほうがいいぞ。いざという場面で使えないと困る」
母木先輩に言われて、僕は電源を切った。
みんなも、自分のスマホの電源を切る。
「それじゃあ、女子と男子に分かれて、今日はまとめてお風呂に入っちゃいなさい。何かあるといけないから、のんびりしてないで早く出てくるのよ」
ヨハンナ先生が言った。
災害に際して覚醒しているヨハンナ先生の指示は、的確だ。
先生はバスローブから、Tシャツにジーンズという格好に着替えている。
動きやすい服装、ということだろうか。
いつものスリップ一枚ではない。
女子が入る前に、脱衣所と風呂場の中にランタンとロウソクを重点的に置いて、中を明るくする。
停電前に風呂は沸かしてあったから良かったけど、給湯器が動かないから、シャワーから出てくるのは水だけで、ちょっと不便だ。
脱衣所に女子全員の着替えと、バスタオルを用意する。
風呂の準備が出来て、僕達男子は、女子と入れ替わりで脱衣所を出た。
「先輩、お風呂、覗かないでくださいよ」
弩が僕に向けて言う。
「覗くかよ!」
「でも先輩は、隙あらば麻績村さんに、一年生の女子にシャワーで水かけたりするし」
弩はまだ、あのことを突っ込んでくるのか。
「麻績村さんてなんだ?」
母木先輩に訊かれる。
「いや、なんでもありません。さあ、弩、早く入れ、閉めるぞ」
僕は誤魔化しながら脱衣所のドアを閉めた。
だけど、こんなとき、鬼胡桃会長が静かだ。
普段の会長なら、「風呂場を覗いたら、三代先の子孫まで後悔するような、耐え難い苦痛を与えるわよ!」とか、凄んでくると思ったのに、静かに脱衣所に入って行った。
会長はまだ雷に怯えているのだろうか。
それほど雷が嫌いなのか。
脱衣所を出た僕達四人は、その前の廊下に並んで、待機している。
いや、別にここに待機してなくてもいいんだけど、なにかあるといけないし。
女子が出たら、すぐに入れるようにしておかないといけないし。
「わあ、みなさん大きいなぁ」
脱衣所の中から、萌花ちゃんの声が聞こえてきた。
「萌花ちゃんだって、大きいじゃん」
縦走先輩の声も聞こえる。
なんて、幸せな会話なんだろう。
この会話のやり取りだけで、五時間くらい妄想出来そうだ。
「あっ、萌花ちゃん、こんなところ写真撮っちゃ駄目だってば!」
古品さんのちょっと慌てた声が聞こえた。
「きゃ、ちょっと、やだ萌花ちゃん! ほら、縦走先輩も、レンズに向けてポーズ取らないでください!」
弩のうわずった声がする。
それを聞いた瞬間、僕達主夫部男子、全員が息を呑んだ。
ちょっと整理しよう。
ということは今、萌花ちゃんがいつも首から提げているカメラのSDHCカードには、世界中の男子が求めて止まない、お宝画像が収納されているんだな。
あとで萌花ちゃんのカメラをこっそり……
いや、やめておこう。
たとえ成功したとしても、後が怖い。
女子達はそうして、脱衣所できゃっきゃうふふしたあと、ようやく風呂場に入ったようだ。
風呂場に入っても、タイルの壁に反響した声が、廊下まで聞こえてくる。
「ほら、萌花ちゃん、触っちゃだめだって」
古品さんの声だ。
「私のなら、触ってもいいぞ」
縦走先輩の声だ。
「あれ、鬼胡桃会長、なんで隠してるんですか?」
萌花ちゃんの声だ。
「だってそれは、あっ、タオルとっちゃだめ」
鬼胡桃会長の声だ。
「会長、すごい」
鬼胡桃会長以外の全員が、声を揃えて言った。
僕達は、試されているのか。
そうだ、きっと試されている。
廊下で悶々としながら、僕達は女子の入浴が終わるのを待った。
三十分くらいして、みんながさっぱりした顔をして、脱衣所から出てくる。
「あなた達、何げっそりしてるの?」
古品さんが不思議そうに、僕達に訊く。
それはげっそりしますよ古品さん。
女子と交代で今度は僕達が風呂に入る。
脱衣所の入り口ですれ違うとき、僕は縦走先輩に着替えを借りるお礼を言った。
「ああ、思う存分着てくれ。でも、パンツは本当に貸さなくていいのか? 篠岡は詳しいと思うが、私のパンツはボクサーパンツがほとんどで、男子がはいても大丈夫だぞ」
「はい、そこまでお世話にはなれません」
ジャージやスエットを借りられても、さすがに先輩のパンツまで借りるわけにはいかない。
ってゆうか、縦走先輩、僕が先輩のパンツ事情に詳しいとか、そこだけ聞くと誤解する人もいるから、それはあんまり大声で言わないでください。
「そうか、私は全然、貸すことにやぶさかではないのだがな」
縦走先輩が言う。
いやそこはやぶさかであれ。
それと、その後の僕達主夫部、男子部員の入浴については、特記事項はない。
母木先輩の胸の産毛の間を、シャワーヘッドから流れる冷たい水が、蛇のようにうねりながら滴り落ちていった………とか、事細かに描写されても、みんな戸惑うだけだと思うし。
僕達が風呂から上がって食堂に戻ると、テーブルが窓際の一方に全部寄せられていた。
男子が風呂に入っている間に、女子達が移動させたみたいだ(主に縦走先輩が)。
「今日はここに布団を敷いて、みんなで寝るわよ」
ヨハンナ先生が言う。なんだか先生が張り切っていた。
「みんなって、みんなですか?」
母木先輩が訊く。
先輩が訊きたかったのは、「みんな」の意味は、寄宿舎の「みんな」じゃなくて、僕達男子も含めての「みんな」なのか、ってことだと思う。
「そう、女子も男子も、みんなで一緒にね」
ヨハンナ先生はそう言って、とてもチャーミングなウインクした。
寄宿舎の外で、また、一際大きな雷が鳴る。




