スペースコロニー
ヨハンナ先生が風呂から上がるのを待って、僕達は食事を始めた。
先生は頭にタオルを巻いて、真っ白なバスローブ姿で食堂に現れた。
その姿だけならハリウッド女優みたいなのに、
「ビールある? ビール?」
風呂から上がった第一声がこれで、その言動はオヤジそのものだ。
すぐに御厨が冷えた瓶ビールとグラスを持ってくる。
ジャガイモにイカの塩辛を和えたお通しまでスッとさり気なく添えてくるあたりは、小料理屋並だ。
「ホント、この一杯のために働いてるよねぇ」
発言が一々オヤジっぽい。
でも、先生、ビール飲むのはいいけど、せめて股を閉じて飲んでほしい。
椅子の上で胡座をかくのは止めてほしい。
外では、相変わらず雨が降り続いていた。
時折、雷も鳴って、雨が弱まる気配は、まったくない。
寄宿舎に続く獣道に流れる雨水は川となっていて、今ではカヌーくらい出せそうだ。
寄宿生に主夫部、ヨハンナ先生と、総勢十人で食卓を囲む。
テーブルを二つくっつけ、真っ白なテーブルクロスを敷いて、一つの大きなテーブルを作った。
片側には右から鬼胡桃会長、縦走先輩、古品さん、弩、萌花ちゃんの順番に座り、もう一方に、ヨハンナ先生、母木先輩、錦織、僕、御厨の順番で座った。
今日のメニューは、
手作りソーセージ(ハーブは寄宿舎の庭で育てたもの)。
ザワークラフト
ほうれん草とベーコンのキッシュ
揚げごぼうの七味マヨネーズ掛け
枝豆たっぷりの冷製コンソメスープ
そしてデザートはトリプルベリーの赤ワインゼリーだ。
「でも、御厨君の料理、すごく美味しいですよね」
ソーセージを頬張りながら、萌花ちゃんが言った。
それには、僕も、そしてこのテーブルに着くみんなが同意する。
「ここにいると美味しいものが食べられるから、太っちゃうのかと思ったら、私、全然体重変わらないんですよ。その辺も気を使ってくれてるの?」
萌花ちゃんが御厨に訊いた。
「うん、まあ、そんなとこ」
御厨が照れながら、萌花ちゃんを見ずに答える。
あれ、おかしい。
御厨は地球上の全女性をぽっちゃりにするという、果てしない野望を持っているんじゃなかったのか? それなのに、ちゃんとカロリー計算とかして、太らないメニューにしてるのか?
「でも、あれね。古品さんは前よりちょっとふっくらしてない?」
キッシュを取り分けながら、鬼胡桃会長が言った。
「えっ、そんなはずない。毎日、お風呂場の体重計に乗ってるけど、体重は変わってないし」
古品さんがほっぺたを触って、自分で確認しながら言う。
アイドルにとって、スタイルの維持は重要なのだろう。
「そんなことないです! 古品さんは、ちゃんといつも通りの『ふっきー』です! 全然、変わってません!」
錦織が立ち上がった。いつになく、熱くなっている。
「まあ、まあ、確かに最近、忙しくて不規則だったし」
古品さんが錦織をなだめるように言った。
「縦走さんはどう? 主夫部が来てその料理を食べるようになってから、体重とか、変化ある?」
「私は、体重が減ったら食べる、増えたら走る。それだけだ。基本的に変わらない」
縦走先輩はそう言って、御厨に「おかわり!」と、椀を差し出した。
御厨がは「はい!」と嬉しそうに受け取る。
さっ、さすがは縦走先輩って言うしかない。
「弩さんはどう?」
鬼胡桃会長は弩にも訊いた。
「私は、体重、前より減りました。別にダイエットとかしてるわけじゃなくて、いつも通り食べてるだけなんですけど、なぜか減っちゃったんですよね」
弩が言うと、「へえー」と女性陣の冷たい視線が弩に突き刺さる。
弩が「ふええ」と言った。
こういう場合は、ちょっと太っちゃったって言うのが無難だと、あとで教えておこう。
「人にばっか訊いて、鬼胡桃さんはどうなのよ」
今度は古品さんが鬼胡桃会長に訊く。
「わっ、私は……教えられるわけないじゃない。そんなこと」
会長はそう言って顔を真っ赤にした。
「あ、ずるーい」
古品さんが言う。
「私は毎日、規律正しい生活を送っているから、きっと一グラムだって変わってないわ。体重計に乗る必要もないから乗ってないわよ」
会長が言った。
しかし、それに対して、
「古品さんよりも、統子のほうが少し、ふっくらしたんじゃないかな」
母木先輩が言った。
「ちょっと、なにふざけているのかしら。いっ、言いがかりも、いいところだわ!」
会長が母木先輩を睨み付ける。
「いや、統子を毎日見ている僕が言うんだから間違いないよ、統子は少しふっくらした」
母木先輩が言って、鬼胡桃会長が持っていたフォークを落とした。
タイミングよく雷が鳴って、なんだか、会長が雷に打たれたみたいだ。
「統子はちょっとだけふっくらしたし、それが前より可愛い」
冷製スープを飲みながら、平然とした顔で、母木先輩が言う。
「な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、な、なにを……」
会長の手元が狂って、ソーセージを切るナイフが、自分の指を切ってしまいそうになったから、隣の縦走先輩が全力でそれを止めた。
まったく、母木先輩は罪な男だ。
平然とした顔で言うから、本気なのか、鬼胡桃会長をからかっているのか、全然分からない。
イケメンだから余計に始末が悪い。
そして全員の目が、最後にビールのグラスを傾けているヨハンナ先生に向かった。
「わっ、私はちょっとだけ増えたかな。なぜかは全然、分からないんだけど」
先生が言う。
「理由は考えなくても分かります。今、先生が手にしているその液体と、毎日のおやつを何杯もおかわりするせいです」
僕が言うと、ヨハンナ先生が、
「はい、すみません」
と、戯けて見せた。
こんなふうに十人で囲む食卓はすごく平和で、すごく楽しい。
もちろん、花園や枝折や、家族で囲む食卓も楽しいんだけど、主夫部の気が置けない仲間と、将来の目的を持った僕の理想の女性達との食卓には、僕が求めるもののすべてがあった。
二時間でも三時間でも、ずっとこんな食事を続けたいって思った。
今みたいに、どうでもいいような話をして、ずっと過ごしていたい。
しかし、その平和は、一瞬にして破られる。
ドーーーーーンと、まるで、空からスペースコロニーが落ちてきたみたいな音がして、テーブルの上の食器が全部、三ミリくらい、左にずれた。
この寄宿舎の近くに雷が落ちたらしい。
そして、次の瞬間、食堂が暗闇に包まれる。
停電だ。
短い悲鳴を上げたのは、鬼胡桃会長と、古品さんと萌花ちゃんだ(そして僕も少し)。
窓からの弱い光で、木々の枝が大きく揺さぶられる影絵が、床やテーブルに映る。
そして時々、稲光が一瞬だけ、昼間のように食堂を照らした。
稲光に照らされて、暗がりの中でもビールのグラスを傾けているヨハンナ先生が見えた。
肝が据わっているというのか、ただ単に飲み続けたいだけなのか、先生はどしっと胡座のままだ。
「みんな、大丈夫だから、落ち着きなさい」
ヨハンナ先生が言う。
「私達のことは、この立派な寄宿舎の建物が守ってくれるんだもの。雨だろうが風だろうが雷だろうが、問題ないわ」
先生の声は落ち着き払っていた。少しも上ずったりしていない。
とにかく、なんだかすごく、安心する声だ。
「事務室にランタンとロウソクがあったわ。それを持って来なさい。スマートフォンのライトアプリで、そこまで照らしていけるわね。一人だと危険だから、二人組みになって行くのよ」
先生は的確に指示を出す。
自然災害に際して先生は覚醒していた。
こういうの、なんて言うんだっけ、昼行灯って言うんだけ。
今のヨハンナ先生は頼もしい。
それにしても、この隔離された状況で、何も起きないといいんだけど。
弩が読んでいたミステリーみたいな。




