おにぎり
土曜日、僕はいつものように、花園と枝折に朝食のサンドイッチを用意してから、寄宿舎に向かった。
寄宿舎で寄宿生の朝食を作って、洗濯をする。
普段、土日は主夫部の中から二人がローテーションで家事を担当しているのに、今日は全員が寄宿舎に来ていた。
みんな、萌花ちゃんがその後どうなったか、気になってたまらないのだ。
萌花ちゃんから弩には、連絡がないみたいだった。
弩によると、弩から萌花ちゃんに連絡しようとしても、スマートフォンの電源が切られているのか繋がらず、メールなどにも返信はないとのことだ。
朝食の間、弩は何か考え事をしているようで、無口だった。
その割にはご飯をよく食べて、食後、御厨に余ったご飯をおにぎりにしてもらって、部屋に持ち帰った。
心配事があると食事が喉を通らない、という人がいるけど、弩はその真逆のようだ。
心配事があったり、困難に当たっているとき、それに備えるためにいつもよりたくさん食べておく、弩はそんなタイプなのかもしれない。
将来、経営者になる弩にとって、それはぴったりな性格のような気がする。
朝食が終わると、僕達主夫部は家事に戻って、寄宿生はそれぞれがそれぞれの時間を過ごした。
洗濯していると、縦走先輩がダンベルを上げ下げする規則正しい音が、一階から響いてくる。
昨日の夜ライブがあった古品さんは、朝ご飯を食べたあと「また寝る」って言って、自分の部屋に戻った。
僕達の騒動を聞きつけた鬼胡桃会長は、それが少なからず気になるようで、どこかに出かけたりせず、寄宿舎に残っている。
「ちょっと、ここ、まだ汚いじゃない」
「どこが汚いんだ? これは元からあったシミだ。誰だって落とせない」
「まあ、主夫部には無理でしょうね」
「なんだと!」
「悔しかったら、綺麗にしてみなさいな」
会長はいつものように、掃除をしている母木先輩に軽い喧嘩を吹っかけて、暇を潰しているようだ。
朝食にも顔を出さなかったヨハンナ先生は、まだ寝ていると思う。
先生は学校が休みの土曜は、午後二時頃まで寝てるから、多分、今も寝ている。
それに、僕達主夫部と河東先生の騒動から、耳を塞いでいたいみたいだったし。
先生も大変そうだから、ここは起こさずに好きなだけ寝かせてあげるべきだろう。
しばし、夢の中にいさせてあげるべきかも。
しかし、お昼前になって、そんなヨハンナ先生が飛び起きて、直立不動で迎えるような人物が、突然、寄宿舎の玄関に現れた。
「恥を忍んで訊くけれど、娘はここに来ていないかしら」
そう発したのは、誰あろう、河東先生だ。
萌花ちゃんの母親、河東薫子先生だ。
「あの子、昨日家を出たっきり、戻らないの」
河東先生が表情を強張らせて言う。
寄宿生と主夫部全員が、玄関に集まった。
御厨がヨハンナ先生に河東先生の来訪を告げると、先生は光の速さで部屋から飛び出してくる。
いつも通り、起きたまま、スリップ一枚の格好のままで、玄関まで馳せ参じた。
スリップ一枚のヨハンナ先生を見て、河東先生が眉を寄せる。
だから僕は、普段から口が酸っぱくなるほど、スリップ一枚で寄宿舎を歩き回らないでくださいって注意してるのに。
こういう不意の来客もあるんだし、仮にも僕達は血気盛んな男子高校生なんだし。
いつ間違いが起こるとも分からないんだし。
「どどど、どうされましたか?」
スリップ一枚で直立不動のまま、ヨハンナ先生が訊く。
河東先生によると、昨日先生が僕を追い返したあと、萌花ちゃんと二人で話し合っていて、先生が出て行きなさいって言ったら、売り言葉に買い言葉で、萌花ちゃんは出て行って、そのまま家に戻らなかったらしい。
先生は、萌花ちゃんが立ち寄りそうなところは、全部探したそうだ。
そういえば、河東先生の緑のジャージは、昨日の服装のままだった。
先生は昨日からずっと、服も着替えずに、お風呂にも入らず、萌花ちゃんを捜しているんだろうか。
あれほど嫌っていた僕達のところに話を聞きに来るくらいだから、もしかしたら、ご飯だって食べずに探していたのかもしれない。
「弩さん? とか言ったっけ? あなた萌花と仲良くしているようだけれど、なにか知らないかしら?」
河東先生が弩を見る。
先生に見られて弩は明らかに動揺していた。
河東先生を正面から見ないで、目を泳がせている。
拳を硬く握って、震えるのを我慢しているようにも見えた。
ん?
そうえいば、朝食のあとに、おにぎりをねだった弩。
いつも小食な弩が、ご飯を全部食べたあとでおにぎりをねだるなんて、変だと思った。
心配事に対処するために、たくさん食べておく、なんて分析したけれど、それは弩が食べる分ではなかったのか。
だとしたら、そこから導き出される答は、一つだ。
「はい、ここにいます。萌花ちゃんは、私が部屋にかくまっています!」
弩が言った。
あっ、ヨハンナ先生死んだ。
たった今、天に召された。
河東先生の娘がいなくなって、先生が必死になって探していたその娘が、ヨハンナ先生が管理人を務める寄宿舎に隠れていた。
ヨハンナ先生じゃなくても、これは魂が抜けそうだ。
「そう、あの子、ここにいるのね」
河東先生はそう言って、壁に手をついた。
よろけそうになった体を、なんとか支える。
烈火の如く怒り出すかと思ったら、反応が違った。
娘の無事が分かって気が抜けた、ってところだろうか。
「娘を呼んできてもらえるかしら」
壁に手をついて体制を整えた河東先生が、静かな声で言った。
そこには断ることを許さない、強い響きがあった。
弩が呼びに行って、萌花ちゃんが弩の部屋から出てくる。
彼女は、水色のワンピースを着ていた。
弩のワンピースを借りて着ているみたいだ。
普段、弩の服を洗濯している僕には、それが分かった。
着替えもしてるし、ご飯も食べてるし、萌花ちゃんの健康状態に問題はなさそうだ。
「さあ、帰りましょう」
河東先生が言った。
「帰りません」
しかし、萌花ちゃんはきっぱり返す。
「私は、写真家になりたいです。それを許してくれないなら、帰りません」
萌花ちゃんは、しっかり自分の意志を示した。
泣いたり、ヒステリックに叫んだりして誤魔化さなかった。
そういう点では、この似てもにつかない外見の親子は、そっくりだと言えるのかもしれない。
きっと、どっちも相当頑固だ。
「そういうことなら、仕方ないわね」
河東先生はそう言うと、靴を脱いで、寄宿舎に上がった。
そして廊下を歩くと、脱衣所に向かう。
風呂場を覗いて、次に食堂に入った。
食堂を見回し、対面の台所に移って、中を細かく観察する。
トイレや洗面所、そして、二階に上がって各部屋を見た。
結局、河東先生は、寄宿舎の全施設を見て回る。
小一時間かけて、入念にチェックした。
一体、何が起こるんだろう。
もしかして、寄宿舎の粗探しをして、この寄宿舎が生徒の生活の場としてふさわしくないって学校に連絡し、潰してしまおうとしているのか。
萌花ちゃんが帰らないと言うなら、この寄宿舎ごと消してしまおう、そういう魂胆か。
そして再び玄関に戻って来た河東先生は、僕達を前にして言った。
「萌花、あなたは今日からここで暮らして、月曜日はここから学校に通いなさい」
「えっ?」
僕も、萌花ちゃんも、そこにいる全員が、「えっ?」と発した。
「今日からあなたは、ここの寄宿生になりなさい」
さっき一度死んで、どうにか間一髪、蘇生したヨハンナ先生が、また死んだ。
「霧島先生、この寄宿舎の管理人として、くれぐれも娘をよろしくお願いしますね」
言外に、娘に何かあったらどうなるか、分かっているでしょうね、と匂わす、河東先生のその発言は、天国(地獄?)に行ってしまったヨハンナ先生の耳には、届かなかったかもしれない。




