特訓
木々の間を抜けて獣道を歩いて行くと、寄宿舎のバルコニーには無数の洗濯物がはためいていた。
真っ白なセーラー服やブラウス、ブラジャーやパンツが、風を孕んで翻っている。
寄宿舎を囲む林の深い緑の中で、太陽を反射する白は、眩しいくらいに映えた。
これだけ干してあると、壮観だ。
なんだか芸術的なセンスが刺激されて、とりあえず僕は、寄宿舎の前で立ち止まって、スマホで写真を撮っておく。
いつもの寄宿生とヨハンナ先生に加えて、花園と枝折、天方リタ、そして、文化祭に向けてレッスンに来ている「ぱあてぃめいく」のな~なとほしみかの分の洗濯物も増えて、朝から洗濯機を何度も回した。
エントランスの上のバルコニーだけでは場所が足りなくなって、シーツは中庭に渡した洗濯紐に干してある。
梅雨の晴れ間は、最大限有効に使わなければならない。
僕は玄関に鞄を投げて、二階のバルコニーに駆け上がった。
放課後までたっぷりと干せたおかげで、洗濯物はパリッと乾いている。
取り込みながら洗濯物に囲まれていると、柔軟剤の花の香りで酔いそうだ。
僕は酒を飲んだ感覚は分からないけど、こうやって洗濯物に酔うより気持ち良くはないと思う。
すぐに第二視聴覚室に戻らなければならないし、花園と枝折に洗濯物を畳むのを手伝わせようとしたら、寄宿舎の中に二人が見当たらない。
食堂にも、二人が寝泊まりしてる110号室にもいなかった。
さっき、中学校から帰って来たのに、どこかへ出かけたのか。
注意しておいたから、校内をうろついたりはしていないと思うけど。
「あら、おはよう」
隣の109号室から、御厨の母親、天方リタが出てきた。
昨日はどこかのブランドのパーティーがあったとかで、深夜に帰って来て、今起きたらしい。
「花園と枝折知りませんか?」
天方リタに訊いてみた。
花園はここに来てからすっかり天方リタになついていて、夜、一緒に寝たりしてるし(花園は、年上の女性に、母の姿を見ているのかもしれない。全然、似ていないけど)。
「さあ、私は知らないわ」
天方リタはそう言ってあくびをする。
シルクのパジャマのボタンを一つしか留めてなくて、胸元が大きく開いていた。
気怠げにランドリールームに入って行く彼女を、僕は、「シャワーはこっちです」と風呂場に案内する。
多分忘れてると思うから、シャワーの温度調節の方法を教えた。
天方リタは「ありがとう」と言って、まだ僕がいるのにパジャマを脱ごうとするから、僕は急いで脱衣所を出る。
彼女がシャワーを浴びている間に、床に脱ぎ散らかされたパジャマを回収して、バスタオルと下着と着替えを、脱衣所の籠に入れて用意しておいた。
彼女がいつもシャワーのあとで飲むというVOSSのミネラルウォーターを、食堂の冷蔵庫から出して、籠に添えておく。
いつもは、御厨がこうやって彼女の世話をしているらしい。
もしかしたら、彼女は花園や枝折よりも手がかかるのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
洗濯物を取り込んでいて、僕が遅れて第二視聴覚室に行くと、主夫部の四人に満面の笑顔で迎えられた。
みんなで接客の練習中だ。
今や教室はすっかりカフェに姿を変えていた。
教室に入ってすぐの右手にはレジカウンター、左手に調理や盛りつけをするブースが作ってある。
その間の通路を抜けて、テーブルと椅子が並んだカフェスペースがある配置になっていた。
カフェスペースには、十台の丸テーブルに、二脚ずつの椅子が置いてある。
調理ブースに沿わせて、カウンター席も、五席、作ってあった。
「どう? この制服?」
錦織が訊く。
錦織がデザインして仕立てたカフェの制服が完成して、みんなが着ていた。
白いシャツに黒のパンツ、小豆色のベレー帽と、同じ色で揃えたショートエプロン。エプロンとベレー帽には、よく見ると同系色のストライプが入っている。
マネージャーの弩だけはデザインが違って、エプロンの代わりにベストを着るようになっていた。
清潔で、落ち着いたデザインだった。
奇をてらったところがないから、僕達店員が悪目立ちすることもないだろう。
シュッとしたイケメンの母木先輩がこの制服でいると、もう、何年も店を回しているベテラン店員みたいだった。
ベストを着て、髪を後ろにまとめた弩も、なんだか颯爽としていて、マネージャーらしく見えてくる。
服に着られてるように見えないのは、錦織がきっちりと採寸して、弩の体に合わせた服を作ったからだろう。
「あれ、弩、視力悪かったっけ?」
弩は細いアンダーリムの眼鏡をかけている。
「いえ、伊達眼鏡です。少しは凛々しく見えるかと思って、かけたのです」
弩が言った。
眼鏡も、制服に合わせて錦織に見立ててもらったらしい。
それは十分な効果を発揮していた。
少なくとも、今の弩の頭を撫で繰り回そうという気は起きない。
「さあ、篠岡、君も着替えてくれ。そろそろお客が来るぞ」
母木先輩が言う。
まもなく、第二視聴覚室のドアが開いて、開店前のカフェに二人の客が来た。
「おじゃましまーす」
「来てあげたわよ」
縦走先輩と、鬼胡桃会長だ。
文化祭の開店前に、店の雰囲気と、僕達の接客を確かめて欲しいと、弩が頼んでおいた二人だ。
「すごい、本物のカフェだね!」
縦走先輩が、らしくない、少し高い声を出した。
「でも、私、カフェとか行ったことないんだけどね」
先輩が続ける。
先輩……
まあ、部活に明け暮れている縦走先輩なら当然か。
「一応、合格点ね」
教室内に素早く目を走らせた鬼胡桃会長が言った。
会長は、辛めの採点だ。
「どうぞ、こちらへ」
と、母木先輩が二人をテーブルに導く。
先輩の紳士的なリードに、縦走先輩が頭を掻いて、鬼胡桃会長はちょっとだけ頬を赤くした。
二人は、このカフェの初めての客としてテーブルに着く。
「とりあえず、全部」
錦織から差し出されたメニューを見て、縦走先輩が言った。
「いえ、先輩、今日プレオープンなので一品しか用意がなくて……」
御厨が頭を下げる。
「あら、この店はメニューにあるものを出せないの? ちょっと、責任者呼んでちょうだい!」
鬼胡桃会長……
クレーマーの演技がえぐすぎる。
マネージャーの弩がすぐに謝りに行った。
「ちょっと、あなたみたいなちんちくりんじゃなくて、責任者を出しなさい」
会長が弩に言う。
もしかしたら、演技じゃないのかもしれない。
その後、僕達は二時間に渡って、鬼胡桃会長の特訓を受けた。
髪の毛が入っていたという初歩的なものから、ここでラーメンが食べたいというものまで、あらゆる無理難題に答えた。
二時間、クレーマーを演じて、終始同じテンションを保った鬼胡桃会長はサディストではないかと思う。
逆に僕は、会長になじられることが少し快感になってしまったかもしれない。
新しい扉を開けてしまったのかも……
「まあ、合格点ね」
2時間の特訓が終わって、最後にコーヒーカップを傾けながら鬼胡桃会長が言った。
鬼胡桃会長から頂く合格点は、普通の人の評価からしたら120点を超える筈だ。
最悪のクレーマーを相手にしただけに、本番でカフェに来てくれるお客さん全員にやさしくできそうだった。
僕達は、へとへとになって寄宿舎に戻る。
いよいよ文化祭が迫って、校内は沸き立っていた。
準備が遅れている部や団体が突貫工事をする金槌の音が響いている。
廊下を絶えず人が走り回っていたり、物が飛び交ったりする。
演劇の登場人物だろうか、侍や、女騎士とすれ違う。
オークもいる。
そうかと思えば、黒いウサギが二匹、手を繋いで歩いていた。
どこかの部の着ぐるみだろうか。
バンドや合唱の練習の声は、二週間前よりだいぶましになった。
廊下に積んであったエナジードリンクや栄養ドリンクの箱が目に見えて減っている。
廊下の硬い床の上で倒れるように仮眠をとっている生徒がいて、誤って踏んでしまっても起きなかった。
この無法地帯ぶりが、文化祭前の醍醐味だ。
いっそのこと文化祭当日なんて来ないで、ずっと、この状態が続けばいいと思ってしまった。
ずっとこのままの学校でいい。
◇
深夜二時。
校内にはまだ残って文化祭に向けた作業を続けている生徒もいたけれど、ここ、第二視聴覚室がある校舎の外れは、突き当たりであるために前を通る生徒もなく、静まり返っていた。
ここで作業をしていた主夫部の部員はもう、とっくに帰ったのに、誰かが一人、佇んでいる。
ライターの炎でその顔が照らされた。
男であるようだ。
暗くて人物までは判定できない。
男はライターの炎で煙草に火を付けた。
そこでしばらく、煙草を燻らせる。
男は室内を見渡した。
一通り見渡して、舌打ちをする。
そして男は、まだ火がついたままの煙草を紙束の上に捨てた。
それは、カフェの宣伝のために用意した、チラシの束だった。
捨てられた煙草は、チラシの上で、火の粉を散らす。
火の粉は、燃えやすいコピー用紙のチラシを旨そうに食べて、大きくなっていった。




