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中間テスト

 雨粒が絶え間なく、サンルームのガラスを叩いている。

 どこからか迷い込んだ雨蛙が、小さな体を揺らして、歓喜の声を上げた。


 雨の午後、寄宿舎の食堂には、寄宿生と主夫部部員、全員が集まって、中間テスト対策の勉強会が開かれている。


 勉強会を指導する鬼胡桃会長と母木先輩は、二人で毎回、定期試験の学年一位二位を争うライバル同士で、指導者としてはこれ以上望むべきもない存在だ。


 雨で外を走れない縦走先輩も、商店街のイベントがキャンセルになった古品さんも、今日は大人しく教科書と向き合っていた。


 高校に入って初めてのテストを受ける弩は、さっきからの鬼胡桃会長の熱血指導で知恵熱を出して、おでこに冷えピタを張って勉強している。



「なぜ、僕達まで勉強しなきゃいけないんですか?」

 錦織が訊く。


 不満たらたらなのは僕達主夫部だ。

 今日はまだ掃除もしてないし、洗濯もしてないし、夕飯の準備もしていない。


 梅雨の時期で、かびなど生やさないためにも、この時期の掃除は重要だし、雨が多くて溜まりがちな洗濯物を、ささっと片付けてしまいたいのだ。

 中間テストの勉強などで、僕達の貴重な時間を浪費している場合ではないのに。


「なぜって、当然でしょ。学生の本分は勉強です。それに、主夫部のメンバーが寄宿舎に関わってるから成績が落ちたなんて評判が立ったら大変だもの。あなた達には死ぬ気で勉強してもらうわ」

 鬼胡桃会長が死ぬ気でと言うと、本当にそれくらいのしごきが待っていそうで怖い。


「それから、テストが終わるまで寄宿舎での主夫部の活動は禁止です。掃除は禁止、洗濯も禁止。食事は出前と仕出し弁当で済ませるから用意しなくていいわ。私達への洗髪も禁止。あなた達はテスト勉強に専念なさい」

 会長が僕達に死の宣告に等しいことを言った。


「そんな……」

「嘘だ」

「鬼だ」

 僕と錦織と御厨が、絶望的な声を出す。

 それは魚に泳ぐなとか、鳥に飛ぶなとか言うようなものだ。


「おにぎりぐらい握るのはいいですよね?」

 御厨が恐る恐る訊いた。

「雑巾縫うくらいはOKですよね?」

 錦織が訊く。

「パンツくらいは洗ってもいいですよね?」

 僕も訊く。


 もちろん、鬼胡桃会長の返事はどれもノーだ。



「成績が悪かった人は、そのままこの寄宿舎に出入り禁止とします。次のテストで良い成績を収めるまで、一切、立ち入ることを許しません。ここで家事がしたかったら、せいぜい頑張ることね」

 鬼胡桃会長はそう言って僕達を挑発した。

 酷い、そんな条件をつけられたら、もう、必死に勉強するしかないじゃないか!


「みんな、主夫部の評判を上げると思ってここは耐えてくれ。僕も精一杯教える。全力でサポートする。テストで良い点取ろう。それまで、家事はお預けだ」

 母木先輩までそんなことを言った。


 僕がヨハンナ先生に助けを求めようと視線を向けると、

「私は中間テストのことにはノータッチ。あなた達で勝手にやって。成績に関わる中間テストのことだから、みんなとは距離を置きます。下手に絡んで、寄宿生や主夫部のメンバーをえこひいきしてるんじゃないかとか、テスト問題を漏らしたんじゃないかとか、あらぬ疑いをかけられたらまずいしね」

 ヨハンナ先生がヨハンナ先生らしくない、至極しごくまっとうなことを言う。


 でも先生、食堂の隅で柿ピーをかじりながらスマホゲームをやるのはやめて欲しい。

 気が散るし。



 縦走先輩が鬼胡桃会長のノートを見ながら、まったく分からないと頭を抱える横で、古品さんは余裕の表情で流すように教科書に目を通している。


「古品さんは余裕なんですね」

 錦織が訊いた。

「うん。留年して何回もテスト受けてるからね。テストのコツは大体解ってるし、まあ、平均点以上は取れると思う」

 悠々としている古品さんを、鬼胡桃会長が憎々しげに見る。


「ほら、弩さん。さっき言ったこと忘れちゃった?」

 弩にそのとばっちりが行った。

 おでこに冷えピタを張った弩は、鬼胡桃会長にきつい言葉をかけられても、ニコニコして教科書に向かっている。

「弩、なんか嬉しそうだな」

 僕が言うと、

「はい、私は一人っ子なので、ずっとお姉ちゃんが欲しかったのです。お姉ちゃんが出来たみたいで嬉しいのです」

 弩が鬼胡桃会長をチラッと見た。


「ななな、なにを言っているのかしら。わわわ、私は、妹なんていらないから」

 お姉ちゃんと言われた鬼胡桃会長が顔を真っ赤にする。

 着ているボルドーのワンピースと同じくらいに。


「ほら、余計なこと言ってないで次の問題いくわよ」

 会長はまんざらでもない様子だ。


 弩は何も考えていないようでいて、実は鬼胡桃会長のツボを的確に見抜いているのか。

 でも、弩がそんなふうに腹黒いとも思えないから、無意識に会長のツボを突いたんだろう。

 意図せず、無意識にそれができているとすれば、弩は人の心を掴む才能のようなものを持っているのかもしれない。

 それは将来、弩が大弓グループを率いる立場になったとき、力を発揮する才能なんだろう。



「ん~、なんか喉乾いちゃったなー」

 スマホを弄っていたヨハンナ先生が伸びをしながら言った。

「はいっ」と一番に立ち上がってお茶を入れにいこうとした御厨は、鬼胡桃会長に目で威嚇いかくされる。

「先生、お茶はご自分で」

 会長は徹底していた。


 本当にこのまま、中間テストが終わるまで僕達に家事をさせないつもりらしい。

 僕も、キャミソール一枚洗わせてもらえないだろう。


 で、ヨハンナ先生、うるさいからせめてスマホの音だけは消してください。



 そんなふうに僕達は五日間、寄宿舎に於いて家事をできないという拷問に耐えながら勉強をした(僕は寄宿舎で家事ができない鬱憤うっぷんを家で晴らして、家中の掃除をしたし、花園と枝折が食べられないとギブアップするくらいの料理を作りまくったけれど)。


 幸いなことに、その成果はあった。



「篠岡君、良くやった。この調子で頑張るように」

 テストが終わって、担任としてホームルームでテスト結果の評価表を渡してくれるヨハンナ先生に褒められた。

 学年十七位の成績は、今まで真ん中少し下あたりを行き来していた僕にとっては、上出来だ。


 そして、主夫部全体としてはこれ以上ない成績を収めた。


 三年生の成績トップは母木先輩で、二位が鬼胡桃会長。

 二年の成績トップが錦織。

 そして、一年のトップには弩が輝いた。

 つまり、主夫部が全学年の成績トップを独占したのだ。

 御厨も一年の十位でギリギリ、成績優秀者の表に載っている。


 これには鬼胡桃会長も、文句の付けようがない。


「あなた達、一体どれだけ家事がしたいのよ! なにそんなことでモチベーション高めてるのよ!」

 会長は、感心を通り越して呆れていた。



 僕達は寄宿舎の前に立つ。

 雨はあがった。

 頭の上には梅雨の合間の貴重な青空が広がっている。


「さあ、思う存分家事をしましょう」

 ランドリールームには、一週間分の洗濯物が溜まっていた。

 御厨は、中間テストご苦労さん会メニューの夕飯を作るって、張り切っている。


「みんな、家事もいいが一大イベントを忘れていないか?」

 浮かれている僕達に、釘を刺すように母木先輩が言った。


「中間テストが終わった瞬間から、我が校では熱狂の二週間が始まることを……」

 そうだった。

 母木先輩の言葉は大げさではない。


 一学期の中間テストが終わると、我が校はそのまま文化祭モードに入る。テスト終了時から、二週間の準備期間と、文化祭当日までのあいだ、授業そっちのけの祭が始まる。

 準備で徹夜して学校に泊まり込んだり、軽音楽部が爆音でバンド練習をしたり、普段許されないことに教師陣が目をつぶってくれる、一大イベントだ。

 それはまさしく、母木先輩の言う「熱狂の二週間」だ。


 去年の僕はどこの部活にも入っていなかったし、バンドを組んでいたわけでもなかったし、クラスで盛り上がって何かやるようなこともなかったから、見て回るだけの参加だったけれど、それでも熱さは伝わってきた。

 来年こそは是非、と思った。


 今年は主夫部を設立して、積極的に文化祭に関わることができるのが嬉しい。

 主夫部として文化祭で何をやるかはまだ決まっていないけど、やりたいことはたくさんある。


「さあ、忙しくなるぞ!」

 冷静な母木先輩が興奮を隠せずに言った。

 先輩は三年生で、最後の文化祭だけに思うところがあるのだろう。


「今度は文化祭で主夫部の力を見せつけてやろうじゃないか!」

 僕達主夫部は、文化祭に向けて突き進む。



     ◇



 中間テストの成績優秀者が張り出された掲示板の前で、言葉を交わす数人の教師の姿があった。


「彼らは目立ちすぎましたな」

「それにしても、学年トップを独占するとはね」

「そろそろ、本当に潰してしまわないといけないようですね」

 最後の物騒な台詞を言ったのは、三年生の学年主任、河東教諭だった。

 そう、あの鬼胡桃会長冤罪事件の真犯人だった平田教諭に、影で主夫部設立阻止を命令していた人物だ。


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