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ペントハウス

「篠岡君、これあげる」

 僕の机の上に、お菓子が置かれた。

 ホームルーム終わりで、クラスの女子三人がきゃっきゃしながら僕の机の前に来て、お菓子を置く。

 キャラメルとマシュマロと、チョコレート。

 僕の前に並んだのはクラスメートの長谷川さんと、菊池さんと、松井さんだ。


「ありがとう、でも、何で?」

 あまりにも唐突だったから、僕が訊く。

「篠岡君、いつも教室を綺麗にしてくれてるでしょ? その感謝のしるし」

 長谷川さんが言った。


「僕、綺麗にしてるかな?」


「してるよ。教卓が汚れてたら、さりげなく雑巾で拭いたり、帰り際にカーテンを紐でちゃんとまとめてくれたり、ゴミ箱にビニール袋かけてくれたり」

 菊池さんが言う。


 そうか、確かに僕はそんなことしていた。


 でもそれは綺麗にしているとかじゃなくて、自然にしていたことだ。

 癖みたいなものだ。

 普段、家事をしている癖で、部屋が汚れていたり、乱れていたら、片付けてしまう。

 目の前に何か飛んできたら目を瞑る反射のようなもので、別に褒められることはしていない。


 僕自身、気付いてなかったくらいだし。


「主夫部の人って篠岡君みたいに気が利く人が多いの?」

 長谷川さんが訊いた。


「うん、まあ」

 いや、僕以上に気が利く人がいるし。

 母木先輩とか。


「いいなぁ、私、お嫁さんに立候補しちゃおうかなぁ」

 松井さんが言って、三人がきゃっきゃと笑う。

 屈託のない笑い顔で、本当に楽しそうだ。


「じゃあね、篠岡君。また明日!」

 三人はそう言って、来たときと同じように唐突に帰ってしまった。

 僕の机の上には、キャラメルとマシュマロとチョコレートが残されている。


 なんだか知らないけど、主夫部の評判が良いことは嬉しいことだ。

 訳の分からない変な部活と思われていた主夫部が、こうして徐々に認められるのは素直に嬉しい。




 教室でそんなことがあったから気分良く部室に行くと、先に来ていた弩が、一人で雑誌を読んでいた。

 「よう」と声をかけると、弩がいつものように人懐こい笑顔を見せる。

 僕は我慢できなくなって、とりあえず頭をなでなでしておいた。

 弩が「ふええ」と鳴く。


 珍しく、弩はファッション雑誌を読んでいた。

「あーあ、私もこんなふうになりたいです」

 写真のモデルを見て、弩が溜め息をつく。

 先日のプールでスタイル抜群のお姉さん達を見て、触発されたのだろうか。

 弩が見ていたページの写真は「天方リタ」という、最近CMなどでも見掛けるモデルの写真だった。

 洗練された大人の女性で、誰にも媚びないという凛とした佇まいがある。

 スタイルが良くてスリムで、ウエストなんか僕が両手の指で作った輪の中に収まるんじゃないかという、細さだ。


「私、このモデルさんみたいになれるでしょうか?」

 弩が訊く。

「もちろん、なれるさ」

 僕は答えておいた。


 でも、弩にはどうか我が道を進んで欲しいと思う。



「御厨君! 今日のおやつは何かな?」

 部室にヨハンナ先生が来た。

 両手にごちゃごちゃした書類やら、ファイルやらを抱えてるから、多分、職員室から逃げて来たんだろう。


「先生、御厨君は今日、お休みです。なんか、風邪をひいたんだとか」

 弩が言う。

 だから部室に弩が一人だったのか。

 でも、御厨が休むとは珍しい。


「何ですって!」

 ヨハンナ先生がそう言って、胸に抱えていた書類やら、ファイルやらをバラバラ床に落とした。

「ここでのおやつが、私の、一日の唯一の喜びなのに」

 先生…… 一日の唯一の喜びがそれでは悲しすぎる。

 確かに、御厨の作るおやつが、そこら辺のパティシエが逃げ出すくらいおいしいのは認めるけど。


 とりあえず先生をなだめるために、僕はさっき長谷川さん達からもらったキャラメルをあげる。

 先生はそれを受け取って口に放り込んだ。

 なんだか、餌付けをしているみたいだ。


 先生は、僕があげたキャラメルをガシガシ噛みながら何か考えていた。

「よし、お見舞いに行きましょう」

 やがて先生が言う。

「風邪で一日休んだくらいで大げさな」

「さあ、あなた達も一緒に来なさい!」

 先生は僕の声に耳も貸さない。


 でも、誰かみたいに本棚の下敷きになって、動けなくなっていることがあるかもしれないから、お見舞いには行ったほうがいいだろうか。


 そういえば春から同じ部活で活動してるのに、僕は御厨の家がどこにあるか知らないし、家族構成も知らない。

 御厨が家族のことを話さないのもあるけど、同じ部活のメンバーとしてそれはどうかと思う。


「母木先輩と錦織を待たなくていいんですか?」

 僕が訊いた。

「御厨君が休みなら、二人には夕飯の支度をしてもらわないといけないでしょ。さあ、さっさと行くよ」

 おやつがかかっているからか、今日はヨハンナ先生の押しが強い。




 御厨の家は川沿いに建つタワーマンションの一室だった。

 五十五階建てのマンションの最上階、ペントハウスがそこらしい。


 僕達はヨハンナ先生のフィアットを降りて、マンションを見上げる。


「なんか、すごい所ね」

 勢いで来たけど、そのマンションの豪奢な佇まいを見て、ヨハンナ先生が急に尻込みした。


 見上げる塔は空を突き刺すように伸びている。

 窓が大きなデザインで、ガラスが鏡になって、ゆったりとした雲を映していた。

 こんな豪華なマンションなら、お見舞いの手みやげに、高級フルーツか胡蝶蘭でも持参しないといけない雰囲気だ。


 ヨハンナ先生がエントランスの操作盤に部屋番号を打ち込むと、「はい」と、スピーカーから女性の声がした。


 御厨の母親だろうか?


「淳之介君の学校で教師をしている霧島と申します。生徒と共に、お見舞いに伺いました」

 先生が緊張した声でマイクに話し掛ける。

「ああ、ご免なさい、すぐに開けます」

 女性が言って、ガラスのドアがすっと開いた。


 エレベーターで最上階まで上がる。


 エレベーターもガラス張りで外が見えるようになっていて、急上昇しながら街の全体が浮き上がるように見えてきた。

 弩が遊園地のアトラクションに乗っているみたいに目を輝かせている。

 僕も街全体を見下ろしていると、なんだか心が大きくなった。


 エレベーターを降りると、そこからもう、床は大理石だ。

 最上階に部屋が二部屋しかない贅沢な造りで、御厨の部屋は川に面した眺めの良い方だった。


 先生が震える指でチャイムのボタンを押す。

 重々しいドアの向こうから「はーい」と返事があった。


「先生、わざわざ御足労頂いて申し訳ありません」

 玄関に出て来た女性は、そう言って丁寧に頭を下げた。


「いらっしゃい。ごめんなさいね、淳之介が迷惑かけて」

 女性は僕と弩にも気遣ってくれた。


 しかし、その女性の顔を見て、僕と弩は固まってしまう。


 その女性には見覚えがあった。

 ってゆうか、さっき見た。


 目の前にいるのは、さっき弩と見ていたファッション雑誌のモデル「天方リタ」その人だったのだ。


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