卵焼きは甘く
「やはり、真夜中に忍び込むしかないのか」
母木先輩が言った。
放課後の主夫部部室では、午後のお茶の時間を使って、次に襲う予定の女子テニス部に関する会議が開かれている。
今日のお茶菓子は、旬のびわを使ったババロアで、もちろん御厨の手作り。
夏を思わせる五月末の陽気に、びわの仄かな酸味とババロアの冷たい喉ごしが気持ちいい。
「テニス部は部員も多いし、洗濯物も多いですからね。短時間で済ますのは無理です」
洗濯担当の立場から、僕が意見を述べる。
どんなに急いでも、洗濯機を回すだけで時間がかかるのだ。
「新体操部、女子バスケ部と続いて、警戒されているしな」
腕組みの錦織が言った。
用心のため、誰かが部室に残っていたり、見張りが立っていることも考えられる。
そして、新聞部が、勝手に部室を綺麗にしていく「妖精」の正体を突き止めようと、いつも以上に張り切っているらしく、一眼レフカメラを持った部員を校内のそこかしこで見かけるのだ。
以前より隠密行動の難易度は確実に上がっている。
やはり、母木先輩の言うように、夜忍び込むしかないのか。
ちなみに、女子テニス部の部室の鍵が、入り口にさりげなく置いてあるテニスボールの缶に隠してあることは、リサーチ済みである(まだ職員室が開いていない早朝、朝練に来た生徒のためにそうしているらしい)。
どんっ、と蹴破るようにして、会議中の部室のドアが乱暴に開けられた。
「あのあの、大変です!」
ドアを開けて飛び込んできたのは弩だった。
「どうした弩?」
僕が訊く。
弩はここまで走って来たようで、息を切らせていた。
長い髪も振り乱している。
「ガチャで欲しかったキャラでも出たか?」
弩が大騒ぎするのだから、そんなことだろうと思った。
「違います!」
「何かに当選しました、とかいうメールが来ても、それは詐欺だから真に受けちゃだめだぞ」
母木先輩が諭す。
このあいだ、弩が架空請求業者のメールにスマホで返信しようとしていたのを止めたばかりだ。
「分かってます! 違います!」
弩が半分怒ったように否定する。
「あっ、もしかして、弩が大弓グループの後継者なことがバレとか?」
錦織が訊いた。
先日、弩が大弓グループの後継者だと分かったのだけれど、弩も望んでいたし、僕達はそれを他の生徒に口外しないことに決めていた。
普通の高校生活を送りたいという、弩の想いを尊重したのだ。
僕達がしゃべらない限り、バレることはない筈だが。
「いえ、違います。バレてません。そんなことじゃないんです。もっともっと、もっと大変なことです!」
いつになく大きな声を出す弩に、僕達はただならぬ雰囲気を感じて、弩のほうを向く。
「クラスメートの玲奈ちゃんと桃子ちゃんに、明日からお昼一緒にたべない? って誘われたんです!」
弩が目をキラキラさせて言った。
「おおっ!」
僕達、男子部員四人が、声を揃えて発して立ち上がる。
「おめでとう!」
「よかったな」
「やったな!」
皆が口々に言って、弩の頭を撫で繰り回した。
弩は「ふええ、ふええ」と嬉しそうに言う。
他県から入学してきて、周囲に誰も知り合いがいなかった弩の、ぼっち卒業第一歩だ。
五月の末までかかったけど。
「ところで、弩は今まで昼食をどうしてたんだ?」
母木先輩が訊く。
「食堂で日替わり定食を食べてました。あんまり食欲がないときは、購買部で買ったパンとかで済ませることもあります」
「その、誘ってくれたクラスメートは? どうしてる?」
「お弁当だと思いますけど」
「そうか……」
「よし、弩に弁当を持たせましょう」
僕が提案した。
「いいです、そんな。皆さん忙しいのに悪いです」
「遠慮するな。せっかくクラスメートが誘ってくれたんだ。お弁当を持ち寄って、お互いのおかずの分け合いっこしたり、そういうの、したいだろう?」
その時に購買部のパンでは寂しい。
「諸君、女子テニス部襲撃は一時お預けだ。只今から、我が主夫部は全勢力をかけて、弩に最高のお弁当を持たせる『はじめてのお弁当大作戦』を敢行する!」
母木先輩が拳を突き上げる。
「おう!」と僕達が応じた。
「だから、私は大丈夫ですから」
「いや、弩、気にするな。これは主夫部にとっても好都合なのだ。専業主夫となる我々は将来、会社勤めをするパートナーに弁当を作ることもあるだろう。お弁当は職場に於いて家庭の姿が垣間見える重要なパーツだ。それによって、職場の同僚や上司のパートナーを見る目も変わるかもしれない。今回のことはそのシミュレーションだと考えればいい。君は僕達に良い機会を与えてくれたんだ」
母木先輩に言われて、弩は困り果てた顔で「ふええ」と言う。
午後のお茶セットが片付けられ、ホワイトボードが引き出されて、主夫部部室は会議モードに入った。
こういう場面で、家事慣れしている主夫部は、片付けも準備も速い。
「まずはお弁当の基本コンセプトだが、弩が初めてクラスメートと一緒に食べるお弁当であることを鑑みると、スタンダードなお弁当がいいと思う」
母木先輩が言って、
「異議無し!」
と他の男子部員の声が揃った。
「無駄に豪華なお弁当や、突飛なおかずでクラスメートに引かれたら大変だ。様子見の意味も込めてスタンダードなところから攻めていこう」
できることなら普通に家庭で作ったようなお弁当で、弩を送り出したいところだ。
「スタンダードといえば、まず、卵焼きは外せない。これには異論はないな?」
母木先輩が言って、皆が頷く。
「弩は卵焼きは甘い派か? それともしょっぱい派か? どっちだ?」
「甘い派です」
「よし、我らは卵焼きを甘くする」
僕は卵焼きを作るとき、万能ねぎや桜エビなども入れるのだけれど、ここはひとまず、プレーンの卵焼きでいいだろう。
「次に、主たる肉系のおかずだが……スタンダードといえば何を入れるべきだろうか?」
母木先輩が、次の国家戦略を問うような真剣な眼差しで訊いた。
「鳥の唐揚げでしょう」僕が言う。
「ミートボールだな」錦織が言った。
「エビフライがいいと思います」と御厨。
「塩鮭の切り身だろう」とは母木先輩。
「タコさんウインナーがいいです!」弩が言う。
「いや、弩、タコさんウインナーは主役を張れないぞ」
僕が言うと弩は「そうですか」と、少ししょんぼりした顔をした。
「先輩、塩鮭は渋すぎませんか?」
最初のお弁当の主菜としては、少し小綺麗にまとまりすぎている感じがする。
「うーん、そうか?」
母木先輩が唸った。
「あと、エビフライは、ともすれば食べた後の唇がグロッシーになるから控えたほうがいいんじゃないかと思う」
錦織が言った。
「そうだな、テカテカの唇を見せるのは、クラスメートともう少しうち解けてからでいいかもしれない」
気にしすぎかもしれないけれど、ここは慎重の上にも慎重が求められるのだ。
御厨は納得して、エビフライ案を引っ込めた。
「弩の愛らしさを強調する意味でも、ここはミートボールを推したいと思うんだ」
錦織が言う。
「唐揚げじゃ駄目か?」
唐揚げを提案した僕が訊く。
「唐揚げでも悪くはないが、俺は事故を気にしているんだ。たまにあるだろう、鳥の唐揚げを食べたとき、鶏肉の繊維が歯の間に挟まってしまって、それが気になって会話に集中出来ない、なんてことが。気の知れた友達同士なら、目の前で口に指を突っ込んで取ったり、舌をもぐもぐさせて大丈夫かもしれないが、弩の場合、初めて一緒に食べるお弁当だ。とてもそんな姿は見せられない」
なるほど。確かに、リスクを避ける意味でも、ミートボールが妥当かもしれない。
「よし、それでは主たる肉系のおかずにはミートボールを採用しよう。さて、ミートボールを採用するとして、その個数はどうするべきだろうか?」
母木先輩がホワイトボードにミートボールと書き込んで訊く。
「三つくらいでいいんじゃないでしょうか?」
錦織が言う。
確かに、弩の体の大きさを考えると三つくらいが妥当か。
「いえ、四つがいいと思います」
しかしそれに御厨が鋭く反論した。
「どうしてだ?」
「いえ、三つだと、仲良くなって一緒に食べる二人に一つずつ分けてあげた場合、弩の分も一つになってしまうんです。四つにしておけば、分けてあげても弩が二つ食べられます。弩が二つ食べられると思えば、それをもらうほうも遠慮せずにもらえるのではないでしょうか? 逆に、多すぎて食べられないから食べて、と言ってこちらから一緒に食べる二人にアピールすることもできますし」
御厨が言った。
「なるほど、一理あるな。よし、ミートボールの個数は四つで決まりだ」
ミートボールの個数一つとっても、お弁当の戦略性は奥が深い。
僕は毎日、妹の花園と枝折に何の気なしにお弁当を作ってるけど、もう少し頭を働かせて作らないといけないと猛省する。
「さて、卵焼き、ミートボールときて、野菜に移ろう、色取りを兼ねて、プチトマトは外せないと思うんだが」
この母木先輩の意見には、満場一致がみられた。
「そうすると、緑はブロッコリーや、さやえんどう、ほうれん草。といったところでしょうか?」
御厨が言う。
「さやえんどうは苦手です。ほうれん草もちょっと……」
弩がもじもじしながら言った。普段なら好き嫌いはいけないと言って、食べさせるのだけれど、初めてのお弁当だし、ここは僕達が折れた。
「卵焼き、ミートボール、プチトマト、ブロッコリー、あともう一、二品くらい欲しいところだが」
ホワイトボードに弁当箱のレイアウト図を書いてみて、母木先輩が言う。
「ポテトサラダときんぴらごぼうでどうでしょう?」
御厨が提案して、それが採用された。
ポテトサラダにキュウリを入れるべきかどうかの議論が白熱して、結局、コーンとベーコン入りとすることで決着をみる。
「あのあの、タコさんウインナーは駄目ですか?」
弩が遠慮がちに訊いた。
「なんでそんなにタコさんウインナーを入れたいんだ?」
さっきも言っていたし、僕は気になって訊いた。
「タコさんウインナーは憧れなんです。私、両親が忙しくて今までお弁当作ってもらったことがなかったので、お弁当を作ってもうらうなら、ウインナーをタコさんにして入れてもらうのが夢でした」
弩の言葉に、僕達は迷うことなく、残りのスペースにタコさんウインナーを二匹、招聘することに決めた。
「さて、おかずは決まった、次はご飯に移ろう」
お弁当箱の半分を占める重要な部分だ。
「桜でんぶ、いり卵、鶏そぼろの三色ご飯にするのはやり過ぎですかね」
御厨が言う。
「ああ、卵焼きといり卵が微妙に被っているし、おかずのミートボールに鶏そぼろもとなると重すぎないか? それ自体がおかずになるから、するとしても後日だな」
母木先輩が否定した。
「シンプルに梅干しとごま塩か、或いはのり弁か、ふりかけ、高菜ごはんにする手もある」
僕が提案すると、
「のり弁にしましょうよ」
と錦織が言った。
「何かのり弁にする理由があるのか?」
僕が訊く。
錦織に妙に自信があるようだったので。
「ああ、思い出してみてくれ。のり弁にすると、僕の経験的に二回に一回の割合で、のりが弁当箱の蓋に張り付いていることがある。のりが弁当箱の蓋に張り付いた様子はちょっと間抜けで、それで話題が一つ出来る。『あー、のりが全部くっついちゃってるぅ』などと言って、クスッとするくらいの一笑いとれる。初めて一緒に食べる弁当で緊張をほぐすためにも、ここはコメディアンとして『のり』に活躍してもらおうじゃないか」
弁当箱の蓋に張り付いたのりで一話題作ろうというのか。
なんという高等テクニック。
錦織の、のり弁案でごはんパートは決定した。
「最後にデザートだが」
我が部には御厨という優秀なパティシエがいる。
「御厨、ここは思う存分腕を振るってくれ。ただし、あまり凝りすぎない範囲で頼む」
母木先輩が言って、御厨が「任せてください」と自信たっぷりに応じた。
きっと御厨は女子の胃袋を鷲づかみにするデザートを用意することだろう。
これで完璧なお弁当の青写真が完成した。
あとは明日の朝練で着実にこれを作り上げるだけだ。
「あ、あのう……」
窓際のソファーで僕達の議論を見守っていた?ヨハンナ先生が、すがるような声を発する。
「先生、安心してください。先生や他の寄宿生の分もちゃんと作りますから」
僕が言うと、先生はほっとした様子で、再びソファーに沈み込んだ。




